2005年9月19日月曜日

真っ直ぐなボール(4)






人というのは生まれながらにして差がある。














アランドロンは実在する。
そういうことである。




世界はアランドロンで満ちているのだ。
そういうことなのだ。




つまり僕はアランドロンそのものである。
簡単な話である。




人は皆アランドロンとして産まれ、アランドロンとして死ぬのである。
アランドロンになりたいと思っても、アランドロンにはなれぬのである。







けれども全てのアランドロンがアランドロンなわけではない。
誰もがそれぞれにアランドロンを持っているというのは幻想である。
しかし、誰もがそれぞれにアランドロンを持っているというのは事実である。







アランドロンだけがアランドロンを持ち、オードリーだけがオードリーを持つ。
仲間由紀恵だけが仲間由紀恵を持ち、松浦あやだけが松浦あやを持つのだ。
バッジョだけがバッジョを持ち、ベッケンバウアーだけがベッケンバウアーを持つ。今ロベルトバッジョが頭に浮かんだ奴は人生の負け組だ。小泉にでも投票してろ。ディノバッジョを思い描いた奴だけが勝ち組だ。さあ、公明党に入れよう。神を信じる奴は馬鹿だ。







アランドロンの存在を認めるという事は、アランドロンになれない人間の存在を認めるという事である。「君は天使のような人だ」という言葉があるが、そういう事を言う奴は絶対に信じてはいけない。何故ならば天使など存在しないからである。仮に天使のような人というものが実在するとすれば、それは女医か療法士だ。違いない。きっとそうに違いない。逸れた。







特別な才能を持つ人がいる。
周囲の空気を明るくしたり、一緒にいる人を幸せにしたり。そのような人々は常に世の賞賛を受ける。彼の人は素晴らしい。彼の人は凄い。私は彼の人のようにはなれない。


けれども、その存在、言うならばアランドロンの存在を認めるということは、アランドロンの逆側に立つ人間の存在を認めるということである。悪い。醜い。不愉快、不快。


そして、世の中は醜い奴は醜い方へ、悪い奴は悪い方へと消えていくように出来ている。
ところが、インターネットはそうではない。どれだけ文章を書いても醜さは真には伝わらないし、どれだけ文章を書いても気持ちの悪さは伝わらない、どれだけキーボードを叩いてみた所で0と1とが飛び交うだけで、アランドロンは届かない。










即ち僕はアランドロンそのものである。
なのにここではアランドロンが機能しないんだ。












お久しぶりです。
以下長いんですけど、読んでもらっても読まなくてもそのまま削除してもしなくても笑っても嘲笑しても罵倒しても罵っても無視しても公開してももう何でもいいです。


好きにしてください。














それから数ヶ月後。
彼女からメールが来た。
それはあまりに突然だった。
そしてあまりにも酷い内容だった。
苦悩して取り戻した平穏に訪れた青天の霹靂であった。










何よりも解らなかったのは文末であった。
僕はその意味が全く理解できず、なんとかしてそれを読み解こうとした。自分の中の誰かが彼女の行動と文章と口調と態度に、いやむしろ彼女の存在そのものに対して反射的に半狂乱で激昂の方へ突き進んでいた。それを全身全霊で押さえつけながら、僕はそのメールを獣道が出来るくらいに繰り返し読み続けた。何が書かれているのかを理解しようと試みた。





君の勝ち、圧勝、ヴィクトリー。
じゃ、そういうことで。
おやすみ。



僕は勝って、圧勝して、ヴィクトリーしたのだ。
そう書かれているのだから、そうなのだろう。



一体、いつ?
一体、何に?
一体、誰に?
どのように?


どれが勝利なのだ。
その勝利で僕は何を勝ち取ったのだ。
僕の記憶にあるものは皆、敗北敗走その類だ。







どれが勝ちなのだ。
どれが圧勝なのだ。
どれがヴィクトリーなんだ。


手にしているものを洗いざらい懸命に思い返した。
けれども何一つ見つからなかった。







何もなく、何の記憶もなく、何も想像出来なかった。
過去未来現在将来前世来世に及ぶまで探し求めて駆け巡ったが、私の中には何もなかった。巨大な肉食のオオトカゲに押し倒されて後頭部を噛みつかれているかのような激痛だけが脳の中で叫び増幅し続けた。僕の人生は正しく、完全な敗北が具現化した姿だった。勝利なんてどこにもなかった。惨めだった。







