2005年2月28日月曜日
シリアス、バグ。
「どうして痩せないんだろう」と嘆く乙女。
それは、余計なものを食べているからである。
同じように、お金が貯まらないのは余計な出費を行っているからであるし、眠れないのは余計な事を考えているからであり、学力が向上しないのは余計な時間を過ごしているからである。
そういう人間に限って、「どうして」と嘆く。
まったく、真剣さが足りない。
少しばかり気合を入れて真剣に取り組めば上手く行くのにだらだらと、適当に物事をこなしては不満と失望を蓄積させるというのは愚の骨頂である。
無論、世の中には努力と真剣さだけでは解決できない事柄もある。「どうして空を飛べないんだろう」と嘆くだけであった人間が真剣に空を飛ぼうとした所で、誰もが誰も飛べるわけではない。
しかしながら、そのように困難な事柄というのは極めて少なく稀である。
世間に横たわる物事の大半は、気合を入れずとも、怠けるのを止めさえすればうまくいく。必要なのは、少しばかりの真剣さなのだ。
ただし、本人が真剣にやっているつもりであっても、真剣さというものが何であるかを理解していなければ意味が無い。
「どうして痩せないんだろう」の前に、「真剣にダイエットをしているのに」が付くか付かないかの違いだけで、結果はまったく変わらない。
こう書くと、なにやら真剣さというものが極めて困難なものであるかのような響きを帯びるが、実は真剣さというものの正体は至って簡単、単純にして明快なものである。
それは、余計なものの有無である。
人間というものは案外にへぼい。
2つの事を同時には出来ない。
どのような優秀な人間であっても、息を吐きながら息を吸う事は出来ないし、パナマ運河を掘りながらスエズ運河を掘れはしない。一人一つが限界である。文武両道などというものもあるにはあるが、それはそれぞれを別個のものとして真剣に取り組んでこそ成り立つものである。
思い当たって思うに至り、問題点は明確になる。
僕には真剣さが足りない。
強くなりたい、正しくありたい、ゲームがしたい、もっと、もっと、もっと、なにか。けれどもなぜだかうまくはいかない。今となっては明らかである。僕と僕を取り巻くその全てという余計なものを気にしては、余計な時間を過ごしていたからである。
余計な物に包まれて、余計な事を考えながら、なにもかもが上手く行かないふりをしてあれもこれもがどうしてだろう。どうしてだろうとぐだをまいては嫌になり、余計な世界へ逃げ込むループ。
余計な物が多すぎる。
僕が今日、なにもかもが上手く行かずにどうしてだろうと嘆く真性引き篭もりである理由は、余計なものが多すぎるというその一点に起因するのだ。他の理由はまったく無い。
いらない、いらない。全部いらない。
インターネットもDOTA allsatarsも300万本売れるシューティングゲームも、ブログもメールもブログ巡りも、ネメシスも早業のハルバートも朝も夜も、無理して食べる食パンも、ウェブサーフィンも書く文も、全てが全て余計でいらない。
僕は僕というものが上手く回らない全てを捨て去り改める為、真剣に、インターネットもDOTA allsatarsも300万本売れるシューティングゲームも、ブログもメールもブログ巡りもネメシスも早業のハルバートも朝も夜も、無理して食べる食パンも、ウェブサーフィンも書く文も、全て捨て去りシリアスに、僕は真剣に真性引き篭もる。