2005年9月19日月曜日

真っ直ぐなボール(9)



気がついたら、3万はてなポイントが手元にあった。
それをどう処理するべきか悩んでいた。


仮にそれを現金化してしまうと、間髪入れずWarCraft3に化けてしまうという事は目に見えていた。そうはしたくなかった。WarCraft3なんて欲しくなかった。他の使い道を考えた。







誰かに送信しようと思った。
では誰に送るのかという問題になり、かなり迷った。例えばid:abaに送信したとする。けれどもそれは非礼に値すると考えた。無料で公開されているものに金を払うなど、極めて無礼な行いである。同じ理由でid:itaも消えた。


あとはid:hiyokoyaくらいしか思い浮かばなかった。id:hiyokoyaならば3万はてなポイントを使い尽くすことくらい容易いだろうと考えた。3万ポイントを捨ててしまいたくて仕方がなかった。それは忌まわしき金であり、汚れた金であった。すぐに行動に移した。







はてなのポイント送信画面に行き、id:hiyokoya宛に29000ポイントを送信した。
「送信後の残高が300ポイントを下回る場合は、送信できません。」と表示された。
おそらく、出来レースだった。


僕は冷静さを取り戻した。
金は己で稼ぐ者であり、己で使うものである。
自分のポイントを使って質問を行うからこそ質問は質問たるのだと説いた。
そしてid:hiyokoya宛のポイント送信を中止した。
あからさまな出来レースだった。







結局、僕は3万ポイントを1ポイントも消費できずにいた。
使い道が無かった。







ふと、はてな義援金というものが存在を思い出した。
そこに全部投げて、アカウントを削除しようと決めた。けれども、はてな義援金の受付は終了しており、受け付けられていなかった。行く宛の無い3万ポイントを抱えて途方に暮れた。これも、出来レースだった。







「災害が起こるのを待つ」というアイデアが浮かんだ。
ちょっとした天災が起こればはてなは義援金の受付を始めるだろう。
それまで待って、そこに送って、そしてアカウントを削除しようと決心した。


けれども、それは、災害を待ち望むという不謹慎さそのものだった。
倫理的に許せなかった。
出来レースだった。







彼女がインターネットのあちこちに書き散らしているものを全て読み続けていた。
まったく、酷いことになったもんだと僕は思った。ささくれだった3万ポイントが突き刺さって皮膚の彼方に潜り込んだ。WarCraft3を買い続けた。それでも僕は彼女に喜んで貰いたかった。彼女の誕生日が迫っていた。




どうすればよいのかわからなかった。
こんな場面に出くわしたことはこれまで無かった。幾ばく人生経験は何の役にも立たなかった。どう対処するべきなのか、どうやって切り抜ければいいのかまったくわからなかった。1人で考え続けた。答えは出なかった。情報が足りないから答えが出ないのだと判断した。彼女のログと、彼女とのログを読み続けた。それでも答えは出なかった。




色々なものが失われていった。
WarCraft3のCDキーだとか、金だとか、理性だとか健全さだとか、そういうくだらない代替可能なものはどんどん消えていった。けれどもはてなポイントは消えなかった。1ポイントも減らなかった。そして僕は彼女に喜んで貰いたかった。その気持ちは消えていなかった。25181ポイントあれば、香水だって買えるし、テーブルだって買える。海にも行けるし、山にも行ける。自転車も買えるし、靴だって買える。なんだって買える。SMACも、Diablo2も、WarCraft3だって買えるのだから、きっと喜んで貰えるだろう。一応は、そう考えていた。




毎日はてなポイントの送信画面をインターネットエクスプローラで開いては、悩み続けた。はてななんて無くなればいいのにと願った。けれどもはてなは消えなかった。はてなポイントも消えなかった。染みついた全ての記憶も消えなかった。何もかもがそのまま残った。彼女の誕生日が間近に迫った。




僕はその日の0:00が訪れる20時間も前からIEを立ち上げ、ポイント送信画面を表示させていた。全ての入力はもう済んでいた。何度か消して、また書き入れた。もうそうするしかなかった。耐えられなくなり、WarCraft3を注文した。0:00分が訪れた。




僕は躊躇した。
決心が出来ていなかった。2分が過ぎた。2万5000円で何が買えるのか頭に思い浮かべてみた。WarCraft3が4本買える。決心がついた。送信ボタンを押した。25181ポイントが消えていった。彼女の元へと届いていった。














