2005年10月30日日曜日
伝えたいことが無いのならばブログの更新なんてしない方がマシだ。
「伝えたいことが無いのなら、ブログのエントリーなぞ書くんじゃねえ」
という主張には一定の理解を示すつもりだ。
けれども、それが全てではない。
ブログ、あるいはWeb日記を何年も書き続けていると、そのマンネリさに疲れ果てて「もう書かなくてもいいか」なんて気分になる人が大勢いる。
たまに書評を書いたり、ゲームレビューを書いたりして延命措置を講じてみても、だんだんと空虚になってきて、空のスティック糊がくるくる、くるくる回るばかりで何も残らずさらさらと、叩くそばから落ちてゆく。
そこで意地でも惰性で書き続けるのか、きっぱりさっぱり捨ててしまうのか、2つに1つの選択肢だ。そして多くの人は「書きたい事が無いなら書かない方がマシだ」なんて事を言う。もちろんそれは、当たってる。
けれども、いくつかの、今は更新されなくなったブログへと毎日毎日アクセスする度に、「冬だ。」の一言でもいいから更新してくれればいいのにと、思う。
ブログ読者が書き手に行使する事の出来る関わりなんて皆無に近い。例外的な、数パーセントにも満たないコメンテーターやトラックバッカーとは違う、圧倒的大多数の読み手と書き手の関係は、たいへん軽くて浅くて薄くてまた脆い。読み手か書き手の事を殆ど知らないのに対し、書き手は読み手の事を全く知らない。存在しないのと同じものだと思っている。
けれども、どんな弱小ブログにだって、その更新を待ち望み楽しみにしている読者が1人くらいはいるものだ。そういう人達は数ヶ月も前に更新の途絶えたブログにたまにアクセスする度に、「春だ。」の一言でいいから更新してくれればいいのにと、思っているに違いない。あるいはそうで、あるかもしれない。
結局の所、伝える事が無いのならば、ブログなんて更新しない方がいい。
けれども伝える事なんて、アイムアライブでいいじゃないかと思うのである。
伝えたい事があります。
僕は2005年のこの冬に、今もブログを書いています。
伝えて欲しい、事があります。
2005年のこの冬を、あなたはどうして過ごしていますか?