2005年10月9日日曜日

少子化は金です。



少子化は金です。
その点において「少子化問題など存在しない」という物言いは正当です。
これは金銭問題です。








まず始めに。


少子化を問題であると認識している人間には大きく3つに別ける事が可能です。


1,子供が欲しいが社会的、金銭的制約により望み通り産む事が出来ない人達。
→産みたいので支援してくれ。
→少子化対策に金を投じてくれ。


2,日本の人口が最終的には0人になってしまうのが嫌な人達。
→日本いい国好きな国。
→だから日本人が0人になるなんて嫌だ。なんとかしろ。


3,超高齢化社会の到来とその継続による不平等が嫌な人達。
→超高齢化社会の進行により、若者の負担は増える。
→その一方で、有権者数の年齢別偏りにより、若者の発言力は減る。
→高負担を強いられる層の発言力が減るという不平等を放置しては駄目だろ。


自分は3です。1と2については知りません。では。








このように述べるのにはある背景があります。「少子化問題」を語る際、「○○が原因じゃないか→○○を解消すればいい」という言説が多く溢れます。その「○○が原因」というフレーズに、本当にトンデモなものが溢れかえっています。いわく、「若者の道徳が衰退したから」「女がわがままになったから」「避妊、中絶が可能になったから」「教育が駄目になったから」などなど。


まずこれらの現状認識は、99%間違っています。なぜ99%かといえば、これらは社会が成熟すれば(近代化が進めば)必ず生じる現象を難じているという点で1%くらいの正当性はあるからです。だからといって、「道徳を復活すればよい」「女らしさを押し付ければよい」「避妊、中絶を禁止すればいい」「生命の神秘さと国力の重要さを教えればいい」という対策を取ろうとするのであれば、それは200%間違っています。なぜ200%かといえば、それが対策として成功を収めることがないばかりでなく、致命的な失敗につながり、国民の人権や選択肢を奪うものになるからです。それぞれ、ざっくばらんに解説します。




>本当にトンデモなものが溢れかえっています。
本当にそうですね。インターネットはおかしな人で溢れかえっているという典型的な実例ですね。「道徳が失われた説」「女がわがままになったから」「避妊、中絶が可能になったから」「教育が駄目になったから」に対してアホほど文章を書いて否定するなんて、真性の暇人か脳みその足りていない人以外に成し遂げられない所業です。というか、そういう事を言っている人がどこにいるのか知りたいです。指し示して欲しいものです。存在しない仮想敵を作り上げて懸命に戦って自己満足を得るという手法はネット右翼そのものですね。さて。









少子化は金です。
それだけです。


まず、少子化により起こる問題が金です。
若年層の負担が増える一方で、若年層のが発言力が減ります。その不平等が問題です。1.20が続けば、尻が丸焼けになるまで改革もままならないという、最悪の事態が訪れるでしょう。これに対する反論としては「そこまで悪くはならない。」というものがあるでしょうが、少子化問題すら解決できなかった日本の政治に、大幅なシステムの再構築が可能だとは思えません。また、それをよしとするのかどうかという問題もあります。





次に、少子化が起こる原因も金です。
既婚者の希望、及び理想の子供人数と、実際の出生数は常に差があります。そして、その理由に最も多く上げられるのは教育費であり、養育費です。仕事即ち収入に支障が出るという理由も含めれば金が全て、と言っても過言ではないでしょう。




「子育て支援への資金投入は浪費になる。」
と主張する人に問いたいのは、ではどの程度の金額の資金投入なら許容するのかという点です。希望子供人数と、実数には差がありその理由の中で最も多いのが教育費負担なのです。


我が国は保育では年額にして約100万、小学生には年額70万、中学生には年額80万、高校生には年額90万の国費を投じています。これは無駄金なのでしょうか。自分はそうは思いません。教育は他の何よりも重要なものです。また、これを30%上げれば国公立大学卒業までの学費をほぼ0にまで引き下げられますが、それは間違いなのでしょうか。間違いであるとすれば、どの程度の振り分けが適正なのでしょうか。中学卒業までに150~200万の学費が必要という現状の個人負担は理想的なものであると言えるのでしょうか。