音沙汰はなかった。
メールくらいは貰えると思っていた。


何も言ってこなかった。
メールボックスでF5キーを押し続けた。


何も届いていなかった。
何かが掻き消えた。
無くなっていった。







僕は酷く混乱した。
どうして、あの彼女がメール1つくれないのかが理解できなかった。
あの日あんなに苦しんで、誠心誠意書いた文章を一瞬にして粉々に打ち砕いて毎日毎日メールを送ってきていたその人が、たった1言、たった1行のメールもくれない。その事態が理解出来なかった。何が起こっているのか、まったくわからなかった。「ありがとう」の一言、a ri ga to uの8タイピング、いくら僕が無価値な人間だからといって、それくらいの価値はあるだろうと思っていた。ところがもうその価値すら無いのだと知った。悲しかった。彼女に喜んで貰いたかった。喜んで貰えなかった。辛かった。


2分遅れたのがいけなかったのだと思った。
遅かったから彼女は怒ってしまったのだ、きっとそうだと僕は思った。自らの優柔不断さを憎んだ。自分の駄目さが憎かった。後悔し続けた。なぜ躊躇したのだと、自分を責め続けた。憎くて憎くて仕方がなかった。憎悪だけが拡大し続けた。


もう1年出会うのが早ければ。
もう一年早ければお祝いに出来たのにと、そればかり悔やみ続けていた。出逢うのが遅すぎたのだ。だからありがとうと言ってもらえなかったのだ。彼女にとっては端金だったのだ。だから喜んでもらえなかったのだ。悪いのは僕じゃなくて、もちろん彼女でもなくて、出逢うのが遅すぎたからなのだ。そればかりはどうしようもなかった。時間を怨んだ。宇宙を怨んだ。神を怨んだ。悔しくて仕方がなかった。


それでも、25000円は確かに彼女の元に届いた。
それだけでいいじゃないか、それだけでいいじゃないかと自分を慰めた。彼女はきっとそれで何かを買うだろう。カーテンを買ったり、テーブルクロスを買ったり、グラスを買ったり、時計を買ったり、カメラを買ったり、写真たてを買ったり、何かを買って、それで彼女は喜んで、幸せになってくれてるだろう。


それだけでいいじゃないか、そう考えた。
事実、それで十分だった。僕はもうそれだけで幸せだった。彼女が一体何を買うのかを想像していると、僕は少し癒されて、心が少し安らいだ。WarCraft3を買い続けた。ありがとうとか、メールとか、そんなものはもうどうでもよくなった。














ある時、足元に何気なく投げ捨てていたものが目にとまった。
僕はそれを手に取り、声に出さずに声に出して読んだ。







平素は当店をご利用、賜りまして心より御礼、申し上げます、有り難うございます。
ご指定のお品は早速、本日の便にて発想させて頂きましたので御確認、下さいませ。
ニュートリノは今後も皆様にお役立て頂ける商品を取りそろえて参りますので何卒、変わらぬご愛顧の程、宜しくお願い申し上げます。
連日の残暑、お体をご自愛下さいませ。



僕宛に書かれていた。
筆ペンで書かれていた。
綺麗な字で書かれていた。
ありがとうと書かれていた。








頭を抱えた。
WarCraft3が届く度に僕はそれを読んでいた。
封を開けてまず最初に必ずそれを読んでいた。







そして今になってやっと気がついた。
僕は自分宛に書かれたその手紙を読みたかったのだ。
ただそれだけの為にWarCraft3を買い続けていたのだ。







ニュートリノは嘘を付かなかったし、僕を罵りもしなかった。何よりも、不誠実でなくて誠実であった。WarCraft3を買う度に僕は感謝され、丁寧な言葉を頂いた。僕はそれが嬉しかった。そしてニュートリノは必ず最後に一言、僕に対して何かを言った。僕はそれを愛であると思った。


僕は愛に縋った。
WarCraft3を買い続けた。
僕は寂しかったのだ。ただ「ありがとう」と言ってもらいたかったのだ。どうしようもない事実だった。そんなはずは無いと思っても、もう認めるしかなかった。孤独な人生に対する覚悟の貯蓄は僅か数ヶ月で使い切ってしまっていた。僕は火の車だった。もう耐えられなかった。


己の愚かさ、己のまぬけさ、己の馬鹿さが憎かった。
布団の上に力無く倒れ込んだ。布団と言うよりは、破れて薄汚れた木綿の塊の上だった。それらを掻き集めて丸めて抱え、強く抱きしめた。寂しくて仕方がなかった。顎から涙が伝って落ちた。震えが収まらなかった。震え続けた。それが悔しさからなのか、悲しみであるのか、怒りであるのか区別がつかなかった。憎かった。ただただ己が憎かった。












ならば、と僕に問う。
金で買える欲しいものがあるのかと。
思い当たらない。正直、無い。


ならば、と僕に問う。
金で買えぬ欲しいものがあるのかと。
思い当たらない。正直、無い。














その10
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