2005年10月11日火曜日

嫌韓はロックだ。



嫌韓はロックだ。
そして、ロックは死んだ。




大人は嘘をついている。
僕たちは本当の事を知っている。

嫌韓の肝はそこであると宣伝されてきたし、今も宣伝されている。そして逆に言えばそこでしかなかった。特定部位のみを編纂して報じるエドサリバンへの反抗としての嫌韓は、同類の編纂に基づいているという点において初めから、成り立つ余地など無かったのだ。

嫌韓は暴力への衝動、暇人の為の娯楽でしかなかったし、これからもそうであり続けるだろう。その点において嫌韓はインターネットを代表するコンテンツとなった。多くのブログサービスのランキングに、嫌韓ブログが顔を出す。そして、彼らをブロガーたらしめているものは偽対真などではなく、最もアクセス数を稼げるコンテンツとしての嫌韓だ。嫌韓はエロや2ちゃんねると並び、簡単に人を集める事の出来る題材になったのである。

そして2005年の1億総アフィリエイト時代においてそれは、文字通り最も稼げるコンテンツである事を意味する。そして、事実そのように利用されている。つまり、韓流と嫌韓はまったく同じなのである。韓流が暇を持てあましている特定層をターゲットにした娯楽を提供する商売であったのと同じように、嫌韓もまた、暇を持てあましている特定層をターゲットにした娯楽を提供する商売に過ぎない。

つまり、嫌韓はロックですらない。
そして、ロックは死んだ。


人類の生活は日に日に便利になり、それに伴い暇というものが生産され続けている。暇というのは自ずから存在するものではなく、作り上げられたものなのである。テレビが無い頃は純然たる時間であったものがテレビによって暇に変換され、暇人が生み出された。同じくパソコンが無かった頃は時間であったものが、パソコンによって暇に変換されている。人間は大切なものを見失うように出来ている。そして携帯電話が孤独を生み出したのと同じように、暇が嫌韓を生み出し、暇人が嫌韓を育てた。

嫌韓の示す世界観では日本は常に虐げられる側である。大日本帝国を絶対悪として描くいわゆる自虐史観の対極に、日本を絶対是として描き特定の第三国を絶対悪として描く現在進行形自虐史観が存在する。そしてそれこそが嫌韓の正体である。

現在進行形自虐史観をまるで新しくて正しいもののように受け止める若者がそれらを強く支持しているが、それは新しくも正しくもなく、世界中どこに出もある人種差別のマイナーバージョンに過ぎないといのである。元来我が国の素晴らしさとして確かに存在していたはずの人種差別という認識の薄さを、不必要に自ら手放すものに他ならない。

嫌韓に偽対真としての魂など、最初から無かったのだ。左がお笑いであったのと同じように、右もお笑いであったに過ぎない。そして今や、それに触れる事すらお笑いである。ヨン様に群がる彼らと、漫画嫌韓流に群がる彼らはまったくの同質なのである。

即ち、嫌韓はロックではない。
そして、ロックは死んだ。


そもそも、嫌韓の動機としてあげられる愛国心というものが間違いである。
人類の歴史上、愛するに値する国など1つも存在しなかったし、これからも存在しえぬのである。同じように聴くに値する音楽など一曲も存在しなければ、見るに値する絵画も存在しないし、読むに値する文学も存在しない。祈るに値する神も存在しなければ、当然にしてアクセスするに値するブログなどというのも存在しない。それらは、愛する人がいない人と、愛してくれる人がいない人が作り出した、愛する人がいない人と、愛してくれる人がいない人に向けて提供される、愛の代替物という娯楽に過ぎない。この世界に愛するに値するものがもしも仮に存在するとすれば、それは人間以外にあり得ない。

全100億人類の中で、産まれたその瞬間から1人で立って歩けたものはいない。箸を持てたものもいなければ、1人でトイレに行けた人間も存在しない。僕らがインターネットを出来るのも、キーボードを叩けるのも、パソコンの前にいられるのも、全ては愛の賜なのである。その点において我々は愛によって生き、愛によって生かされている、愛の化身そのものなのである。必要なのはそれを思い出すことと、忘れぬことである。必要なのは暇を潰す事などではなく、愛に感謝することなのである。

人を嫌韓へと向かわせているものは愛国心という愛などではない。愛の欠如なのである。やり場のない愛と欲望と青春時代というモラトリアムを背に受けてロックが大衆に滲透していったのと同じように、作り出された暇によって明示化された行く宛ての無い愛への餓えが、嫌韓の背景にあるのである。

何のために、何をするのか、なぜそうしようと思うのか。それを一秒一秒自分自身に問う姿勢こそが、一億総暇人時代に求められる誠実さなのである。人々はそれを見失っている。インターネットはそれを見失わせる。




嫌韓はロックではない。
そして、ロックは死んだ。