「5分だけいい?」
真性引き篭もりhankakueisuuの激昂が全てを終わらせてから10日が経った頃、彼女は言った。「いいよ」と僕は答えた。
「あのね、私は哀れんでいただけなの。」
開口一番彼女が言った。
真性引き篭もりhankakueisuuが震えて激昂し、僕は震えて泣きだした。
私はそれをどうする事も出来ずに、呆然と口と目を開けたままで見ていた。
「あんたみたいなのを相手にする人間が私以外にいるわけが無いよ。」
全て作り話だと彼女は言った。
生まれたばかりの絶望が全てを覆い隠して行く様を、何も出来ずに眺めていた。
無力だった。とても弱くて、とても脆くて、簡単に崩れていった。全てが失われた。
「もういいよ」
何も言わずに逃げ出した。
五分はとっくに過ぎていた。
耐えられない。もう駄目だ。助けてくれ。DOTA allstars。
その日から僕はWarCraft3を買い続けた。
この数年間温存し続けてきた貯金はあっという間に減っていった。それでもひたすら買い続けた。WarCraft3が届くたびに僕は梱包材からそれを取り出して封を開け、CDケースを取り出して、その表面に貼り付けられた2枚のインストールキーを引っ剥がし、水も飲まずに飲み込んだ。飲み込み続けた。買っては飲み、買っては飲み、また再び買っては飲んだ。喉の奥から血の味が滲んで口中に満ちた。首元を両手で強く押さえて転げ回った。それでもまた買い、また飲んだ。
理由はわからなかった。
けれども、そうする事だけが痛みに対抗する唯一の術だった。
買い続けた。飲み続けた。
WarCraft3の箱だけが部屋の中に溜まっていった。
それを見て僕は余計に辛くなった。WarCraft3がしたかった。1vs1がしたかった、2vs2がしたかった、JWLに出たかった。3vs3がしたかった、Deadmanを見たかった、4k.Zeusが叩きのめされるのを見たかった。DOTAがやりたかった、DOTA allstarsがしたった、新ヒーローを使いたかった。けれどももうどうすることも出来なかった。WarCraft3だけが溜まっていった。絶望だけが溜まっていった。
どうして止められないのだろう。
WarCraft3の発注画面でタイピングをしながら僕は考えた。
よくわからなかった。
彼女に会いに行くのに使うはずだった汚れた金を全て使い尽くしてしまいたかったのかとも考えた。インターネットから逃れようとしているのではないかとも考えた。毎月家に入れている月1万が無くなれば、僕は何かを変えるだろう。その為ではないかとも考えた。本当にWarCraft3をプレイしたいのではないかとも考えた。けれども流石にそれは無いだろうと思った。もうわけがわからなかった。
彼女はそれからというもの、あちこちで真性引き篭もりhankakueisuuを叩きのめす為の文章を書き、当て擦っては口汚く罵り続けていた。それを読んで叩きのめされる事だけが僕に残った唯一の、彼女にしてあげられる事だった。僕は彼女の望み通りにそれらを保存し続けた。読み続けた。叩きのめされ続けた。WarCraft3を買い続けた。
注文して、届いて、手にとって、開けて、飲み込んだ。
それが喉を通る一瞬だけは、全ての事を忘れられた。
けれども一瞬だった。あっという間だった。
本体のインストールキーを剥がして、拡張のインストールキーを剥がして、剥がしたばかりの2枚のインストールキーを貼り合わせて、爪の先で2つに千切って、1つずつ飲み込んだ。痛かった。逃げ出したかった。僕があの日あんなにも苦労して稼いだ金の使い道がこれなのかと思うと、申し訳なくて、申し訳なくて、合わせる顔が無くて辛かった。辛くて仕方がなかった。申し訳が立たなかった。ごめん、ごめん、と謝った。けれども止められなかった。買い続けた。飲み続けた。あっという間に僕が稼いだお金は尽きた。
僕はこともあろうか、一生使わない事にしていたお金に手を伸ばした。
死ぬまで絶対に開けないつもりだった封筒を開けた。一万円札が指に触れた。
「やめろ!」と僕はさけんだ。お願いだからやめてくれ、それだけはやめてくれと懇願した。まだ間に合うじゃないか、なんとかしよう。もう一度やり直そう。そう語りかけた。けれども止まらなかった。もうどうしようもなかった。WarCraft3を注文した。開封した。飲み込んだ。注文した。
怒りに震えた。
自分が何をしているのかは解っていた。けれども止められなかった。苦しくて仕方がなかった。WarCraft3を買わずにはもう、一秒も耐えられなかった。どうしてこんな事になってしまったのか理解が出来なかった。どうしてこんな事をしているのかわからなかった。もう何が起こっているのかさえわからなかった。
生きるとは喜びであり、人生とは喜びの積み重ね、猛烈な足し算である。
しかし。
足し算である人生というものに、たった一つだけ引き算が存在する。
それは信頼である。人が生まれておぎゃあと一言泣いた段階では、誰1人として疑うものはいない。
器にすりきり満杯の信頼が注がれた状態である。
人はその信頼を少しずつ、少しずつ失っていく。
速く駆ければ駆ける程、こぼれる水は多くなり、やがて涸れはて干乾びたその器には、何を注いでも何を注いでも信頼というものが戻る事は無い。
一つの言葉で人は人を失うし、一夜の咎で恋は愛を失う。メグミルクは永遠に雪印であるし、タイ米は永遠にインディカ米であり、三菱は永遠に火の車である。一度失われた信頼というものは二度と戻らないのである。つまり、人が生きる上で最も重要なのは信頼を失わぬ事である。
信頼を失わずにしっかりと足し算を繰り返せば、やがては全て思いのままに、どこにだってたどり着けるのである。
その9
全て