2005年3月11日金曜日

ビッグイシューにNOと言う。



ホームレスはその存在自体が罪であり、害悪である。





誰もが、ホームレスが一人も存在しない社会を望んでいる。
その大多数は、
「誰もが人間らしい生活を送る権利があるからホームレスは駄目」
と考えているのではなく、
「ホームレスは存在自体が迷惑だから一人残らず消えて欲しい」
と考えているのである。


そもそも、ホームレスはホームレスでは無い。
彼らには家がある。

本来は誰の居住空間でもない地域である公園や河川敷、駅といったものを不法に占拠し、そこを住居として生活している。
しかもリビングまである。
図書館の広間で、駅のベンチで、城で本屋でデパートで、彼らはくつろぎ暖を取る。
おまけに、アルミ缶鉄缶を盗み取り、私利私益へと代えている。
臭い、汚い、気持ち悪い。存在自体が不愉快である。
ホームレスの存在しない社会を皆が望むわけである。





ビッグイシューブロックなるものが発表された時に、上のような書き出しから始まる投稿を行おうと序文を書き終えてからインターネットを彷徨ってみたのだけれど、ホームレスに関するウェブサイトはどこもかしこも糞サイトであり、まともな文章が見つからなかったので、さすがに裏づけ無しの決め撃ちで書いて良い題材ではないと判断し、投稿するのをやめにした。



ホームレス関連サイトの半数以上は、血だるまになったアザラシを氷の上に並べた写真をでかでかと載せてGIVE HELP FOR YOUとやってるだけであり反吐が出る。
ブログなんかはもっと酷く、適当な出来事を余丁町散人に解釈し、水にも水蒸気にもならないような文章で「ホームレスの心理」だとかとか「社会の病理」だとか「ニートとホームレス」だとかアフィっている始末でおめでたく、全部削除して堀江にアフィリエイトでもした方がよっぽど世の為人の為である。
やっとこさまともなデータに辿り着けたかなと喜んでみると分母が30であるからして書けるものも書けず、話にならない。どんだけ縦割り行政なんだ。地域意識剥き出しなんだ。

過去の年収の変移を、資産の変移を、納税額の変移を、借金総額の変移を、転職回数を、聞き取りの適当データでも構わないから酒を女を博打を出せ。
責任の所在を明確にしろ。




しかもやっとこさ行き当たったデータが聞き取りで、
「・働きたいと思っている。 YES / NO」
って、そんなもの当然全員イエス OR YESだ。

理想というものを「思っている」という設問形式で投げかけて、全員YESは当たり前である。「ホームレスが一人もいなくなればよいと思っている」という設問より馬鹿げており、「松浦あややとよろしくやりたいと思っている」くらいの糞質問だ。
そんなものに労力が注ぎ込まれたという事実が呆れて返って悲しくなる。

それを真に受けて、皆働きたいと思ってるんですよ!彼らは不幸なアザラシなんです。人より少し不運だっただけなんですって一体なんだ。人権派にも程がある。





裏づけは諦めて仕方が無いので決め撃ちすると、ホームレスは自己責任である。
それは、明らかである。


100万を超える失業経験者の中で、備えと対策を行わず適切な対処をしなかった怠慢な人間がホームレスになるのであり、ホームレスになる責任の全ては本人にある。
適切な貯蓄を行い、適切なHELPを申請し、血縁やら友人やらでぬかりなく保険をかけておけば、「多重債務に追いかけられて」といったくだらない理由を除いてはホームレスになどはならない。ホームレスの百倍以上の失業経験者数がいるという事実がそれを証明している。


ただし、ホームレスがホームレスから抜け出せない理由は他にある。
こちらはかなりの部分で国行政に責任がある。
真面目に働くフリーターよりも遥かに裕福な生活保護者が多数存在し、行政による格安家賃の恩恵を享受する人間が存在する一方で、1度ホームレスになった人間を「家有り無職」へと拾い上げるシステムが出来ていないというのはあまりにも未熟である。
ホームレスになる理由と、ホームレスを辞められない原因はまったく別のものである。




ホームレスとホームレスを書く人間の傲慢さは、ホームレス本人の愚かさを無視して、ホームレスを拾い上げるシステムと社会へと責任を転嫁している点にある。

カップ酒とカートンと借金取りに追われて青ビニールの原因がどうして国行政なんだ。
こういう無茶な決め撃ちをタイピングするのは物凄く辛く苦しい。思ってますとか出身地とかそんなのいらないから、収入と納税と貯蓄の変移の数字が欲しい。しんどい。

けれども、垣間見えるのは本人の愚かさであるのは事実である。
係数100の能天気で危機感の無い快楽主義者の姿である。
自己責任を徹底的に隠蔽しながら、憲法で保障された権利を!とGIFバナーを貼り付けるその神経が理解出来ない。




さらに、ホームレスの傲慢な病理は深い。
国や自治体が駅や公園から出て行くように差し向けると、必死で抵抗する。
シェルターとか呼ばれる宿泊施設を用意しているのにも関わらず、である。


彼らの言い分がまた面白い。
「宿泊施設には自由が無い」
ってそれなんだ。
いつまで15の夜してんだ。言えた身分か。

その非常に面白い自由とやらで市民の憩いの場である公園を、駅を、河川敷を悪臭で占拠し、「国は助けてくれないもういいよ糞っくらえ冷酷国家め」だなんて、どの口あれば言えるのだ。図書館の広間を占拠し、時たま入っては団鬼六を手に取り口には国行政か。どうしようもない。
国の手を取ろうとせずに自由を手にする傲慢さには呆れて果てる。




と、前置きした上で本題であるビッグイシューについて書く。
はっきり申し上げて、ビッグイシューというものを理解出来ないし、そのバナーを貼る人間も同様に理解できない。




