2005年3月30日水曜日

理想の輪郭



ブログとは、ブログとは、ブログとは。
といった事をさもありなんに語る人々がいる。

けれども、そうではないと思う。
剣を打ち倒す筆を打ち倒す曇りの無い真理の光の剣などでは無い。
これは、悪魔の道具である。


ブログによって、誰もが簡単に嘘の輪郭を作り上げる事が可能となった。
これは、インターネットを覆う理想の闇である。


ブログ以前、インターネットで嘘の輪郭を作り上げるのは困難であった。
無料、あるいは有料のウェブスペースを借り、HTMLのキーボードを一文字一文字毎晩叩き、色と枠組みを作り上げてはその中に文章を流し込み続けるという作業は、誰もが気軽に行えるものなどではなく、べらぼうな労力を必要とした。
しかも、その作業の苦労を経ても尚、モニタの前の生活感がHTMLを通して浮かび上がってしまい、術者の生身の体が見えた。


けれども、そういう時代は終わった。
ブログによって誰もが簡単に門構えを築く事が出来るようになってしまった。

「ありふれた」
「そのままの」
といった体裁の、所謂センスを欠いたウェブサイトを公開する事は自分を美しく見せたいと望む人間にとっては精神的に辛いものであったし、それらを見る目も冷たかった。

だけど、ブログは違う。
はてなやライブドアのテンプレートをそのままに使っていてもそれは大した減点要素にはならず、むしろ読みやすいと評価されたり、RSSと褒められてしまう事すらある。
そして、眼鏡や眼鏡にトラックバックを飛ばせば開設初日で100hitであり、更新する度にトップページからのアクセスが入り、検索との親和性も高い。
他ブログへのリンクを貼るだけで、グーグルアドセンスを貼るだけで、アマゾンアソシエイトを貼るだけで、好き放題の姿が作れる。

2ヶ月掛かっても成し遂げられなかった事が、2時間で成し遂げられるようになった。
これを光であると捉えるか、闇であると捉えるかは人それぞれであろう。

なりたい自分の輪郭を簡単に描けるようになった事は、ある人々には福音である。
なりたい自分の輪郭を描きたかった人々にとっては、素晴らしい変化なんだろうと思う。


インターネットとは真実、あるいは嘘を伝える道具である。
ブログも同様に真実、あるいは嘘を伝える道具である。
社長が、副社長が、デブが、禿げが、弁護士が、市民が市議が国民が、あるいは真性引き篭もりがテンプレートに従って、単純な嘘を簡単につく事を可能とした悪魔の道具だ。

なりたい自分の輪郭を描く敷居が下がった事を、光であると捉えるなら、ブログは彼らの言う通り、光であるのだと思う。

けれども、その素晴らしいなりたい自分の輪郭がモニタの前の本当の自分の実体から日に日に乖離しかけ離れ、嘘と嘘との反響音で誰かを傷つけ続けたり、欺いたりというのは、光であるとは思えない。
闇で、悪魔で、まっぴらごめんだ。









随分と昔、あるいは随分と昔に思えるくらい前、何度か家出をした事がある。
最初のは、担任の教師が授業を2時間潰したのが嫌になり、いつもよりもだいぶ遠くの本屋へ立ち読みしに行き、暗くなる前に帰宅した。些細なものだ。

少なくとも、僕にとって逃げ出したいという感情は些細なものであった。
僕を繋ぎ止めていたものは、ゲームであった。
それは途轍もなく強く確かな鎖であったし、身を預けるに値する拠り所であり、発売予定の揚々たる前途であった。
それらに縋って10年先を耐え忍び、大人というものになれば剣と竜とに頼らなくても生きてゆけるくらいの強さ確かさ揺ぎ無さというものが手に入ると信じていたし、その予定であった。
だから僕は暗くなる前に家出を打ち切り帰宅したし、逃げる事無く留まり続けた。
少なくとも、しばらくの間は。


普通の人間の普通の日常は、消えてしまいたいとは考えぬのが常である。
少し普通ではなかった僕を普通の日常の普通の感情へと繋ぎ止めていたものはドラゴンクエストでありブレスオブファイアであった。順調であった。加速が不足していた。速度が足りなかった。take offし損ねた。

この投稿自体も同様に少し、やり損ねた。
ブログという悪魔の道具の手を借りて、強引に戻そう。
ドラゴンクエストとトラックバックを比較する事は出来ないし、ブログとブレスオブファイアを比較する事も出来ない。少なくとも今僕が確信を持って言える事は、それがゲームという道具であった僕は幸せであった。真に幸運だったと思う。










悪魔の道具で1つの嘘が広まった。
「些細な情報でもよいので」と。

彼女は、最も重要な点をブログの力で隠し通した。
それが家出であるという些細ではない情報を隠蔽した。


あのようなものをブログでトラックバックでウェブサイトでVOTEして広める人間の無神経さが理解出来なかったし、あれを読んで家出であると理解出来ず、広めるべきだと考え広めた人間は何もかもが足りないと思う。
その人間性と繊細さの欠如がまったくもって、である。むしろ悲しい。



これは彼らにとっては疑う余地の無いハッピーエンドなのだろう。
いなくなった少女を少女の為に探す無垢にして善良な母親。
いなくなった少女を探す為に立ち上がりトラックバックする善良なブロガー。
そして見つかった少女。
1000のブログ、1000のブロガー、1000のトラックバックへのハッピーエンド。
ブログ史に刻まれた金字塔。
Deleteで消えた嘘。
消えない痕跡。
ブロガーの勝利。
敗者のいない理想の世界。