おまえには、人の心がない。

おまえには、人の心がない。


そう自らに罵られて目が覚めた。こんな朝早くから、とても悲しい気分だ。彼の言う"人の心"、というものが何を指すのかは僕にはわからない。わからないけれど、そんなものは僕には無いだろう。人の心というものは、人にこそ宿るものだ。人として生まれ、人として扱われ、人として育った者に、自然と宿るものだ。人として暮らし、人として振る舞い、人として生きる者に、自然と宿るものだ。そんなもの、僕にはあろうはずがない。無いのだ。僕には、人の心が無いのだ。それでも世間に併呑されて、いかにも「わたくしには人の心があります」という振りをして生きてきた。けれども、それは猿真似である。見よう見まねの其の場凌ぎで人の心を模倣していただけで、人の心というものが、芽生える事など終ぞなかった。

世間では、人に備わって当然のものであると思われている衝動、感情、思考、それら全てが僕には無いのだ。たとえば存在していたとしても、原形を留めぬまでに、いびつに歪んでしまっているのだ。その事で、僕は非難される。おまえには、人の心がないと責められる。けれども、声を荒げたいのはこちらの方だ。人を寄越せ。人間を寄越せ。人の心が当然宿る、当たり前の人生を寄越してくれ。そうすれば僕にだって人の心が宿るだろう。真っ当な人間として、他の誰かとうまくやっていけるだろう。あるいは自らの人生や世間一般の物事と、折り合いをつけて生きていけるだろう。

もしも今仮にこの僕に、人の心が一寸でもあれば、人の心が当然宿る、自然な人生を手に入れようと懸命に藻掻き、唇を噛み、毛を毟り取り、その痛みから何かを学び、馬車馬のように働き、必死に足掻いて懸命に戦い、自らの生活を変えようとするだろう。人の心が当然宿る、今とは別の人生を手に入れようとするだろう。けれども、僕には無い。人の心が無い。朝起きて、元気になって、懸命にブログを書いている。決して人が人として扱われる事の無いインターネットの片隅で、必死でブログを書いている。眠たくなれば眠たくなったで、明日こそは頑張り努力して、一生懸命ブログを書くんだと自らに誓い、言い聞かせながら眠りに落ちてゆく。人の心が無い。僕にはない。