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2016年8月28日日曜日

おはようございます。

ねむいです。

2012年12月20日木曜日

あるmodの誕生と、あるeSportsシーンの死。

それは糞ゲーだった。
目も当てられないクオリティの、酷い馬鹿ゲーだった。


dota allstars。
それは、WarCraft3というゲームのMODであり、糞ゲーだった。








ビデオゲームの歴史上、最も偉大なリアルタイムストラテジーゲームの1つである、WarCraft3。そのWarCraft3に付属していた、カスタムエディタというツールを用いて、一介のユーザーが作り上げた、5対5の対戦ゲーム。それが、Defense of the Ancientsだった。そう、dotaだった。




dotaは、WarCraft3というゲームを購入していないと遊べない。極めて一部の人達の為の「フリーゲーム」だった。けれども幸いな事に、WarCraft3は500万本ものセールスを記録していた。極めて一部と呼ぶには、十分すぎるだけの母数だった。







WarCraft3は、確かに優れたビデオゲームだった。
StarCraftよりも優れているという人も居るし、匹敵するという人も居る。見る分にはStarCraft2よりも上だという人が居たり、1対1ならWarCraft3が上という人や、逆に2対2ならWarCraft3が上という人も居る。WarCraft3とは、そのような、素晴しい完成度を誇る傑出した、優れたビデオゲームだった。



そんなWarCraft3にも、致命的な欠点が存在していた。

WarCraft3は、難しいのである。息が詰まるのである。疲れるのである。そのゲームは、娯楽としてのゲームである以上に、真剣勝負の為のツールだった。たのしいけれど、苦しく辛い、1対1の差し迫った戦場だった。




最初の頃、人々はそれを面白いと思って楽しんでいた。
これだ、これこそが求めていたものだ、神ゲーだ。



けれども、である。

辛いのだ。
苦しいのだ。
勝てないのだ。

僅かなミスで自分の軍隊が半壊し、僅かなミスで自軍の将を失う。

学校からの帰り道ではMAXだったモチベーションも、ゲームを立ち上げて僅か12分後、1ゲーム終了した段階で随分と低下し、僅か25分後、2ゲームを終了した時点で大きく息を吐いて、「もういいか」という気分になる。それはまるで苦行だった。面白いという免罪符こそあれ、面白いだけの苦行であった。タワーディフェンスというWarCraft3のmodの一大ジャンルは、そんな空気の中で栄えた。辛くない、苦しくない、勝てるゲームとして、それは人々の支持を集めた。





WarCraft3にはMODというシステムがあった。

付属のエディタを用いて、WarCraft3のグラフィックやモーション、あるいはサウンドなどを利用して、ユーザーが自由にゲームを作る事が出来た。そして、それをゲーム内で自動ダウンロードする事で、あるいはゲーム外で各自がダウンロードする事で、自由に遊ぶ事が出来た。




WarCraft3に矢折れ、疲れて、草臥れたユーザーを癒す慈母のような存在。それがmodだった。そこにはタワーディフェンスが有り、キャッスルディフェンスがあり、ヒーローアリーナがあった。操作量も、技術力も、知性すらも不要な、簡単で、単純で、それでいて刺激的な、多種多様なMODが溢れていた。そして僅か10秒でそれらユーザーが作った無数のMAPをゲーム内で瞬間的にダウンロードする事が出来た。

人々は1日2ゲームから3ゲームだけWarCraft3を遊び、毎日のように打ち拉がれて、MODを漁り、世界中のユーザーが睡眠時間を削って作り上げたくっだらない、完成度の低い、くだらなくてくらだなくて、それでいてたのしい糞ゲーを遊び、陳腐なゲームで癒されていた。

