2005年9月19日月曜日

真っ直ぐなボール(3)



誠心誠意、書いた。












こんばんは。
真性引き篭もりhankakueisuuです。


筆が進まないのは書きたくはない事を書こうとしているからであり、文章としての体だとかメールというものの気配りだとかそのような事は無視して単刀直入に書きます。




いつからか、ゲームをしてブログを書いていたらなぜか知らないけれどけったいなメールが来てそれに返信したりしてという非日常をそれなりに楽しんでいたのですが、このメールの送信を持っておしまいにさせて頂きます。


より解りやすくいうと、縁を切らせてもらいます。
メールもメッセもブログ閲覧もその他全てありとあらゆる係わり合いをお断りします。





どうしてか、と問われても一言では簡単には書けないのですが、とりあえず簡単に書いてみます。




まず第一に、人間の1秒というものは人それぞれにその価値が違うものです。価値のある人間の一秒はそれだけの価値があり、価値の無い人間の一秒はそれだけの価値しかありません。それは、決して等価にはなり得ない差です。


僕は僕の所持している1秒でそちらの1秒をこれ以上pay、相殺するつもりはありません。1円で100万円を買うつもりもなければ、1円を100万円で売るつもりもないという事です。




次に、当事者同士がどのように捉えているかどうかは別として、まっとうな人間はくだらない人間とくだらない時間を過ごすべきではありません。せっかくまっとうな場所まで辿り着かれたのですから、それに相応しい時間を相応しい場所で相応しい人間と過ごすべきである事は明らかです。人生の最も華やかしい時期をくだらないものに使ってよいはずがありません。


立派な人間がくだらない人間のくだらない文章を読んでくだらない時間を過ごしているなどという事実は、憤慨を覚えるに十分な材料であり、断じて許容出来ません。


また、安価な娯楽が目の前に転がっているからといってそれを選択するのは大きな間違いであり、安物買いの銭失いに他なりません。


一般的に考えれば真性引き篭もりなどというものは手頃値頃でお手軽なものではありますが、そのようなくだらない妥協で時間を無駄にするべきではありません。
十分な努力をしてこられ十二分に生きてこられたわけですから、それに相応しい人間とそれに相応しい娯楽を手に入れるように努力すべきです。機会はいくらでも転がっているでしょう。真性引き篭もりの文章を読むなどというものはまったくもって、ふざけた妥協であり、人生に対する誠実さの欠如に他なりません。もっと御自分を大切にすべきです。




そんな所です。
まあ。どうでもいいですが。
再確認というか念を押しておきますが、メールもメッセもブログ閲覧もその他一切お断りです。本当の所を言うと今すぐにでもブログごと今すぐに削除して消えてしまうべきなのでしょうが、自分にはまだ書くべき事がたくさんあるので、可能であればもうしばらくは続けるつもりです。


ですが、メールの返信だとかメッセだとかブログ閲覧だとかコメントだとかその他諸々の何かがあった場合はブログを削除して跡形も無く消え去りますので、フィードバックもブログへのアクセスも一切しないでください。全て無かった事にしてください。まあ、言わずとも人間というものは往々にして馬鹿であり、嫌がおうにも消え去るのでしょうが。





短い間でしたが、お心遣いは本当に有り難かったですし、感謝しております。
僕の人生において最も幸福に満ち溢れた一握りの時間であり、あなたのような素晴らしい方とくだらないというかたわいも無い当たり前の話を出来た事は本当に幸せでありましたし、幸せ者であり、とても楽しかったです。
何事にも終わりはあるわけで、余りにも遅すぎたというのが率直な感想であり、僕の怠慢あるいは汲み取っていただけなかった情熱あるいはしつこさの罪というものであったのかもしれません。責めるつもりはまったくありませんし、このようなメールを書かざるを得ないに陥ったのは全て僕の責任ですが。
送信ボタンを押すだけでそのようなくだらない関係がこれっきりの過去のものとなり全てに別れを告げる事が出来るという事は非常に単純であり軽薄であり非常に喜ばしく、まことに嬉しくてなりません。





支離滅裂でろくでもない文章になりましたが、どうせこれまでですので気を使う必要もなく、立つ鳥後を濁しただけでもはやどうでもいいです。今にして思えばやはりもっと早くにきちんと言うべきであったと反省しているところであり、本当に申し訳ないと思っているのですが。では、そういう事で。お元気で。お幸せに。さようなら。














