2005年2月24日木曜日

脳内彼女



脳内彼女を作ろうと努力をしたのは、1度や2度の事ではない。
けれども僕には出来なかった。


この国のどこかに将来僕と一緒になる人がいて、その日が来るまで待てばいいと思ってた。まで待とうと思ってた。けれども一人待つのは寂しくて、待ちくたびれて、誰かを探した。
脳内彼女を、探して瞑った。
脳内彼女が欲しかったから。違う日常が欲しかったから。
歩いたり、走ったり、沈む夕日を惜しんだり、2週間も口を聞かなかったり、部屋の財布を持ち逃げされたり、またよろよろとぎこちなく、腕を組んだりしたかった。

けれども僕には出来なかった。
脳内彼女が作れなかった。
僕と誰かの恋物語というものは、コメツキムシとマッコウクジラの4時間に及ぶ決闘を想像するよりも難しく、荒唐無稽なものであり、言葉足らずの僕の脳では成し遂げられぬ大事業だった。
何度も何度も試したけれど、まずなによりも無理だった。
脳内彼女を思い描く前に、僕自身を思い描くという事が出来なかった。






ところで見事に話は変わる。
いや変わらないのだけれど、アマゾンアソシエイトです。

左も左赤も赤、極左の極左の真っ赤っ赤な真性引き篭もりとしては、
>「村社会に貨幣経済が導入されて、共同体が崩壊うんぬん」
といった話を思い出されるのは非常に光栄なのですが、そこはですね。

そこはですね、やはりアマゾンアソシエイトでNOと言えで書いたのはあくまでもゲームレビューとアマゾンアソシエイトの関係であり、作業用アプリケーションだとか本だとかCDだとかといったものの事まで考えて書いたわけではないのです。
ピンポイントの狭い範囲を対象として書いたわけです。

評価の指針が無い上に、かなり特殊な商品です。
数十時間の拘束を求めるのは当たり前で、価格は書籍の3から5倍で、ベストセラーの10倍以上も売れる商品が定期的に出ます。よく出来たソフトウェアは往々にして糞ゲーであり、売り上げのよいソフトは往々にしてよく出来ている。よく出来ているからして良いレビューなど書き放題で、それは非常に魅力的であり、大抵の人は泳いでしまうのです。

「ゲームが全て」という捻じ曲がった人生を歩んでいる人間は大勢いるわけで、そういう人達にとっては、ネット上に存在する数少ない優れたゲームレビューの書き手がアマゾン川に行ってしまうという事は真に由々しき事態なのです。
欲望の権化が週に10冊30時間というのは可能ですが、週に10本200時間というのは不可能で、やっぱりいいレビューが欲しいよね。という、特殊な人の特殊な死活問題に焦点を当てたアンチアマゾン.comなのです。







と、一応アマゾンアソシエイトにNOと言え、である。
けれども実は、あれを書いた本当の所はそこではない。
もちろん、そういうつもりでも書いたというのは事実だけれど。


>悪いゲームレビューブロガーによる悪いゲームレビューブロガーへのエントリー。
というのは、真性引き篭もりから真性引き篭もりへのエントリーという事であり、

>インターネット革命をもう一度。
というのは「ドラゴンクエスト」と検索した日のときめきを。

>ウィザードリークラシックスだけであり、
で「シドマイヤーズアルファケンタウリしか貼ってないから」という言い訳を潰し、

>その神経を疑うのだが。
止めを刺して人格否定。




「村社会に貨幣経済が導入されて、共同体が崩壊うんぬん」
とはまったくの、別のおはなし。
書いた本人くらいしかわからない。
なにせ、真性引き篭もりですから。
実は、こちらがメインであったのです。




確実な未来はおろか、不確実な自分自身すら思い描けなかった僕にとって、唯一思い描けるばら色の未来というものは、かなりの長きに渡りドラゴンクエスト6の発売のみであった。
それは僕にとって希望であったし、脳内彼女でもあった。
あと百万回瞬きをすればドラゴンクエスト6、あと300回目覚めればドラゴンクエスト6、あと100回登校すればドラゴンクエスト6、ドラゴンクエスト6。
その希望はこともあろうかドラゴンクエスト6によって打ち砕かれたわけだけれども、それでも僕は年に2本のゲームソフトを選択する為に、週末が来る度本屋へ通い、ゲームレビューを読み漁る迷惑な客をやり続けた。
そしてオープニングとBGMだけがよく出来た糞ゲーを掴まされては、糞ゲームレビューと糞雑誌と糞スポンサーと糞企業、大人というものを憎んで泣いた。


やがて5年の年月が過ぎ、インターネットに出会うに至り、ゲームレビューを手に入れた。更に少しの時が過ぎ、僕はコメントに流されて、悪いゲームレビューを貼り付けた。

いやになった。
呼吸を忘れて耐え忍べば訪れるはずだった未来はそこにはなくて、辿り着いたのは真性引き篭もりであったというだけでも金縛りであるのに、あの日憎んだ大人のようなものになってしまったという事はとても悲しくて、投稿ボタンを押すに至った。
コメツキムシやマッコウクジラにはなれなくても、脳内彼女と出会えなくても、せめてあの日々に思った「ゲームレビューを読みたい」という希望くらいには答えてやりたかった。
けれども、それすら成せなかった。

おそらく彼は罵り憎む。
僕の姿に激昂する。
罵詈雑言を浴びせるだろう。
僕がああにまでして耐え忍んだのに、それがお前のやり口なのかと。
汚くずるい、恥を知れ。おいしいとこだけ取りやがってと。
あほやまぬけでは済まぬだろう。




結局の所、彼の努力は無駄だった。
近所の大きな本屋を避けて、遠くの本屋へ半日漕いだ彼の望みは、ひとつぶひとつぶ結露と消えた。僕がぬぐって消し去った。
人として彼の努力に応えてやる事は出来なかったし、
彼の上った坂道の、百分の一も上れなかった。
もっと、もっと、流された。
僕の努力は全部嘘っぱちで、彼の努力は全部本物であった。
土下座をしても、まだ足りない。
僕は、僕の、まがいもの。