これは僕の話ではないのではないか、そう考えた。
以前、宛先を間違えたメールが彼女から送られてきたことがあった。
僕はそのメールを読んで、彼女がどうしようもなくいい加減でふざけた人間であるということを再確認させられ、頭を抱えながら自嘲で腹の底から気が済むまで声も出せずに笑い続けたあとで、大きく震えた息を長く、長く、1つだけそっと吐き出した。何も見なかったことにして何も言わず、それまで通りに過ごして過ぎた。その時の内腑を劈く激痛が蘇り、五臓六腑を切り裂いた。




けれども、このメール、即ち僕が勝利したとされているメールには明示的に真性引き篭もりhankakueisuuの事が書かれていた。そして僕は真性引き篭もりhankakueisuuだった。





混乱した。
酷く混乱した。
解らなかった。
何も解らなかった。
理解できなかった。
何も理解できなかった。














気がついたら彼女とチャットしていた。












長々と無駄な会話をありがとうございました。


大抵の女がそうであるように、わたしは会話に有意義性などを求めていないのですが、男性の君は、きっと退屈を通り越して呆れていたと思います。


特に君とは無意味な会話を繰り返してしまいます。
どうしてかと考えるのですが接点が余りにもないのが問題なのでしょう。
君が乗り気でないのを強引に誘っているのも問題だと思います。


もし、君が乗り気になってくれるなら、今度は有意義な会話ができるよう、何か準備して取り掛かろうとも思います。


よろしければ、お付き合いください。
いえ、金輪際関わりたくないと言われたとしても、またちょっかい出すと思います。




申し訳ないと思いながらも、こちらとしては(勝手に空いたと思っている)2ヶ月を埋めたいのです。 もう、全然ダメだと思っていたものが、君と会話をしていると、なんらかを期待してしまいます。




君が私をわからないように、わたしも君がわかりません。
それでも、私みたいな人間は真正面から言ってもらえないと歪んだボールではキャッチできないのです。
下手糞なりにも、自分が納得してキャッチできるまでは、どうしても引き下がりたくないのです。
チャットだからだらだらしていけないのかもしれません。
なら今度はしっかりとしたメールを一度送ろうと思います。




だらだらとでも、無駄にでも長期間一緒にいると、価値のないものでも価値のあるように見えてくる、また、好きでないものも好きになるそうです。(これがだらだらチャットの種明かしなのですが)


時間の共有というものは、人間関係を修復させたり、円滑にしてゆくのだと思います。


そうは言っても、君があまりチャットに乗り気ではないのなら、
メールで思うことを述べていこうと思います。
メールの方がいくらかは自分のペースで話せるような気がします。
今日は久しぶりでしたので、どうしても君を捕まえたかった。
それだけで長時間時間を潰してしまい申し訳ありませんでした。




明日から出張に行ってきます。
また、帰ってきたらなんらかのメールを書きます。


今日はほんとうにありがとう。
話せてよかった。





私が君に思うことを今晩纏めて書くと言ったけれども、もう夜も遅ので、この出張から帰ってきたらゆっくり話すよ。




いつか、君が本当のことを真っ直ぐなボールで話してくれたら嬉しいのだけれども、それは贅沢と言うものかな。


何もかも信じられないと言われているけれども、いつか信じてもらいたいと思う。




とにかく、また土曜日の夜には戻ってきます。
そうしたら、長いメールを書きたいと思います。


ではね


おやすみなさい。














「私は悪くない」
悪い奴はいつだってそう言う。










それでも僕は悪くない。




送られてきたメールを読む。
送られてきたメッセを読む。
それは当たり前のことである。


送られてきたメールを読んだ。
送られてきたメッセを読んだ。
当たり前のことを当たり前にやっただけだ。







真性引き篭もりhankakuesisuuに「結局の所」というフレーズを与えてはいけない。どんな話でも寂しさだとか孤独だとか孤立感だとかいったような、くだらない話に巻き取られてしまう。そういう場合には、「それおまえがさみしいだけだろ」とでも返してやればよい。もちろん、そこからは何も生まれないのだが。