少子化対策に予算を投じるなと主張する人々から、どのレベルの予算投入を理想とするのかが聞こえてこない、伝わってこないという点が、大きな疑問です。




そしてまた問題の所在が「子どもを生まないこと」よりも「結婚しないこと」にある事実を私は示しました。では結婚促進を支援することは可能なのか。恋愛や結婚の領域に権力が入り込むことを、国民は望んでいない。



問題はここです。そうかもしれないとも感じていたのですが、やはりこれは金で解決すべき課題であり、即ち我が国はやるべき事をやっていないと考えるに至っています。育児休暇の取得率は年々向上し、目標値に近づいている一方で、出産を理由に退職している人が未だに大勢います。我が国では出産イコール退職なのです。出産後も労働を継続したいと考えているにもかかわらず、子育てをしながら働くことが出来ないという社会状況や、育児休業に対する心理的圧力を理由に、出産退職しているというのが現状です。



そして、結婚というのは多くの場合において、妊娠リスクを意味します。
それは晩婚化圧力となっていると考えるのが自然ではないでしょうか。


つまり、「国家が結婚に介入するのは間違いである」という論には同調しますが、晩婚化圧力を解消する義務があると自分は考えています。晩婚化の理由の1つに出産すると退職せざる得ない社会状況があるのならば、その解消に向けて十分な努力をすべきです。




少子化は金です。金が原因です。それだけです。他の何でもありません。
投じられて然るべき金を投じるべき場所へ投じようとした政治家がいなかったからです。戦後五十年に渡り、必要の無い場所へ予算をばら撒いてきた結果です。全ての元凶は田中角栄であり、作り上げられた利権構造です。この50年間、国土開発への投資の1割、たったの1割が子育て支援に投じられておれば、出生率1.2などという数字は決して無かったでしょう。これは、それを怠った政治の責任なのです。






さて、少子化に対して出される対案に、移民受け入れ政策というのがあります。


僕は、それを全面的に否定します。全く支持しません。
何故ならば、まず第一に他にやるべきことがあるからです。
そして、第二に大量の移民受け入れは国内の不安要因となるからです。移民の犯罪率が高いという話にはまったく乗りませんが、低学歴者層、低所得者層の犯罪率、凶悪犯罪率が高いというのは事実です。日本語という特殊な言語を使用している我が国が年間40万人規模の移民を受け入れたならば、移民イコール低所得者層となってしまう事態を避けるのは不可能です。そしてそれは必要のない格差を生じさせてしまうと同時に、くだらない右傾化要因となってしまうでしょう。故に自分は「出生率低下に対する対処療法としての移民受け入れ政策」には反対です。その前にやるべきことがあります。
移民そのものに対する抵抗は大してありません。






少子化とは金である。
その一点に尽きます。
所得が高い世帯ほど子供の数が多いという事実も、それを如実に指し示しています。




けれども、おかしな場所があります。それは、東京都です。
東京都の1人当たり県民所得は全国一です。2位以下を大きく引き離しています。ところが、出生率はダントツで全国ワースト1です。それが何を意味しているか、というのはもう明確です。東京都は子育てを出来る場所ではないのです。子供が産まれても満足に保育所を確保する事すら出来ません。そのような都道府県が存在している、というのは我が国にとって大きな損失です。


ご存じの通り、東京都の人口は減っていません。
それどころか、増え続けています。つまり、子供を産んで育てる事の出来る地方圏の若者を引き寄せて吸収し、子供を産めない状況での労働と生活を強いているのが東京都という街なのです。これこそが癌です。過密の弊害です。




ではどうすればよいかというと、東京都への人口流入を抑止すべきです。
それにはまず、東京にある大学を全て他の地域に移転させるのです。首都機能移転よりも安く付き、尚かつ簡単であり、地方の活性化にもなります。移転先としては、全国一出生率の高い都道府県である沖縄辺りが良いでしょう。石原慎太郎が「首大が沖縄というのはおかしい」などといちゃもんをつけてきたならば、八丈島にでも流してやればよいのです。学業とセックスとネットゲームくらいしか娯楽が無い場所にやっちまえばいいのです。東京都の出生率を全国レベルに持って行くのに必要な金額と比べれば、安く付くでしょう。おそらくは。





少し逸れましたが、少子化は金です。
他の一切は問題ではありません。
予算を投じるべきです。