WarCraft3という神ゲーではなく、勝負の世界ではなく、勝ち負けではなく、ただFUNの世界を謳歌していた。たのしいは正義。そんな世界に、そのゲームは現れた。Defense of the Ancients。そう。dotaである。






dotaの最大の特徴。
それは、完成度だった。

良くできていたのだ。
本当に、良くできていた。

dotaは神ゲーだった。
奇跡的な完成度を誇る異様なmodだった。



MODというのは、基本的に、BAKAゲーの世界であり、KUSOゲーの世界だった。ケラケラと笑い、カラカラと遊び、キャッキャウフフする為の世界だった。くだらない砂場のおままごとや、ちょっとした空き地の戦争ごっこみたいな世界だった。そんな世界にあって、dotaは元から傑出した完成度を誇り、バージョンアップを重ねる事で、遂には異常とも言える完成度を誇るに至った。dotaは、究極の5対5対戦ゲームだった。WarCraft3の本編は、せいぜい3対3までしか遊べない。けれども、dotaは5対5だった。みんなで遊べて、操作は簡単で、尚かつBAKAゲーでもなく、KUSOゲーでもない、面白くて気軽な対戦ゲーム。素晴しい完成度の素晴しいゲーム。それがdotaだった。



ブリザードエンタテイメント社のゲームは、パッチによって要素が追加されたり、バランスが調整されたりという事を何ヶ月、何年にも渡り繰り返されてゆく。ブリザード社のゲームソフトは、発売された段階では得てして酷いゲームバランスなのだ。WarCraft3もその例外ではなかった。

WarCraft3本体が、対戦ツールとしては未完成と言っていいほどの未熟だった時期に、完全に完成し、完全に成熟し、これ以上修正する場所が存在しないという域にまで達していたのがdotaだった。かくして、当時のdotaは、「WarCraft3よりも優れたゲームだ」という評価すらされるほどの、唯一無比の存在だった。




dotaは評判を高めた。
知名度を得た。
不動の名声を手にした。

一番のMOD。それがdota。
世界の頂点。それがdota。
MODの中のMOD、それがdotaだった。

WarCraft3を購入する事で遊べる究極のゲーム。
その時代におけるそれは、WarCraft3本編ではなく、dotaだったのだ。




インターネットの世界では有志が50ユーロもの自腹を切って賞金をかけたトーナメントを開催した。各国で攻略サイトが芽生えた。WarCraft3は本編を遊ぶ為ではなく、dotaとタワーディフェンスをプレイする為だけにでも購入する価値がある、というレビューまで書かれた。WarCraft3の為にではなく、dotaを遊びたいが為にソフトウェアを違法ダウンロードする、という人達までが出現しはじめた。




WarCraft3の世界は、dotaを楽しむユーザーで溢れかえった。
5対5の対戦席は、僅か10秒で満席になった。

WarCraft3を購入した人間は、誰もが一度は遊んだ事がある。
dotaとはそういう存在だった。WarCraft3をも超えた、究極の存在だった。










そんなdotaが、ふいに死んだ。
dotaの歴史は、あっけなく終わった。




The Frozen Throne。
氷の玉座。
TFT。

ウォークラフト3、ザ・フローズンスローン。
WarCraft3の拡張パックが発売されたのである。









WarCraft3と、その拡張版のWarCraft3、The Frozen Throne。
両者には、互換性が無かった。




WarCraft3は「war3.exe」。
WarCraft3 The Frozen Throneは「war3tft.exe」。


WarCraft3を遊ぶためにクリックするexeと、The Frozen Throneを遊ぶ為にクリックするexeファイルは、別のものだった。「遂に完成したWarCraft3」だとか、「事実上のWarCraft4」とまで言われた、伝説的なビデオゲームであるWarCraft3TFTが世に出た事で、WarCraft3の世界は僅か1日で過疎ってしまった。WarCraft3ユーザーの95%はTFTに流れ、20倍の人口差がついてしまった。それは、死であった。突然死であった。modの中のmod。dotaの、あっけない死であった。




WarCraft3で作られたMODは、WarCraft3TFTでは遊べなかった。
両者には、互換性が無かったのだ。

もちろん、dotaを遊ぶ為に「war3.exe」をクリックする人達も居た。けれども、敵は「事実上のWarCraft4」であり、「遂に完成した歴史上最も偉大なリアルタイムストラテジーゲーム」だった。それは決して抗う事の出来ない、時代の移り変わりだった。常に新しいものを求める人々の習性も、dotaには逆風だった。伝説のゲームであり、究極のゲームだったdotaは、その地位を追われた。玉座は空いた。知る人ぞ知るゲーム。かつて偉大なゲームだったもの。それが、dotaだった。「dotaは良かった」人々は口にしたが、それは遠く過ぎ去った過去の歴史の出来事だった。