結局の所、僕は嬉しかったのだ。
彼女がまだ真性引き篭もりを読んでいてくれたという事が嬉しかったのだ。


僕は彼女、あるいは彼女のような人間に嫌われたいと願い、嫌われるようなエントリーを懸命に意識して書き、好かれるようなエントリーは出来る限り書かぬようにと自らを制し続けていた。インターネットから孤立して誰からも見捨てられる事を願い、そうなるように出来る範囲内で努力し続けていた。もう既にこんなブログなど誰も読んでいないものだと思っていた。それなのに彼女はまだ読んでいてくれたのだということを知り、心の底から嬉しかった。







僕は自分が許せなかった。
強い怒りを抱いた。


自分のような人間が彼女の時間を食いつぶしている事が許せなかった。
激昂を越えた根源的な敵意で自らを叱責した。







そして、僕はこれまでに彼女とのチャットにおいて何十度も繰り返した言葉を取り憑かれたように言い続けた。うざい。失せろ。もうこれっきりにしてくれ。次の発言で最後ってのはどうだ。二度と連絡してこないでください。金輪際関わらないでくれ。あと三分でおしまいってことにしよう。もう一秒たりとも話をしたくない。


全ての提案は即時に却下された。
もはやどうしようもなかった。







僕は悩んだ。
真剣に悩んだ。


彼女はなんとかして話を先へと進めようとしていた。
僕のガードをこじ開けようと、あの手この手で攻めてきた。


今すぐにでも終わらせなければという焦りが刻一刻と高まって行き、正気を蝕んだ。このまま行けば、彼女によって歪められた自分自身が僕そのものを完膚なきまでに破壊してしまうのではないかという現実的な存亡の恐怖が精神の粒をプチプチと破裂させ続けていた。










そして1つの結論に達した。
僕には誠意が足りなかったのだと。
そして、誠心誠意お願いする事にした。
もう二度と連絡してこないでください、と。












こんばんは。
真性引き篭もりhankakueisuuです。


もう一度だけチャンスを下さい。
単刀直入に言うと、二度と話をしたくありません。


一切の縁を切りたいです。
ブログも読んで欲しくありません。




傷つけたいわけでも、悲しませたいわけでも、打ちのめしたいわけでもありません。
縁を切りたいのです。
関わって欲しくないのです。




もし、そうしてくれるのならば、全部忘れてチャラにしてください。
笑ってくださっても、罵ってくださっても、憎んでも怨んでも馬鹿にしても構わないので本当に、なにも無かったことにしてください。





これが最後のお願いです。
これは提案であり、懇願でもあります。
もしもこのような事を言われたくないとそちらが望むのであれば、もう二度と言いません。





けれども、チャンスを下さい。
一切のコンタクトを取らないでください。


それが僕からのお願いです。
もう無理強いはしません。
ほんの少しですが、悪かったかなとも思っています。


けれども、お願いです。
心よりのお願いです。
物凄く迷惑です。うざいです。
だから、一切連絡してこないでください。




絶対に、といった言葉は使いません。
提案であり、懇願です。
お願いします。
メールもメッセも、ブログの閲覧もしないでください。


お返事はいりません。
というか、返信してこないでください。




こういう事を言うと悪いのかなとも思います。
誓って、もう二度とこんな事は言いません。
だから、連絡を絶ってください。




もう一度言います。
返事はいりません。
いえ、返信しないでください。
一切のコンタクトを取らないでください。




以上、乱文お許し下さい。
真性引き篭もりhankakueisuu














一度だけ、たった一度だけ僕は願った。
強く、長く、願い続けた。







終わりますようにと。


その懇願の最後の一欠片を誠意に託し、メールを書いた。
もしもこれで駄目だったならば。
その時の覚悟は出来ていた。







けれども、通じると信じていた。
誠心誠意書いたのだから、大丈夫だと信じていた。


と言っても、信じていたわけではない。
信じたいものを信じようとしていただけだ。
それは、純然たる祈りそのものであった。







何度も何度も繰り返し、強く強く書いたのだからもう大丈夫だ。
全てが終わったのだ。


勝ち取ったのだ。
元通りの人生を。


取り戻したのだ。
相応しい日々を。


そう信じた。
信じた。
強く信じた。










誠意に託した最後のチャンスは彼女に即座に潰された。
祈りは潰え、願いは叶わなかった。
メールが届き、メッセが立ち上がった。







既に覚悟は出来ていた。
全ての苦悩が溶け消えた。










OK。
出番だ。
僕の出番だ。












人が圧倒的な力で恋にさらわれるように、神が君を選んで祈らせるのだよ。














その5
全て