3月の中頃、同じような文章を3つ書いた。
それぞれ、別のフォルダに保存した。







そして、それらを送信する直前に僕は、いつもより少しだけ優しい態度をとった。そうすればいいと考えたからである。




持ち上げておいて落としてやれば、fuck最低な男だと罵ってどこか他へと行くだろう。幸いにしてインターネットは広く、角砂糖に群がる蟻の数ほどに人が瞬き蠢いている。いくらでも代わりはいるのだ。真性引き篭もりhankakueisuuなんてすぐに忘れされられる。そうだ、これで全てが終わるのだ。このメールさえ送信してしまえば人様の人生の貴重な時間を浪費させずに生きられるようになる。僕は秩序ある綺麗な体に戻り、彼女らは正しい人生へと戻ってゆくのだ。




きっとうまくいく。
弱々しく願いながら最後のチャットに挑み、いつもより丁寧にいつも通りのまったく中身の無い適当な発言をし続けて夜を更かした。そして、いつものように話を遮って「じゃ」と(あるいは何も言わずに)PCの電源を落とすような事をしたりはせずに、ありがとう、おやすみなさい、さようなら、と言ってから相手が立ち去るまでずっと待ち、それから5時間ほど何もせずに時間を経過させてから、全てを信じて送信ボタンをゆっくりマウスで押し下げた。










誠意は、通じた。
MSNメッセンジャーのポップアップを毎日叩いていたメールが届かなくなり、いつもの時間になってもメッセが入らなくなり、ブログを書き始める以前と同じような静寂が僕のデスクトップを覆い始めた。




1人消え、2人消えた。
いや、消えたのではない、消したのだ。




1人消し、2人消した。
うまくいった。誠意は通じるのだ。人は話せば解るのだ。最初からきちんと書けば良かったと少し反省した。どうしてもっと早くそうしなかったのだろうと自分を責めた。真性引き篭もりhankakueisuuに「結局の所」というフレーズを与えれば即座に「僕は寂しかったのだ。」と返されるのだろうな、と自嘲気味に少し笑った。もちろん僕はそんなのは認めない。真性引き篭もりhankakueisuuはいつだって無理に結論を急ぎすぎるのだ。僕はただ、どうすればいいかわからなかったというだけなのだ。







僕は立ち直りつつあった。
4月1日に人生を再起動させよう。少し狂った行き道を正そう。
全部忘れて、全部無くして、身分相応に相応しい人生を取り戻すのだ。







そして僕は最後に残った1人とゆっくり話をした。
話をして、声を聞いて、ありがとう、おやすみなさい、さようなら、と言ってから彼女が立ち去るのをじっと待った。しばらくそのままぽっかり開いて動かぬままの口で息して過ぎてから、テキストエディタに保存してあった文章をメールの画面にコピーして、エイプリルフールが全てを壊してしまわぬようにと慌てて急いでそそくさと、追われるように送信ボタンを押し下げた。










全てが、終わった。
はずだった。












アタックオブザキラートマトという映画がある。
その映画の中ではトマトが人を殺すのだ。
それはトマトの復讐である。














映画はまずかった、映画は。
ここはゲーム中毒者のブログである。
映画を持ち出したのは適当ではなかった。


ゲームの話をしよう。










マーズアタックという映画がある。
その映画の中では火星人が人を殺すのだ。
ああ、これも駄目か。


ゲームの話というのは難しいものだ。












メールの返信だとかメッセだとかブログ閲覧だとかコメントだとかその他諸々の何かがあった場合はブログを削除して跡形も無く消え去りますので、フィードバックもブログへのアクセスも一切しないでください。














全てが終わったはずだった。
けれども、そうはならなかった。
予想外の出来事が起こったのである。










メールが届いた。
送り手は彼女だった。
連日連夜絶え間なく届いた。




僕は酷く混乱した。
一体どうなっているんだ。




誠心誠意心から、真面目に真剣にお願いをしたのに。
どうしてそれが通じなかったのかまったく理解できなかった。
なんだかとても恐くなり、MSNメッセンジャーのステータスをオフラインにした。
何が起こっているのか懸命に把握しようとしている間も、新しいメールが届き続けた。







彼女はメールの中で僕を罵倒した。
お前は私を傷つけた最低な男だ。お前のような酷い奴は他に知らない。私はとても怒っている。けれども今なら許してあげるから今すぐ私にメールをしなさい。




