ヘリコプターというものは。



ヘリコプターの上からスナイパーライフルでパァン、パァンと遠くに見える人影を撃っていると、遠くに見える人影が、はらり、はらりと倒れていった。それが嬉しくて、楽しくて、ああ、生きるとは、こういう事なのだと僕は思った。スナイパーライフルでよく狙い、引き金を引けば人は死ぬ!よく出来ていると、感心した。ふと操縦席を振り返ると、そこには誰もいなかった。ヘリコプターと、ライフルと、僕だけが宙を舞っていた。それは都合のよい事だった。

ところが、あいにく、運悪く、ヘリコプターというものは、誰かが操縦桿を握らなければ、遅かれ早かれ落ちてゆく、まことに不完全な乗り物である。仕方がないので、名残惜しげに、一人、二人と撃ってから、僕はそこを退いてビルディングの屋上に出た。そうして、また、同じように、ビルディングの屋上から、スナイパーライフルで、パァン、パァンと遠くに見える人影を撃っていると、とても愉快な気分になった。人生というものは、こういうものなのだ。人間というものは、こういうものなのだ。勝手に生まれて、勝手に大きくなって、上へ、上へと駆け上り、遠くに見える人影めがけ、パァン、パァンとやるものなのだ。

生きるということが、こんなにもシンプルであると知り得なかった日の僕は、知り得なかったが故に、あんな風に、地べたを這って、蹲って、考えてばかりいたのである。世界はもっと単純なのだ。こういうふうに引き金を引いて、こんなふうに、空を仰ぐ。こういう事だったのか、と合点がいった。全ての疑問は溶けてから消えた。生きるとは、喜びだったのである。

ところが、あいにく、運悪く、ビルディングというものは、人が汗して建つものである。パァン、パァンとやってるうちに、あらかた人はいなくなる。それに従いビルディングもまた、あらかたどこかへ消えてしまった。僕はその場をあきらめて、遠くに見える人影めがけ、二三度パァンとやってから、崖の上に出た。遠く、遠く、海からの風が汗をなで、夏の終わりを吹き飛ばしていった。僕は腰をかがめてよく狙い、引き金を引いてそれに答えた。見えないくらいの遠くで何かが、動かなくなったのが1つだけ見えた。そうだったのか、と僕は思った。

人生は喜びにあふれ、日常は刺激に満ちている。僕が退屈であると決めつけ、見向きもしなかった日々の暮らしは、こんなにも満ち足りたものだったのだ。引き金を引けば引くほどに、遠くで何かがはらりと落ちた。途切れ途切れの日常は、こんな風に繋がってゆくのだ。徒労に思えた事もまた、銃身の先の遠くのどこかで、誰かにぐさりと突き刺さるのだ。その喜びが僕を満たし、明るい光が僕を照らした。パァン、パァンとまた撃った。

ところが、あいにく、運悪く、スナイパーライフルというものは、知らない遠くの誰かしらが、鉄を折り貼り作らぬ事には、1つぶの銃弾も撃ち出せない。自然と僕が握りしめていた、その鋼鉄の塊は、空を見た隙に居なくなった。メトロの駅へと降りていった。日ごと、日ごと、退屈が、喜びのない日常が、下の方から、下の方から、じわり、じわりと砂に舞い、僕の方へとにじり寄っていた。違うのだ、生きるとは喜びなのである。生きるということは、それ自ずから幸福なのだと、その辺に落ちてあった手斧を拾い、遠くに見える人影めがけ、勢いをつけて放り投げた。

手斧は手斧でくるくる周り、僕の視力じゃ見えないくらいの遠くに見えた人影に当たり、脳天を割って、そこで止まった。どこかで、何かが、はらりと落ちた。辺りの手斧を投げ尽くした僕は、遙か彼方の人影めがけ、自らの手で強く握った、右の拳を打ち放つのだ。