2009年1月25日日曜日

恋人に何と呼ばれるか問題。



僕は「真性引き篭もり」というブログを書いている「真性引き篭もりhankakueisuu」というブロガーである。このハンドルネームは元々、ハンドルネームのアイデアなどというものを全く持っていなかった自分が「登録は半角英数で」と書かれていたのを見て思いついた、というか適当に入力したハンドルネームであり、「hankakueisuu」というハンドルネームが他の「hankakueisuuさん」と被ってしまい不都合が出たために「真性引き篭もりhankakueisuu」という被る可能性の無いハンドルネームへと進化し、このような形になったのである。そして僕はこのハンドルネームを、それなりに気に入っている。そんなにも気に入っているわけではないけれど、たとえば本名と比較すれば、遙かに気に入っているし、愛着もある。僕の名前は一族の命名方式だかにのっとって、まるで機械的に生成されたもので、もの凄く気に入っていない。しかも、僕の記憶が確かならば、僕の世代でそんな風に命名されたのは僕くらいのものだったはずだ。よくわからないが、おかしいのではないか、おかしいのではないか、と思っていたが、やはりおかしいと思う。自らの名前というものが他人のしきたりによって付けられたという事が、凄く不愉快で、好きではない。おまけに名字に関しても、良い思い出が全くないので好きではない。よってそんなものと比べれば、「真性引き篭もりhankakueisuu」というハンドルネームは、とても素敵なものに思える。けれども、このハンドルネームには多少の不具合がある。長いのである。道ばたで「しんせいひきこもりはんかくえいすうさん」なんて(いや、それは「しんせいひきこもりはんかくえいすうくん」でも「しんせいひきこもりはんかくえいすうちゃん」でも構わないのだけれど)呼ばれようものならば、それは居心地の悪いものだろう。公道で呼ばれたくないハンドルネーム第一位である。そのくらいにこのハンドルネームは居心地が悪い。オンラインでは素敵なものでも、公道においてはミステイクなのである。ミスマッチなのである。失敗作なのである。この問題について僕は常々頭を悩ませていた。いったい、僕は、もしも恋人が出来たならば何と呼ばれればいいのか。「はんかくさん」はキモイ。「ひきこもりさん」は勘弁していただきたい。「しんせいさん」もありえない。そんな悩みに対して、今日、ふと、名案が思いついたので、ここで発表してみたい。それが、「真」である。「真」というのは、言うまでもなく「真性引き篭もりhankakueisuu」の「真」である。これを、「しん」と読ませるのも、まあ、間違いは無いと思う。「しんさん」ならば公道で呼ばれても恥ずかしくはないし、「しんくん」ならば家康公的な雰囲気も出て、東海道の誉れも高い。しかし、僕は、この「真」、真性引き篭もりhankakueisuuの「真」を、あえて「まこと」と読ませたい。「まことくん!」きゃー、もう、頬が弛む弛む。弛みまくり。ブログでは口から出任せの嘘八百並べてる癖に、公道上では「まことくん!」とか、「まことちゃん!」とか呼ばれるの。超素敵。「真、大好きだよー!」とか。言われるの。「真!今日もかわいいね!」とか言われるの。そんなに僕って可愛いかなー、とか照れて頬を赤らめちゃったりなんかして。「真ちゃん!好きだよ!僕だけの真ちゃん!大好き!好き好き好き好きだーいすき!」とか言われるの。「真!愛してるよ!」うわあ、幸せ。超幸せ。凄い絶対超々幸せ。わあ。