2005年10月6日木曜日

それでも、僕は。



物事は二択ではない。
素晴らしいか素晴らしくないか、僕には判断が出来ない。
何を受け入れ、何を受け入れずに守り続けるべきなのか。
その判断が自分には出来ない。


自分がまだ正気を保っている事が既に狂気なのではないかと疑ってしまう。
例えば五稜郭を失って「まだやれる、我々には勝機がある」と人を鼓舞する事は勇気でも正気でも無ければ、蛮勇ですらない。それは純然たる狂気である。


僕がそこ、即ち五稜郭を逸したのは何時のことだったろうか。産まれた時には既に無かったようにも思えるし、未だに手の中にあるような気もする。
正常な判断が出来ていない。


昔から、頭のおかしい人、いわゆる気が触れた人を映画やドラマで目にする度に、自分はああなってしまうのではないかという、リアリティのある恐怖が頭に覆った。また、そうなってしまえればどれだけ楽だろうかと憧れ思い願った事も一度や二度ではない。


あいにく、あるいは幸いにも自分は理性を保っている。
終わる事の無い恐怖と戦い続けている。


ブログを書きたい。
心の底からそう思う。
自分が未だに正気を保てているかどうかを確認する方法は、ブログを書くというその1つしか残っていない。ブログを書きたい。心の底からそう思う。


小ネタブログ純情派のような、煮ても焼いても食えないような糞ブログを書きたい。書き続けたい。この先ずっと。永遠に。僕が正気である為に。


くだらない人生に、くだらないブログを。
くだらないブログに、くだらないエントリーを。
くだらないブロガーと、素晴らしい読者と。
もう少しだけ踊り続ける。


それでも僕は人間を愛している。
それでも僕は人生は素晴らしい。
それでも僕は夢を諦めていない。
それでも僕は未来を信じている。
それでも僕は希望に溢れている。
それでも僕は正気を保っている。


大丈夫、まだやれる。
力で満ちあふれている。