2005年9月19日月曜日

真っ直ぐなボール(5)






僕は天才であった。
疑う余地の無い天才であった。














手詰まりだった。







誠意を持って平身低頭懇願してもかき消された。
嫌われるようにとバイアスをかけたブログも効果は無かった。
何を言っても無駄、何を書いても無駄、何を説いても無駄、無力。
言葉の無力、文章の無力、誠意の無力。
手詰まりだった。







けれども、僕には切り札があった。
他に頼れるものはなかった。
もうそれしかなかった。







全てが終わるのだ。
いや、もう終わっているのだ。
そう思うと、これまでの苦痛が嘘のように和らいだ。










午前0時を回る頃、彼女のログと彼女とのログを全てもう一度読み返し終えた僕は、味付け海苔の空箱の蓋を開けて紙幣を4枚掴み出し、PCのスイッチにそっと触れて部屋の明かりを消してからいつものままの破れたシャツのその格好で、音もたてずに部屋を抜け出し家を出た。


三年ぶりに見上げた空は、梅雨の終わりの雲に覆われ、星一つ無かった。
自分は同じ星空を見上げる事すら許されていないのかと、己の身分を再確認させられ少し悲しい気分になった。街はすっかり変わっていた。すぐに小雨が降り出した。


真性引き篭もりhankakueisuuは常に人々に好かれ、嫌われ、憎まれ、愛され、褒められ、面白がられ、笑われ、泣かれ、喜ばれ、悲しまれ、時には喝采を浴び、時には忌み嫌われた。けれども、僕のこれまでにはそんなものは無かった。常に僕と共にあったのは唯一ゲームだけだった。


幸か不幸か、赤の他人を心の底から妬めるような若々しさは初めから無かった。
僕は気がついたときにはもう疲れ果てており、自分のことで精一杯だった。
けれども生憎困ったことに、僕は真性引き篭もりhankakueisuuだった。


相手が自分となると、話は別だった。
嫉妬した。憎んだ。心の底から彼を憎んだ。僕が数日かけて書いたエントリーは全て真性引き篭もりhankakueisuuが持ち去って行った。しかも、そうして僕が書いたものは往々にして目もくれられず、真性引き篭もりhankakueisuuが脊髄反射で書いたエントリーの方が常に評価され続けた。


僕は真性引き篭もりhankakueisuuをなんとかして破壊しようとした。
けれども彼は強く、僕は弱かった。壊れたのは僕だった。そして具合の悪いことに、僕は真性引き篭もりhankakueisuuだった。なにもかもがうまくいかなかった。ただ彼への憎悪だけが増幅し続けた。


有耶無耶の中で唐突にさよならを言われ、僕の人生は彼に完全に乗っ取られた。
DOTA allstarsはもう二度と戻らなかった。ゲームをしたかった。本当にゲームをしたかった。そうすれば痛みも少しは和らぐだろうと思った。けれども真性引き篭もりhankakueisuuがそれを許さなかった。僕は彼に引きずり起こされブログを書き、投稿ボタンを押しては倒れた。頭痛薬のストックはすぐに尽きた。けれども買い足す事すら出来なかった。何故なら僕は真性引き篭もりだったから。


たった一晩数回だけ告げられた、好きという言葉を唐突に思い出した。
それっきり、そのような事は二度と言われなかった。彼女は常に巧妙に身を守った。何も言わずにただ相手をしろと言い続けた。もちろん、全く違う文脈上で好きだと言われた事はなんどもあった。けれども、そう言われたのはその夜だけだった。おそらく、強い酒にでも酔っていたのだろう。彼女の事を考える度に、彼女のログを読む度に、酷い人間に捕まったものだと何度も後悔した。けれども抗えなかった。彼女が他の誰かのように表裏のない誠実でまともな人間であったならばどれだけ楽だろうかとも考えた。もう手遅れだった。


彼女らとメールやチャットをする中で、当たり前のように当たり前の事を言えたらどれだけ楽だろうか、どれだけ楽しかろうかと思い描き憧れて、そうしたいと願い続けていた。心の底から願っていた。けれども、真性引き篭もりhankakueisuuの正しさへの欲求がそれを許してはくれなかった。