かと思えば僕を誘った。
若い男が女性に興味を持つのは当然の事です。
お姉さんが相手をしてあげるから今すぐ来なさい。




かと思えば僕を責めた。
君があんな事を言うから食事も喉を通りません眠れません吐きました気分が優れません。なんとも思わないのですか、これは全て君の責任ですよ。




かと思えば考えるのをやめろと言った。
何も考えずなくていいから今すぐメッセに来なさい。
私との時間は君にとって絶対に有意義なものになるのだから。




かと思えば僕に警告を発した。
君みたいなのときちんと話をしてくれる人なんて、この機会を逃したらもう二度と現れないよ。それでもいいの?いやでしょう?だから今すぐメールしなさい。




かと思えば僕を褒めた。
今日のブログは面白かったです。
少し感想とか言いたいのでメッセで待っています。




かと思えば僕を批判した。
私がメールを送り続けているのに、どうして君は無視するのだ。
失礼じゃないか。私は貴重な時間を費やして君の相手をしてやろうってのに。










何が起こっているのかわからなかった。
それは味わったことの無い恐怖だった。


誠心誠意お願いをしたのに、どうしてそれが通じなかったのかが理解できなかった。
僕は酷く困惑した。





なによりも、彼女の意図が解らなかった。
僕は彼女に書いた最後のメールの文章の中で、「もしもメールをしてきたら跡形もなく消え去る」と宣言していた。彼女は真性引き篭もりhankakueisuuを消し去ろうとしているのだと考えた。きっと、そうなのだと思った。


けれども、僕は消え去る訳にはいかなかった。
「もしもメールをしてきたら跡形もなく消え去る」という宣言は同時に、してこなければブログを書き続けますという宣言でもあった。ここでブログを削除して消え去っては、他の人への義が通らない。僕は困った。どうすればいいのかわからなかった。苦悩で脳みそが波打つのが感じてとれた。










それだけではない。
彼女は僕の為だけに新しいブログを書き始めた。


恐怖だった。
ありえない展開だった。


そのブログの存在もURLも何一つ教えられてもいないのに、開設初日にそれを発見してしまう自分自身の驚異的な執念にも似た検索能力も、ある意味では恐怖だった。




彼女はそのブログに「このブログを半年書き続けて彼に見せよう。」「通じればいいな。」などと書いていた。何だ。一体これは何だ。何が起こっているのだ。




あまりにも何もかもが理解出来なかったので、なんとか把握しようと彼女とのメッセのログや、メールログや、ブログのログを読み続けた。その間もメールは届き続けた。時には罵られ、時には責められ、時には褒められて、時には顔文字付きでおいで今すぐと誘われた。







そのメールを書いているのはよりによって、彼女だった。
こともあろうか、彼女だった。




僕は彼女からのメールを無視し続けた。
好いている人から責められ褒められ罵られ、誘われ続けた。
届き続けた。
開き続けた。
読み続けた。
無視し続けた。
気が狂いそうだった。
事実、気が狂いそうだった。










ところが、半年書き続けると言っていたブログが数日後には消えていた。
僕は少しだけ安堵した。けれどもメールは届き続けた。心の休まる暇がなかった。










止まぬメールの嵐の中で、狂気に怯えながらトリプルチームを書いていた。それは何か書けばこのメールが止むんじゃないかという希望でもあったし、事態を把握し直すためでもあった。




僕がトリプルチームを投稿した日を境に彼女からのメールは途絶えた。
全てが、終わった。
はずだった。










それは想定外の所から飛んできた。
その人は「あれじゃあまるで私が」と僕を非難した。


気分を害しているのだなという事が理解出来た。
「いい気味だ」そう思った。







一回り以上も歳の離れたその人は、真性引き篭もりhankakueisuu宛のメールやメッセの中で「ブログをやめなさい」と繰り返し言った。そう言われる度に僕は酷く腹を立てた。僕がブログを書き始めたのは人生への明確な意思そのものであり、決意だった。その決心を打ち砕こうとする物言いに対して、僕は強い敵愾心を抱いた。


やがて好いている人が自分のブログの読者の中にいるという事に気がついた僕にとってブログを書き続けるという行為は自身の道徳観と違わずに持てる彼女との唯一の貴重な接点であり、「ブログをやめなさい」という言葉は、その接点を打ち砕こうとするものに他ならなかった。敵愾心は憎しみへと形を変えた。


長い抗議が終わるのを黙って待っていると、それは突然に終わり「毎月メールさせて貰います」と言い残し、とりつく島なくあっという間に落ち去って行った。





「おまえそれただメールしたいだけだろ」
とタイピング中の出来事だった。












情報の裏側には、流し手の意図がある。
真に公平で公正な純然たる情報など、存在しないと言ってもよい。














その4
全て