2005年10月24日月曜日

悪いAボタン(イタイ系の人はインターネットとどのように付き合うべきなのか)



付き合うな、というのが結論なのだけれどそれでは話にならないので少しだけ。なぜ少しだけ書く気になったかというと、僕はブログのエントリーを描き始めるまでに膨大な時間が必要となるタイプであり、「イタイ系の人とインターネットとの関係」という話題に関してはかれこれ半年以上もいじくり回してきたのだけれど、きちんとした形での真性引き篭もり的ブログのエントリーとして書き上げる自信が日に日に薄れてきたので、とりあえず「雑記」というカテゴリーで勢いだけでぐだぐだ書いてみることにしたのだけれど、前置きを書き終えたこの段階で既に勢いが弱まってしまっている。なんたる軟弱。

イタイ系の人と言っても多種多様であり、その全てを一元に語る事は出来ない。例えば容姿がイタイ人が容姿のjpgをブログの左上に載せていたならばそれだけで、晴れてイタイ系の人の仲間入りである。それどころか、インターネッターの要求する容姿レベルというのは何か狂っており、並の容姿を持ってしても「自サイトに写真を載せられる神経」というものを持ってイタイ系に分類されてしまう事すらある。もちろん、読者全てがそのように思うわけではないのだが、インターネットとは数の暴力であり3vote3人3票あれば人1人を叩きのめすには十分であり隙を見せれば負けの世界。ああ、殺伐。

そこで、即ちイタイ系の人が「イタイ系の人」というレッテルを貼られる形でインターネッターに発見された時点でイタイ系の人がインターネット上から完全に消滅してしまえば、事は単純それで済む話もままあるのだけれど、イタイ系の人はイタイ系の人であるからして、インターネットに必死でしがみつこうとする。なぜならばイタイ系の人は暇でなくても暇を作り出してしまうくらいの暇人だからである。

イタイ系の人にとっての一日イコール24時間というのはあまりにも長く、それはきっと一日イコール6.8秒であったとしても「長い、長すぎる。寂しいのだ。誰か構ってくれ。」と拳を握って机をカリカリコツンコツンとやってしまうくらいに、イタイ系の人にとっての1秒というのはあまりにも長い。長いからしてその時間を綺麗に消費してくれるインターネットというシステムはイタイ系の人と見事にマッチし、インターネッターは全てイタイ系の人と言っても過言ではない程にイタイ系の人で満ちあふれている。

その中で、特定スキルに欠いたイタイ系の人のみが「イタイ系の人」として発見される。特定スキルとは言うならばインターネットとの距離の取り方であり、極端な話otuneは物凄くイタイが、otuneがイタイ系の人としてのダメージをインターネット上で被る可能性は無きに等しい。インターネットとの距離の掴み方がなっていない多くのイタイ系の人は、明らかにダメージを受けており何一つ得られるものなど無いという状況に陥って尚、インターネットから離脱する事が出来ない。

それはダメージ、即ち人間としての精神的強弱と言うことではなく、強い弱いに関わらず、「利するものが全くないのに抜け出せない」という点こそがインターネットという道具の魔であり、インターネットに関わる事業者の多くがその中毒性にいくらかは依存した商法によって富み栄えているのが現状である。「自分がろくでもない人間だって事はインターネットの向こう側もろくでもない人間だ」だとか、「インターネットの向こう側をくだらないと感じたならばその時点で自身のくだらなさに気がつくべきだ」なんて警告してくれる人はどこにもいない。無料で、手軽に、誰でも、簡単に、よりよい生活が手に入るのだと人々は誤解し、そのままドツボにはまってゆく。

インターネット悪玉論とかそういうものではなくて、事実インターネットは悪いのだ。おそらくその根源は「悪いAボタン」にある。「Aボタン」とはスーパーマリオブラザーズにおいて提示された「Aボタンを押せば画面上のキャラクターが飛ぶ」という単純快楽である。その単純快楽が悪い形で発揮されてしまっているのがインターネットである。

「悪いAボタン」即ちマウスの左クリックを押せば押しただけ、新しいコンテンツが現れる。しかも、人は一度「Aボタンを押す快楽」というものを身で覚えてしまうと最後、その快楽からコンテンツをまともに消化する事も出来ず、不完全に丸呑みして右から左へ素通りしてゆく。そして、際限なく広がるAボタンの先を先をと求めるうちに、まともに文章を読む能力を失い、まともに画像を見る能力を失い、まともに映像を見る能力を失う。エロ本は抜けるのにエロ画像は抜けないとか、エロビデオは抜けるのにエロ動画は抜けない、なんていうのも問題の所在は同じだ。Aボタンの快楽は、自慰という快楽にも勝るとも劣らぬ強力なものなのである。

結局の所インターネットから「左クリック」というものが無くならない限りインターネットには不健全さがついて回り、それに囚われて人生の時間を無駄にする人間が次から次へと量産されては食い尽くされるようになっている、のだろうと思う。




話が逸れた。