確かに彼の言い分は正しかった。
僕のような人間が人様の時間を浪費させるなどという事は純然たる罪であり、真性引き篭もりという己の生業はそのようなぬるま湯的娯楽が決して許されぬ存在であることを如実に指し示していた。


僕は話がしたいと思い続ける中で真性引き篭もりhankakueisuuが「うざい」「失せろ」「黙れ」「もう二度と連絡してくるな」と己の信念に従い突き進む様を、どうする事も出来ずにただ眺めていた。気が狂いそうだった。事実気が狂いそうだった。


この一年間で僕は色々なものを色々な人達から与えられた。
それらに指を伸ばしたその瞬間に真性引き篭もりhankakueisuuが信念という巨大な鋼鉄のハンマーを取り出して木っ端微塵に全てを打ち砕いていった。与えられたそばから全てが消えていった。僕の手元に残ったものは穴ぼこだらけに砕け散った粉々の喪失感だけだった。


先の見えない不安はあったが、ゲームを辞める事が出来たという1つの成果がその不安に打ち勝って、これこそが正しい道なのだと信じて真性引き篭もりhankakueisuuを動かし続けた。僕はもう随分と良くなった。きっともう一息なのだ。正しいのだ。そう思っていた。幻を追っていた。


彼女は、その正しさという幻想を完全に破壊してくれた。
彼女の前では真性引き篭もりhankakueisuuの誠意など無力。
彼女の前では真性引き篭もりhankakueisuuの信念など無力。
彼女の前では真性引き篭もりhankakueisuuの正義など無力。
全てが無力、何を言っても無駄だったのだ。







既に覚悟は出来ていた。
僕が真性引き篭もりhankakueisuuとして彼女に接するのは、これで最後だと決めていた。もしもこれが潰えたならば切り札を使おう。そう決めていた。そう決めてから彼女に乞いた最後のチャンスが一瞬にして潰された時、僕は彼女の横暴さに始めて感謝した。










心の底から感謝した。
僕は彼女に会いに行く。












手持ちのカードは増えないのに、手持ちのカードを切ってゆく。
これがババ抜きや大富豪であれば、僕は幸せ者だろう。
無くなったら勝ちなのだから。














僕は全てを終わらせる事の出来る切り札を最初から持っていた。
それは言うまでもなく僕自身だった。


好かれているのは真性引き篭もりhankakueisuuであり、決して僕ではなかった。
評価されているのは真性引き篭もりhankakueisuuであり、決して僕ではなかった。


僕は真性引き篭もりhankakueisuuとはかけ離れた存在であり、醜く、薄汚く、不愉快で、見窄らしく、みっともなく、汚らわしい、誰からも等しく嫌われる存在であった。




僕は彼女とのチャットの中で、「騙されている」「騙されている」と何度も何度も繰り返し言い続けたた。言うまでもなく彼女は真性引き篭もりhanakakueisuuに騙されており、僕はその幻影をなんとかして破壊しようとした。けれども、自分自身を破壊したくはなかった。下手をすれば自らの誠心そのものを破壊してしまうかもしれないという恐怖があった。言えるだけの事は言った。何一つうまくいかなかった。本当にどうすればいいのかわからなかった。やれるだけの事はやったのだけれど、それでも彼女は追ってきた。僕は諦めた。


そして僕は彼女に会いに行くことにした。
そう決めると心は軽くなった。


これまでのように終わらせる為に努力をする必要は無くなった。
なぜなら、既に終わったも同然なのだから。
もう既に嫌われたも同然なのだから。


彼女に冷たく当たる理由は消えた。
自分を責め続ける理由も消えた。








どうせ終わるのだから、せめてそれまでは出来る限り彼女に優しくしよう。
これまで冷たくあたった罪滅ぼしにせめて彼女を満足させてあげよう。
彼女が望むように彼女を評価し、彼女が望むように彼女を褒めよう。
僕で彼女の寂しさが埋まるのならば、気が済むまで付き合おう。
彼女が読めというものは全て読み、甘い感想を送り返そう。


