2005年3月23日水曜日

ブログの力、ブロガーの責任。



馬鹿なブログからまぬけなトラックバックが来ると誰もが、
「馬鹿なブログからまぬけなトラックバックが来た」と思う。
信用するに値しないとすぐに理解出来る。
ああ駄目だ、こいつは糞だ、ファックオフ、と。




誰だって、バトルミュージックを掻き鳴らしながら腐った死体がさつまいもを揚げつつ突っ込んで来るのを目にしたら疑いを抱き、警戒レベルを引き上げて意義を唱える。
それは当然の反応である。
相手は馬鹿なブログであり、まぬけなトラックバックであるからだ。



しかし、馬鹿面下げた引き篭もりが突っ込んでくる事など、滅多と無い。
「貴方の味方です」と近寄ったり、「私は敵ではありません」とインターネットに鎮座する。それらのブログにも、一定の警戒を行って読み解く沈着冷静さというものを常に用意しておいた方がよい。



ブログサーフィンの中で目に留まり、1エントリーを書くだけの文章、書くだけの動機、書くだけの気力が蓄積された段階で即投稿を行うのではなく、馬鹿なブログのまぬけなトラックバックを目にした時と同じ手続きを踏み、冷静に判断し、一通りの情報を集めてから責任を持った投稿を行うべきである。




最も重要なのは、ブログの読者はリンク先を読まないという事実である。
世にあるブログの1つ1つが、最終ソースとなってしまうのである。

彼らが求めているのは、貴方自身のブログであり、あなた自身の文章である。
その信頼を裏切らないだけの誠実さ、確実さのある投稿を行うべきである。
if、if、if、マンガもドラマもインターネットも、と煽り立てるのはご自由だが、実体のない場所を、妄想でifでちゃらかし文で投稿するというのは、愚の骨頂である。



また、ブログの読者というものはブロガーを信用している。

ブログ読者のブロガーへの眼差しはただならぬ親近感を持ったものであり、一度「このブログはOK」と認定されたブログに書かれた文章を信用し受け入れる。
一日5hitであれ、1日10万hitであれ「OK」と認定されたブログの投稿は、絶対的な情報として受け取られてしまう事が少なからずあるのである。


それとは正反対に、「このブログは駄目」と認定されたブログに書かれた文章は全て否定されるという傾向も見られる。一度敵国認定されたブログは以後どのような投稿を行おうと敵国認定は解除されず、OK認定者と敵国認定者の間でまったく噛み合わぬ紛争が続いたりする。


これは少しおかしいと思う。
ブックマークの「お気に入り」フォルダの筆頭に入れたサイトも、ブックマークの「ネットウォッチ」フォルダの筆頭に入れられたサイトも、とりあえずは一定の基準で読まれる事が望ましいと思う。


自分にとって都合のいい文章を見つけたからといって喜び勇んで馬鹿な投稿を自身のブログにまんま引用するなどという愚かな行為を行うのではなく、しっかりと疑いしっかりと審査し、居座って長講釈を垂れた挙句にライブドアパブリッシングするくらいの厚顔無恥さが欲しい。



ブロガーには、投稿前にその文章をチェックする上司も編集長も存在しない。
誰もが等しく、デマ、でたらめ、事実誤認といった馬鹿げた投稿を行ってしまう危険性がある。それを初見で敵国認定したり、OK認定したブログであるからと「大筋は正しい」といった信者と化すのではなく、常に紀律ある態度で臨むべきである。





ブログとは一言で言うと力である。
ウェブ上におけるパワーである。

読者の一部、というよりも多くは一度OK認定してお気に入りに放り込んだブログに親近感を抱き信頼して読むし、そこからリンクされたウェブサイトは正しい情報なんだろうという先入観を持って読む。

全てのブロガーは彼ら読者への影響力をしっかりと認識し、責任を持った情報の選り好み、リンク先の選択、事実に基づく投稿というものを行うべきである。




馬鹿なブログを書くべきではないし、まぬけな投稿を行うべきではない。
馬鹿なブログでまぬけな投稿を行えば「馬鹿なブログのまぬけな投稿」と認識される。
しかし、ブログ上に多く存在する誤りを抱えた文章は「馬鹿なブログのまぬけな投稿」とは認識されず、信頼を置くブロガーがいつもよりも気合を入れて何か書いているんだからよくわからないけど正しいんだろうな、と認識されてしまうのである。


