2005年3月25日金曜日

誰も知らない誰かの時代



気配はしていたのだけれど水が手元に無かったので頭痛薬を飲まずにいると、怒涛の如く寄ってきた。とりあえず目蓋の裏側へ人差し指と中指を上向けに突っ込んで、脳みそをツンツンしながら額をぐりぐり揉んでいると少し収まり一安心していたのだけれど、5分後には吐き気の中で立っていた。

椅子に座ると吐きそうで、横になると死にそうで、かといって立っていると倒れそう。
本当にどうしようもなくなったので、やむを得ずゲームをしていた。

罠スキルを上げ様とクロスボウの矢を解除していると解除に失敗してHP140を0.5秒で失い、殺伐の指輪(0,8)を拾ったLv18の丘オークの戦士をロストしたり、宝物庫の5Fで未鑑定の薬を飲んだら、「知力0(4) 馬鹿になって死んだ」とか表示されて思わず反射的にアンインストールしてしまったりしていると、頭痛で手の甲が震えだしたのでゲームすら出来ないコンディションに陥ってしまった。



仕方が無いから、適当なウェブサイトを見て頭痛が去るのを待つ事にし、どうでもいいような普段見ないサイトとかを片っ端から記憶の限り見て回っていると、DOTAのグッドプレイヤーリストというものにたどり着いてしまった。

http://www.goodlist.nl/


僕自身はDOTAに何の思い入れも無いつもりだったのだけれど、どうしてか、頭痛を忘れるくらいの衝撃を受けた。


僕と彼らの間には人と人としてのコミニケーションなどはまったくなかったし、どのようなエピソードも記憶に無いし、何の思い出もない。彼らが何を言ったかも覚えていないし、どのような人物だったのかも記憶に無い。


けれども確かにあの日僕はそこにいたし、他の誰かも同じ画面を見つめていた。
人間と人間とが通じ合うためのネットゲームは大嫌いである。
僕がネットゲームに求めるものは、AIよりもコンピューターよりも複雑で多様な思考をする敵である。
おそらく、彼らがDOTAの野試合に求めたものも同ものだろう。
殺伐とした殺し合いだろう。


けれども幸か不幸か彼らも僕も人間で、同じ時間、同じ時代というものを共有してしまった。赤いスイトピーやホテルカルフォルニアがTVで流れるのを耳にした時に誰かが感じるような時代への郷愁をGOODLISTに見てしまった。
他人と時代を共有した事がなく、戻りたい時間、懐かしい時代というものを持たない僕にとって、あの時代はスイトピーよりも赤い日々であり、DOTAにnoobと罵られた日が僕に魂が生まれた日であったかのように思える。



DOTAには一日に5時間も10時間もプレイしている人間が数人おり、
「この人達は大丈夫なんだろうか・・・」という書ききれぬ不安を浴びせながら、僕は彼らと夜から夜まで殺し合い続けた。

あの人達は今でもDOTAを続けているのだろうか。
それとも、世界のどこかでくだらないブログを書いたりしてるんだろうか。
彼らに興味は無いのだけれど、同じ画面を見ていた人間として気になる。

手元にWarCraftがあったならば今すぐにでも確認しに行きたいのだけれど、WarCraftはもう無いし、僕がDOTAに戻れる日はおそらくもう二度と来ないのだろうと思う。



今も尚DOTAはそこにあるにも関わらず、僕は一人隔離されてしまった。
NOOBNOOBと連呼され半泣きで泣いていたあの日は不可逆。
一人が一人を経て一人になっただけの事。

なにもかもが理解できない。
頑張ろうと思った。
思っただけ。