会うその日までの2月足らずの間だけは、力の限りいい人をしよう。
そして、彼女が何度も望んで言って願ったように、会ってあげよう。会いに行こう。







初めからこうしておけば良かったと、少しだけ後悔した。けれどもこれは2月足らずだからなんとか耐えうることで、それ以上は無理だったかもしれないとも思った。







そして、僕は彼女にしてあげられることは無いかと探した。
どんなことをしてあげれば彼女は喜んでくれるのだろう。
何かできることはないだろうか。
喜んでもらえるようなこと。
思い浮かばなかった。







ふと、彼女が何度もしつこく誕生日を尋ねてきていたことを思い出した。
僕にとって誕生日とは一年で最も忌まわしい日であり、当然にして教えたりはしなかった。「教えてくれたら祝ってあげるのに」「言ってくれたらなにかあげるのに」と未練がましく言っていたのを思い出した。







誕生日を祝ってあげればよいのか。
そうすれば彼女は喜んでくれるのか。
ならばそうしようと思い、誕生日祝いのグリーディングカードを検索エンジンで探したりもした。けれども、どれも安っぽく、人間というのはこんなものを貰って喜ぶ生き物なのかどうか、という所がよくわからなかった。そこで何か無いだろうかと探したのだけれど、何も思いつかなかった。







25歳の誕生祝い。
何か送れるもの。
彼女の役に立つもの。
彼女が喜んでくれるもの。
彼女が幸せになるようなもの。
何も思い浮かばず、僕は途方に暮れた。










そんな中、開設されたばかりのはてなダイアリーが真性引き篭もりhankakueisuuの底引き網に引っ掛かった。一瞥してわかった。これは彼女だ。プロフィールは何もかも違うけれど、絶対にこれは彼女だという確信を持った。真性引き篭もりhankakukeisuuのブログに対する執念じみた読欲力に感謝した。







これだ。
僕は彼女の誕生日に言葉を贈ろう。
それもただの言葉じゃなく、彼女が使える言葉を贈ろう。


25の誕生日だから25。
誕生日祝いだから181。
はてなポイントを送ろう。
これなら喜んでくれるはずだ。


25181ポイントあれば、ドレスだって買えるし、耳飾りだって買える。電車にも乗れるし、温泉にだって浸かれる。映画だって観られるし、音楽だって買える。任天堂DSも、DragonQuest8も、WarCraft3も買えるんだから、きっと喜んで貰えるだろう。







そう思った。
けれども、少し迷った。
祝い、というのは不躾ではないのか。
お祝い、にするべきなのではないのかと思い悩んだ。


思い悩んだのだけれど、僕の手元にはもう250181円という大金は無かった。もう一年出会うのが早ければ、もう一年出会うのが早ければ"お祝い"に出来たのに、とこみ上げる悔しさを噛み殺した。何か売り払って金に出来るものは無いかと部屋中を見渡してみたけれど、もう既に全て売り払っていたか、投げ捨てていた。パソコンを売れば、と少しだけ考えたけれど、それは本末転倒であるし、そもそも売れるような代物ではなかった。何もなかった。どうする事も出来なかった。僕は諦めて、25181ポイントで妥協することにした。はてなポイントの所持上限が10万ポイントだと知ったのはそれから随分と後の事だった。







必ずや、喜んで貰えるだろうと思った。
彼女はチャットやメールの中で、「君にいつか、私の書いた文章を読んで貰いたいのだ」と繰り返し言っていた。きっと僕がそのはてなダイアリーを読んでいたという事を知らせてあげただけでも、彼女は喜んでくれるだろうと考えた。


そして午前0時を回る頃、彼女のログと彼女とのログを全て読み返し終えた僕は、はてなのアカウントを取得して、はてなポイントの購入手続きを3万円分行って伝票番号をメモに取った。


そうするともういてもたってもいられなくなり、味付け海苔の空箱の蓋を開けて紙幣を4枚掴み出し、PCのスイッチにそっと触れて部屋の明かりを消してからいつものままの破れたシャツのその格好で、音もたてずに部屋を抜け出し家を出た。










三年ぶりに見上げた空は、梅雨の終わりの雲に覆われ、星一つ無かった。












インターネットとは死後の世界だ。
ここは即ち地獄である。
あるいはもしくは天国だ。














その6
全て