ブログの読者はリンクを辿ったとしてもせいぜい2クリックや3クリックであるし、調べて回るのは一部のネットサーファーか、ヘビーなブロガーか暇人のみである。
デマはデマと気がつかれずにめぐり続けるし、誤りを含んだ文章はその誤りを指摘されないまま、あるいは指摘されても無視隠蔽されたままでブログ上を駆け巡り続ける。
それを目にしたブロガーが情報の中継手となってブログに書き、止まる事なき無限のトラックバック連鎖となってウェブ上を周回し続けるブログ的絶望の果てに検索エンジンが指し示すのは、正しいブログの正しい投稿ではなく、広まったブログの広まった投稿である。


マスメディアの伝えられない情報を広められるのがブロガーのパワーである。
同時に、マスメディアが今ネット上で受けているような批判を受ける事なく、誤りを抱えた文章がウェブ上でトラックバックされ続けてしまうという致命的な弱点を持ち合わせている。リンクを辿らない多くの一般的な読者は4面に記載されたお詫びと訂正を目にする事無く、一度目にした文章を信じたままで通り過ぎていってしまうのだ。

彼らブログ読者にとってOK認定したあなた方一人一人のブログの文章というものは、新聞やニュース番組よりも大きな存在であるのだ。
広めたい事柄があるのならば、熟考の上で書き広めるべきである。







人権擁護法案を巡るウェブ上での動きについて少し感じた事を書いておく。


ブロガーは投票権を持っている。
トラックバックというVOTEである。

そして、そのVOTEは利用されている。
例えばマーケティング戦略にブログを利用するというものがある。また、SEO対策にブログを利用するというのもある。ありとあらゆるアフィリエイトに利用されるのもブログであるし、マルチ商法の勧誘やカルトの信者の獲得にもブログは使われている。



こと、明らかにおかしな法案があまり報道されない中で審議されているという事実は、ブロガーのVOTEが力を発揮できる最高の機会である。
外国でブログによって起こったような事象が我が国でも起こるかもしれないし、起こりつつあるのかもしれない。


しかし、その中心、あるいは検索エンジンで検索された時に上位に表示されるページが、中国人、朝鮮人、在日外国人を人間以下の生き物であると公言する人物のものであったり、韓国という国をでっちあげにより批判した人間のものであったり、少年誌のキャラクターを無断で利用して誤りを含む宣伝行為を行っていたと世間一般に知られ認識され、問題となった場合、ブログが信頼を取り戻す、あるいはブログが信頼を得る日は遥か彼方に遠のいてしまう危険性がある。「ブログ(笑)」「BLOG lol」となってからではもう遅い。


ウェブ上には、検索エンジンの1ページ目に表示されるブログよりも遥かにつまらなく、遥かに退屈で、遥かに活字と誠意に満ち溢れたブログがいくつも存在する。
それらをいくらか読んでから、最も適当であると判断した所にトラックバックを撃つべきであるし、最も信用するに値すると判断したブログから文章を引くべきである。


トラックバックとは投票である。
ウェブ上に無数に存在するブログの中から、「これ」と選ぶ行為である。
しかし、僕がトラックバックを撃ったブロガー、あるいは僕の文章を読んでくださったブログ読者の多くは、人権擁護法案問題に立候補し文章を書いた候補ブロガーをほとんど知らないようである。
彼らは街頭で演説する事も無ければ、ブログランキングに顔を出す事もない。長い時間をかけてリンクをクリックし続け捜し求めて彷徨わなければ彼らの文章にたどり着く事は出来ないし、たどり着いたら辿りついたで1ブログあたり半時間が必要である。


全てを読むのは無理であっても、主要なつまらないブログを出来るだけ多くを読み、冷静に判断し秤にかけてからトラックバックというVOTEを行うべきだと思うし、主要候補の主張を読み冷静に読み比べてから投票を行うべきである。

ぶさいくな眼鏡とかもっとぶさいくな眼鏡にトラックバックを行うのとはわけが違う。このような問題に関するトラックバックはその一つ一つが力なのだ。

その力を利用しようと狙っている人たちに都合のいい時都合のいいように利用されるのではなく、疑い、考え、情報を集め、冷静に判断を下してから投稿を書き、VOTEという力の行使を行うべきである。






ウェブサーフィン中にたまたま目にしたブログのエントリーを、馬鹿な真性引き篭もりからのまぬけなトラックバックと同じ警戒レベルで読むのは大変疲れる作業だろう。
しかし正しさを求めるならば、それを行うべきであるし、行わねばならない。
その一票がウェブを変え、その1投稿を読者は信じて読むのだから。