勉強は贅沢ではない。林修の害悪的言説に対して

林修という人が、勉強は贅沢だから嫌ならやめろという話を、公共の電波を使って行ったという話を目にし、朝から暗澹とした気分になった。

「両親が面倒を見てくれて学校に行かせてくれるだけではなく、高い授業料を払ってくれているのだから、嫌ならやめろ」と、この林修という人物は言うが、学校に行かせているのは両親では無い。日本国民を学校に行かせているのは、私達日本国民である。日本国民を代表する、日本国政府である。人が豊かな人生を過ごすためには教育が必要であるという合意が広く成されており、それ故に我が国の政治家は誰一人として教育を廃止しようとはしない。日本国民を学校に行かせているのは、我が国であり、それは即ちその主権者たる日本国民であって、両親ではない。

もちろん、高い授業料を払っているのも、両親ではなく国民である。私達日本国民は、一人当たり約100万円以上の授業料を支払っている。子供を学校に行かせているのは国民で有り、高い授業料を支払っているのも国民である。それでも、国民の支払い額は足りないということで、高校の授業料は無償化され、就学支援金も支給されるようになったのは、つい先日の事である。高校の授業料無償化により、高校進学率が過去最高を記録している。これは当然のことである。

我が国の殺人事件の10件に1件は親による子殺しである。親が子に害を成す事は間々ある。そういった負の連鎖を止める為に存在しているのが教育であり、我が国は国民の幸福の為に、豊かな人生の為に、子どもに勉強をさせているのである。それに対して、嫌ならやめろという言説の、なんと愚かなことか。勉強が嫌ならやめろという言説は、私達国民に対する宣戦布告に等しい。どのような生まれと育ちを持つ者にも不公平無く教育の恩恵をもたらし、富を再配分する為のシステムである勉強というものが機能するように努力を重ねるのが教育というシステムのあるべき姿である。日本国民は日本国民の幸せを望んでいるし、わたしはあなたの幸せを望んでいる。たとえ望んでいないにしろ、望んでいることになるようなシステムこそが、子ども達に勉強をさせている、日本国政府という存在なのである。林修なる者は、我が国の教育にとってもっとも有害な言説を類いの人物である。

聞けば林修というのは、私達国民が子ども達に行っている教育の外側にいる、金儲けの為に我が国の教育システムを利用している人物であり、尚且つ金持ちの息子である。ギャンブルで1800万円の借金を作ったというが、いったい我が国にギャンブルで作った1800万円の借金を両親に肩代わりさせる事の出来る環境に居る人間がどれだけいるのか。そしてそのような人物が、「勉強は贅沢だ」と公共の電波を使って勉強というものの価値を毀損する事を商売として行い、大金を稼いでいるのだ。こういう人間が、我が国の未来にとって、そして我が国の現在にとって、最も有害な人物である事は疑いようのないところであるが、大臣がすすんで親学なるものを推進する自民党や民進党などとは極めて親和性の高いものなのだろうなあと、暗澹とした気分になった。