そして、一つのコメントが出された。

僕はね、xboxで遊びたいんだ。
だからさ、dotaをTFTに移植する作業には関わらないよ。
dotaはさ、もうみんなのものだし、好きにしていいよ。
今までいっぱい遊んでくれて、ありがとうね。





こうして、1つのゲームが死んだ。
dotaは死んでしまったのだ。












かくして、新たな時代が到来した。
新世紀TFTである。




新世紀TFTには、dotaは存在していなかった。

modの中のmodたるdota、絶対的存在たるdota、最高のmodであるdota、modの頂点であるdota。WarCraft3よりも優れたゲームであったdota。そのdotaは存在していなかった。超える事の出来ない壁たるdotaの存在しない場所で、世界中のmod制作者達は考えた。「今modを作れば、modの頂点に立てる」。dotaの存在する世界では決して不可能だったmodの頂点。人々はそれを夢見た。目を血走らせ、一銭にもならない成功を夢見た。自らの能力を証明する為に、他の誰かから愛される為に、mod制作に身を投じていった。戦いの火蓋は切って落とされた。誰もがぎらつき、野心と欲望でエディターを立ち上げ、自らの青春を夜通し費やした。








そこに、一人の男が居た。
野心的な男である。




男は考えた。

有名になる方法。
誉めそやされる方法。
成功する為の最短ルート。





男の頭に1つのフレーズが浮かんだ。
「dota」

男の頭に1つの名案が浮かんだ。
「パクリ」






彼は、パクった。パクったのだ。
パクって、パクって、パクりまくった。





世界中のMODをパクった。

あるmodからはキャラクターをパクり、あるmodからはアイデアをパクった。
あるmodの内部を覗いてコードをパクり、あるmodからはシステムをパクった。
アイテムをパクリ、魔法をパクり、必殺技をパクり、3Dモデルをパクった。






そしてそのパクりにパクりを重ねた自作のMODを、こう名付けた。
「dota allstars」





たしかに、である。
確かに、オールスターだった。


そりゃあ、そうだ。
盗んだのだから。

そりゃあ、そうだ。
パクったのだから。


世界中の優れたMODのキャラクターを盗み、
世界中の優れたMODのアイテムを盗み、
世界中の優れたMODのアイデアを盗めば、
自然、それは、自ずから、オールスターになる。


当たり前である。
当然である。




パクったのだから。
パクってパクってパクりまくったのだから。
そりゃあまあ、オールスターみたいな雰囲気にはなるのだ。






けれどもね、所詮はパクり。
パクりはパクり。




そんな行為で、面白いMODが完成するわけがない。
当たり前だよ。志が低いんだ。心が汚れてるんだよ。

出来上がったのは、ゴミだった。
正真正銘の、ゴミだった。





クリックされると死ぬ。
そういうゲームだった。
いや、ゲームじゃない、ゴミだった。

dota allstarsってのは、ゴミだった。
パクってパクってパクりまくった、正真正銘のゴミだった。






けれども、男には野心があった。
TFTという新世界で、王になるという夢があった。




そのくだらない夢に向かって、男は努力を重ねた。

毎日コードを書き換え、毎週数度のバージョンアップを重ね、さらに、パクり元を探してmodの世界を旅し、dota allstarsと名付けたゴミを改良し続けた。そのゲームは、ゆっくりだけど、少しずつ、よくなり続けた。その頃、dota allstarsよりも優れたmodは無数に存在していた。けれども、それら優れた素晴しい完成度の楽しく遊べる良くできたmodと、dota allstarsというゴミの間には、決して超えられぬ壁があった。


それは、名前である。
「dota allstars」
その名前だった。




これを超える命名は無かった。

dotaという歴史上最も有名で、最も偉大で、最も支持されたmodの名前を取り込み、さらにallstarsとまで名付ける図々しさ。野心。欲望。そのどす黒さ、さもしさの勝利であった。野心と欲望の勝利であった。この卑劣極まる命名が、希望に満ち溢れたmodクリエイター達のTFT世界を黒く醜く覆って行った。




