2005年10月30日日曜日

はてなには道徳が無い。



無い、さらに進んで言えば果たすつもりが無い。

懸命にごたごた言っている人がいるのだけれどまったくもってずれている。日本で悪名高き誰もが認める暴力的な場所はというと、それは2ちゃんねるなわけだけれど、2ちゃんねるが悪いのは管理人に道徳が無いからだ。あるいは、道徳という人として然るべき努めを果たすつもりが無いからだ。

2ちゃんねるでは何を書いても検閲や削除といったものが行われる事は無い。つまり完全に放置されている。システムとして存在しているのは知っているが、無きに等しいものを持ってして有ると言う事は出来ない。つまり道徳上不適切な書き込みに対する規制が一切ない無法地帯である。そして、人が大勢いる。

この、管理側の道徳の無さと人の多さというものが、2ちゃんねるの暴力性の唯一の根源なのである。そしてその、管理側の道徳の無さと人の多さという2つの条件は、はてなブックマークが今丁度有しているものである。即ちはてなブックマークが仮に誰かを傷つけるとすれば、それはブックマーカーが悪いのではない。全てははてなブックマークの管理者の責任である。

matunagaやらekkenのようなRSS検索エンジンで「無断リンク」だとかそういう検索ワードで地引き網をして片っ端から晒し挙げるような糞野郎は幾らでも雨後の竹の子のように湧く。それは非常に凡庸な暴力であり、その存在自体を撲滅するのは人類を皆殺しにする以外に不可能である。

それは必ず生じる事であり、生じて当たり前なのである。問題はそれに対して管理側がどのような責務を果たすのかとう点である。「包丁を売った人間に責任はない」という言葉は包丁においては真であるが、インターネットであるインターネットにおいてそのような言い訳は通用しない。

即ち、新しい道具を作ったならば、新しいルールが必要となり、新しい責任が生じるのだ。そこで企業というものが当然果たすべきである道徳というものを全うするのか、それとも「成長には不要な物である」が故に全うせずに放置するのか、その2択においてはてなは一貫して前者を貫いていると言うだけの話である。

はてなブックマークが最初に問題となった際にid:hatenadiaryが持ち出した「ブックマークは自由です。だからはてなブックマークも自由です。」という言葉は正しくその典型である。自分の都合のいいように、新しい道具にはまったくもって見合わない不適切な古いルールを自己弁護に用い「放治」というものを貫いている。これこそがはてなの哲学である。

治、即ちネットサービスにおける管理には3つの形式がある。
1つは全てを機械に任せてしまうという方法である。例えばいくつかのメッセンジャーサービスやBBS、MMOと呼ばれるネットゲームなどに置いて、特定の悪い言葉が発言不可能なのは、機械による統治、即ち機治である。

もう1つは、人による統治、即ち人治である。大手小町やmixiといったものが行っているのは、これである。つまり十分な量の人を雇って片っ端から問題のあると管理側が考えるコンテンツに対し警告を出し、あるいは削除してゆくというものである。

そして最後は言うまでもなく、放置による統治、即ち放治である。新興ネット企業の管理体制は多くの場合これである。例えばseesaaBlogで問題になったスパムブログMr.Nituiteにseesaaの対応も数ヶ月に渡りこれであった。後に対処はしたものの、再び放置されている。さらにLivedoorなどは放置の象徴であるし、Yahooオークションの管理側の対応も放置、と呼んでいいだろう。また我が国で最も売れたMMOであるFFXの管理もそうであるし、amazon.co.jpの対応などもこれである。新興ネット企業はほぼ全てこれであると言ってよい。

そして言うまでもなくはてなもそれである。つまりはてなブックマークから暴力性というものを取り除きたければ、即ち道徳というものを納めたければ、人を3人雇って2交代制ではてなブックマークに張り付かせておけばそれで済む話なのである。言うまでもないがあらゆるMMOではそれをやっており評判の悪いMMOではその人数とモラルが足りておらず、評判のよいMMOではその人数とモラルが足りている。もちろんはてなブックマークの母数が増えればそれに従い人数を増やす必要はあるが現状で言うと、ブックマークコメント閲覧専用のブラウザさえ作ってしまえば1人で全てのブックマークコメントを監視するのは容易である。それは道徳を果たすという思想を持つ管理会社であれば行って当然の事である。徹底した人による統治を採用しているmixiやら大手小町やらの担当人員数とはてなの雇っている人夫の数の差が、そのままはてな暴力性の数値となっている。

PV自慢やユーザー数自慢に象徴される「良いユーザーははてなの手柄」にするのに対して「悪いユーザーは当事者の問題」として全てを放置する。古いルールを持ち出しては適当な言い訳だけしてあとは放置。2ちゃんねるにおける「削除は管理側が決めた手続きに従い」よりもより悪質な「削除は当事者間で」という完全なる放置。新しい道具に古いルールの都合の良い部分という自己解釈。

つまり彼らは道徳というものに価値を見出していない。それだけの事なのだ。道徳は金にならない。道徳は成長に寄与しない。それだけの、極めて単純な話でありユーザーがどうこう言った所で純然たる無駄でしかない。はてなが2ちゃんねる化しているのではなく、はてなの管理側の思想が2ちゃんねるの管理側の思想と全くにして同じなのだ。

結論から言ってしまえば、モラルの無い2ちゃんねらーなど存在しない。それはただ道徳を果たすつもりのない2ちゃんねる管理人がいるというだけの話である。それと全く同じようにモラルの無いはてなユーザーなどというものは存在せず、道徳を果たすつもりのない株式会社はてながいるというだけの話である。