2005年10月6日木曜日

ブログを読む面白さって、結局はLIVEであるという一点に依存してるよね。



時速300キロでしか走れないSUPERスーパーカブは人間にとって不適切な道具である。それは、感覚的に理解の出来る所である。

同じように、書き出した言葉が一瞬にして山越え谷越え届いてしまうSUPERインターネットという道具もまた、人間にとっては不適切なものである。




時速300キロのスーパーカブは人間の限界を超えた道具であり、結果として手にした人をを壊すだろう。それと同じように、時速300キロのインターネットも既にもう、人の手に負える道具ではない。けれども、時速300キロのインターネットが人間の腕を、脚を、あばらを首を、壊してしまう、事はない。インターネットは安全なのである。

しかしながら時速300キロのインターネットは人間を超常へと導く特異なる道具であるからして、人の何かを壊してしまう道具であると僕は考えている。そのインターネットが破壊するものとは、正常なコミニケーションであると思う。




人は言葉を持ち、言葉は時間を持つ。本来、言葉というのは発し手の時間、発し手のペースで受け渡されるものである。ところがここでは受け手が全てだ。即ち、音楽に節があるように、言葉にもあるはずの節が時間がその全てが、言うならば言葉の内の1/2が失われたインターネットという場所では、1/2しか伝わらず、いらぬ軋轢が生まれてしまうのではなかろうか。




少し前に遅延を生かしたゲームというのが話題になっていたが、インターネットにこそ遅延というものは必要であると思う。

ブログの投稿ボタンを押してから表示されるまでに2日、コメントを書き込めるようになるまでにさらに2日、コメントを書き込んでから表示されるまでにまた2日、といったシステムのインターネットがあったならば、争い事のほとんどはなくなるのではないかと思う。

人間の脳というのは素晴らしいもので、時間さえ与えれば多種多様なよりよいアンサーが自動的で導き出される。2日あれば全て、というわけではないが、十分なだけの落ち着きが手にはいるだろう。少なくとも、こんな状況はなくなる。

まあ、無茶だ、と言えば無茶だろう。例えばそのようなものがあったとして、淘汰され消えるだけだろう。けれども、どうしてそんなに急ぐ必要があるのだろう。なにか、うまく理解が出来ない。




言うならば。
フットボール中継の面白さがLIVEであるかそうでないかによって大きく左右されるのと同じように、インターネットの面白さの多くもまた、LIVEであるというただその一点に大きく依存しているものであると僕は考えている。

落ちぶれて薄汚れたスペースだらけの空っぽのUEFAの境のマージーサイドダービーが、LIVEであるというその一点により面白く見られるのと同じように、中身の無い空っぽのブログとブログのトラバの中を人と人とが徘徊しては軋轢あう、そんな熱狂と興奮と上擦った視線立ち居振る舞い。







何がなんだかもうわからない。
脳細胞が遅れて響く。
痴呆。