少しずつ、少しずつながら改善され続けたdota allstarsは、そのゲーム内容や完成度によってではなく、その命名によって、氷の玉座に平坐した。「クオリティの高いオリジナルの新しいmodを作ってTFTのmodの頂点に立つ」といった純粋な野心を持った世界中のmod制作者達にとって、それは受け入れがたい光景であった。パクって、パクって、パクりまくって、出来上がったゴミ、いや出来上がってすらいない、まともに遊ぶ事すら出来ないバグの塊に、「dota allstars」と名付ける卑しさが、その世界に君臨してしまったのだ。無数の優れたmodを差し置いて、勝利してしまったのだ。




それは悪夢であった。
押しとどめる事の出来ない、悪夢の巨大なうねりであった。




他のmodが夢見ても決して叶わないような莫大なユーザーを抱え、他のmodが1年かけて達成するようなプレイ人数を僅か10分で達成してしまう。その巨大な人口を背景に、膨大な数のバグ報告が寄せられた。ゲームの致命的な欠陥に関するレポートも寄せられた。さらには新しいアイデアが寄せられ、新しいパクるべき要素の提案まであった。それらを少しずつ消化して行く事で、dota allstarsは進化し続けた。その過程の中で人々はある思いを胸に抱いた。「俺がdota allstarsを育てた」。いや「俺がdota allstarsを作ったのだ」と。




かくしてdota allstarsは一人の男の野心ではなくなった。dota allstarsは世界全人民の夢であり、世界全人民の希望であり、世界全人民の野心となった。人々の夢は、人々の希望は、人々の成功と未来を願う強い心は、折り重なり、絡み合い、dota allstarsというゲームを発展させ続けて行った。







そして、dota allstarsは一定の水準に達した。
かろうじて、ぎりぎり遊べるゲームになった。




それは糞ゲーだった。
目も当てられないクオリティの、酷い馬鹿ゲーだった。







かつてWarCraft3の世界で栄光を極めた素晴しい完成度の見事なゲームであるDefense of the Ancientsと、TFTの世界に君臨する正真正銘の糞ゲーであるdota allstarsの間には、天と地ほどの差があった。それでも、dota allstarsは、一定のクオリティには到達していた。ぎりぎり、かろうじて、どうにか、たのしく、うんざりしながら遊ぶ事が出来た。





「これはdotaではない。allstarsなんだ。」
人々はその糞ゲーを、巧妙な言い訳で受け入れた。




「そうだよ。確かに糞ゲーだよ。だからどうしたの?それが何?」
ゲームの面白さと、プレイヤーが感じる楽しさに相関性なんて無かった。





dota allstarsには大勢のユーザーが居た。

誰かと遊べる。
誰かと同じ時間を過ごせる。
くっだらねえなとケラケラと笑って遊べる。

それだけで十分だったのだ。






ゲームの完成度。
ゲームの面白さ。
よく出来ているかどうか。

そんな事はどうでもよかった。
ゲーマーは寂しかった。
ゲーマーは孤独だった。
誰かと一緒の時間を過ごしたかっただけなのだ。

誰かに愛されたかった。
誰かに認められたかった。
ただthank youと言われたかった。

その為の最短手段。
その為の最善のツール。
それがdota allstarsだった。

5対5の対戦ツールであったDefense of the Ancientsとは違う価値観。
10人で糞ゲーをケラケラと眺めてカラカラと笑うという世界観。

それがdota allstarsだった。







糞ゲーであった事はむしろメリットだった。

究極の完成度を誇り、5対5の真剣勝負ツールと化していたdotaとは違い、dota allstarsはパーティーゲームだった。気楽に遊べて、おもしろくて、おもしろくなくて、たのしくないけどたのしくて、くだらなくて、本当にくだらなくて。dota allstarsとは、糞ゲーであり、誰もが笑える場所だった。