まず、その最たる点は、


>ビッグイシュー誌の趣旨から外れているというブログに対しては、
>ブロックの掲載を停止するという権利は留保させてもらいました。
これである。
お笑いである。
検問である。
人権擁護法案も真っ青である。

なるほど。
よくよくわかる。
英国発祥貴族の国の素晴らしく崇高で創価学会なんかよりもはるかに高名な映画スター達がこぞって大絶賛のスーパービジネスモデルシステムに賛同しない趣向のブログはお断りとはSTFUHAHA!HA!HA!。見事である。


21世紀の画期的な検問応用通信電業株式会社&検問ビッグイシュー連合軍はさて置いて、次である。






ホームレスはその存在自体が罪である。
なにしろ、彼らは臭くて汚く、不法占拠と盗みをしている。
ホームレスの収容施設で成功したものは一つも無く、(その滞在可能期間や設置位置という問題はあるものの)施設に入らずに、市民の憩いの場である公園で、駅で、河川敷で自由を享受し続け、図書館で、本屋で、デパートのベンチでくつろぐ。

そのような人々が、ちょっと不運で善良な市民を装いながらビッグイシューを抱えて駅前で笑顔を振りまき叫ぶというのは、とてもではないが許容出来ない。
テレカを売るイラン人やシルバを売るイスラエル人、アドビを売る中国人や覚せい剤や春を売る、といった人々よりは幾分かはマシではあるのだが、非常に迷惑である。


そして重要なのは、ビッグイシューは根本的な解決にはならないという事である。
その発祥自体がカースト制度の残る大英帝国という、まともな医療保険も無い一方でホームレス利権に人が群がる貴族の国、それも「基本は物乞い」という我が国のホームレス実情とは懸け離れた博愛主義の国のやり口であり、我が国でそれは通用しない。カルフールにはうんざりだ。
終わり尽くした鉄の国では状況をカイゼンしただけで大成功の張り紙を貼れるのだろうけれど、我が国の有るべき姿は改善などではなく、1億全人民が最低限度の人間らしい屋根も風呂も水道もテレビジョンも存在する住居に住み、月1万5000円を食費に費やせる生活である。


我が国のホームレスに必要なのは、公共の場に不法に築き上げられた住居を強制的に撤去し、施設へ問答無用で収容した上で6畳一間への再配置と、医療費の免除、それに適切な額の援助と、雇用機会の提供である。
駅前やら自社仏閣やら観光地やらで無理やりに立ち微笑ませ、公共の場をねぐらとした住所不定を肥すなどは下の下である。一人残らず消えて欲しいと願いながら、人前で商売をさせるをよしとする、その神経がまったくもって理解出来ない。
行き着けの図書館のロビーを占拠した煙草片手でスポーツ紙を読むホームレスの皆様方が笑顔並べて立ち上がり、雑誌片手に近寄る姿は想像するに絶句する。

空き缶を集めていた人間が、ダンボールを拾っていた人間が、日雇いを転々としていた人間が、より楽で安易で映画スターの笑顔の載った商品を売りさばく売人へと進化し、駅前に毎日立ち叫ぶ事を「好転した」と貴方がたは捉えるのですかと、問いたい。


必要なのは基盤であり、越すか越さないかも疑わしい額の金ではない。
地下鉄のホームでの金の巡りを最適化した上で商業的進水式を遂げた事を大成功と呼べる国は、七つの海の向こうである。





僕が否定的であるのは、NPOあるいは市民の力というものを信じず、何事にも国の力が必要であると考える右隣にあるといえば、確かにあるのだが。だが。

炊き出しとビッグイシューの力によって、100年間で10万人のホームレスが9万人まで減りましたでは遅いのである。明日、今日、いや今すぐにでも、公共の場に築かれた不法占拠のダンボールを一つ残らず消し去る事が求められているのである。
ビジョンの無い英国の会社による富める住所不定の作成ではない。

もしもそれが、人が行き混む時間の駅前にホームレスを立たせるという手法ではなく、誰にも知れずにこそっとやり明確なビジョンのある緩やかなものであったのならば賛じていたであろう。

しかしビッグイシューにあるものは、英国式の物乞いを、物売りへと進化させるその進化手段だけであり、古週刊誌売りや空き缶窃盗者は多数存在するものの、物乞いの存在しない我が国には不適切であるばかりか、好転要因とはならない。




我が国には約3万人のホームレスがいる。
ビッグイシューが3万部売れても一人頭百円である。月額百円で、ホームレス間の格差と不公平を浸透させながら、駅前に立つ迷惑なホームレスを増やすシステムのどこを指して社会貢献と呼ぶのだろうか。

悪いのは行政の不備と、ホームレス自身の怠慢と、傲慢さと、犯罪の寝床である。
もう一つ、英国式の物乞いを進化させるだけのビッグイシューシステムである。
我が国に物乞いはいないのだ。
いないというか、成り立たないのだ。
ホームレスを富めるホームレスに進化させ、上と下の格差を作り出すのがビッグイシューのやっている事なのであり、害悪である。


ビッグイシューにビジョンなどというものは無い。
ブログにつく「1000万円の」というコメントと同様程度の
「見事社会復帰しました!!こんな凄い例もあります!!!大成功!!」
といったくだらない一例を大本営発表しているのがビッグイシューというものである。

彼らの言う成功とは、「物乞いが売り子に進化し、社の発行する雑誌が読者と売り上げを確保した」というメディア受けのよい、ハリウッドスターを無報酬で雑誌に載せながらNPOするという画期的で目新しいビジネスモデルの大成功であり、ホームレス救済の大成功ではない。


ビッグイシューに実体は無い。
ビジョンも成果も存在しない。
あるのは売り上げと検問と芳しい売り子だけである。