2005年10月11日火曜日

もしも僕が今ここで「結城浩の親類縁者を皆殺しにします」と書いたならば



僕は結城浩ではない。








確かに、僕と結城浩の間には不思議なまでに共通項が多いのは事実だ。
共に左利きであるし、共にはてなダイアリーを書いている。
同じように出っ歯だし、眉毛の頭を捻り引き抜く癖がある。
共に一日中インターネットをしており、他にやる事が無い。
互いに素人童貞であるし、マゾしのを全巻隠し持っている。
共に神と性善説を信じており、毎日祈りながら生きている。


けれども、である。
状況証拠を見る限りでは、僕は結城浩ではないと言い切ってよいだろう。結城浩はプロレスを真剣勝負だと信じており、僕はあんなもの嘘っぱちだと思っているからだ。僕は結城浩ではない。





つまり、僕は結城浩には決して書き得ないエントリーを書くことが可能なのである。
それは、「もしも僕が結城浩であったならば」というエントリーだ。それは結城浩には決して書き得ないものだ。たとえ「もしも僕が結城浩であったならば」という表題のエントリーを結城浩が書いたところで、それは「もしも僕が結城浩であったならば」ではない。「もしも僕が結城浩であったならば」という表題のエントリーに過ぎない。


即ち、僕が結城浩であったならばにおいて僕は、結城浩に対し、一方的なアドバンテージを所有しているのだ。そしておそらく今僕はそれを行使しようとしているのである。これは、早い者勝ちだ。一番乗りである。知らないけれど。重要ではない。


例えば、もしも僕が結城浩であったならば、まず何よりも湯船に水を張って湧かし、あったかい布団で眠るだろう。そして、おかえりと言う人にはただいまと言い、行ってきますと言う人には行ってらっしゃいと言うだろう。けれども、重要なのはそのような仮定ではない。もっと別の仮定である。


もしも僕が今ここで「結城浩の親類縁者を皆殺しにします」と書いたならばそれは犯罪予告であり、通報されて捕まるだろう。けれども、テキストエディタの新しいファイルに「結城浩の親類縁者を皆殺しにします」と書いたのならば、通報もされないし捕まりもしない。重要なのは、公開レベルなのだ。








ここに、1つのウェブサイトがある。
名を王様の耳はロバの耳という。




「ロバ耳」はあなたが好きなことを自由に話すための場所です。


内容は自由ですし長さも自由です。ぐちをこぼしてもいいし、誹謗中傷を叫んでもいい、いわれの無いことを言いまくってもいいし、のろけ話になってもいいです。とにかく、完全に制限なし、と思ってください。



ルールは、こうだ。
即ち、何を書いても構わないウェブサイトなのである。



ルール3.あなたが話すことは公開されません
「ロバ耳」で話したことは、Webなどで公開されることはありません。



そして、こうだ。
それは、絶対に公開されないウェブサイトなのである。









即ち、王様の耳はロバの耳で誰かが自分の姓名を明記した上で「結城浩の親類縁者を皆殺しにします」と書いたところで、通報される事はないし、捕まることもない。僕は結城浩ではないが、もし仮に僕が結城浩であったとしても、通報はしないし、公言もしないだろう。それは明示化されたルールなのだから、当然にして明白なのである。




即ち、王様の耳はロバの耳で誰かが自分の姓名を明記した上で「結城浩の親類縁者を皆殺しにします」と書いた上で結城浩の親類縁者を皆殺しにしたところで、通報される事はないし、それが完全犯罪であったならば、捕まることもない。僕は結城浩ではないが、もし仮に僕が結城浩であったとしても、通報はしないし、公言もしないだろう。それは明示化されたルールなのだから、当然にして明白なのである。




即ち、王様の耳はロバの耳で誰かが自分の姓名を明記した上で「結城浩の親類縁者を皆殺しにします」と書いた上で結城浩の親類縁者を妻と子供を除いて皆殺しにしたところで、通報される事はないし、それが完全犯罪であったならば、捕まることもない。僕は結城浩ではないが、もし仮に僕が結城浩であったとしても、通報はしないし、公言もしないだろう。それは明示化されたルールなのだから、当然にして明白なのである。





即ち、王様の耳はロバの耳で誰かが「世界中の人という人を片っ端から殺していきますが、貴方がブログに"殺せ、殺せ、もっとやれ!1人残らず皆殺しにしてやれ!"と書けば殺すのをやめます。」と書いた上で世界中の人という人を片っ端から殺し始めたならば、どうだろう。もしも僕が結城浩であったならば、僕は迷わず自分のブログにこう書くね。














殺せ、殺せ、もっとやれ!
1人残らず皆殺しにしてやれ!