一方のWarCraft3TFTは、WarCraft4と呼ばれる程の完成度を誇っていた。
ゲームの中のゲームであり、ビデオゲームの極北であった。
真の対戦ツールであり、真剣勝負のコロシアムだった。




TFTの世界には、スポンサーが付き、定期的にリーグ戦が行われ、トーナメントが開催され、プロチームが生まれ、プロゲーマーは世界的名声を手にし、人々はその試合の様子を観戦し、その凄まじい技術レベルに酔いしれた。そして、人々はプロの試合の観戦の、今見た興奮冷めやらぬ、熱々ホットなハイテンションで、TFTの世界に身を投じ、1対1の真剣勝負であるWarCraft3TFTをプレイし、その難しさに心を折られ、自分の限界を知り、軽くうなずいて諦めて、馬鹿ゲーに手を伸ばした。ケラケラ笑える5対5の糞ゲーの世界に身を投じた。それは癒しであり、チャットツールであり、傷つき矢折れた僕達に差し伸べられた、やさしいやさしい救いの手だった。











馬鹿ゲー。
糞ゲー。
ゴミゲー。
くっだらねえゲーム。
dota allstars。




そんな糞ゲーのトーナメントなんて、開催されるわけがなかった。賞金がかかり、真剣勝負として観客を集めて行われるeSportsの大会において、「dota allstars」という競技が採用される事は無かった。eSportsと呼ばれる類の巨大なビジネスの世界で採用されるのは「WarCraft3TFT」というあまりにも偉大なリアルタイムストラテジーであり、dota allstarsなんて糞ゲーは、箸にも棒にもかからなかった。













ところが、世界中にただ1つだけの例外が存在していた。
デンマークである。







「Dream Hack」
世界最大のLANパーティー。

普段はインターネットで遊んで居るゲーマー達が、自らパソコンを持ち寄り、夜通し遊ぶ。夜を通してゲームをプレイし続けるだけの、ゲーマーによる、ゲーマーの祭典。ゲーマーのお祭り。ゲーマーの為の巨大なパーティー。Dream Hack Winterと、Dream Hack Summer。年に二度のゲーマーのヘヴゥン。


その巨大な夢のLANパーティーの中のちょっとしたイベントとして、WarCraft3TFTや、カウンターストライクといったような、「真の対戦ゲーム」の大会は当然の如く開催されていた。高額の賞金を争い行われる、プロゲーマー達のトーナメントは開催されていた。それと同時に、dota allstarsなる糞ゲーのトーナメントも小さく些細に行われていた。


糞ゲー、ゴミゲー、単独では大会なんて行えるようなクオリティではないdota alsltars。eスポーツワールドカップだとか、ワールドサイバーゲームスなんていったような、世界的な大会では決して採用されない駄目ソフト。けれども、DreamHackはゲーマーの為の場所である。なんの制約もない、自由な空間である。どれだけ出来が悪くても、どれ程酷い糞ゲーであろうと、多数のプレイヤーが存在しているというだけで、トーナメントのはじまりである。Dream Hackとは、そういう場所だった。人民が作り上げた、人民の為の夢、人民の為の人民の糞ゲー。dota allstars。そのトーナメントが開催されるのは、当然の成り行きだった。







WarCraft3TFTの大会なんて、なんの希少性も無かった。
カウンターストライクの大会なんて、人々はもう見飽きていた。
「dota allstars」というなによりも有名な糞ゲーの真剣勝負トーナメント。

それは、新しいコンテンツだった。
人々はそれを見た。
それに注目した。

未知の世界。
未知のイベント。
未知の体験、未踏の地。
新たなる歴史の幕開けに立ち会っているという興奮。

世界中で、ここにしかない大会。
ここにしかないトーナメント。
それがDream Hackにおけるdota allstarsだった。




大勢の視聴者を集め、世界中から取材が訪れる巨大な場所で、トーナメントが行われ、それが大勢の人民の注目を集めるという事実は、プロチームの誕生という結実を迎えた。Meet Your Makers、MYMというデンマークのeSportsチームが「dota allstars部門」の立ち上げを決めたのだ。デンマーク中から最強プレイヤーが集められ、デンマークオールスターとも言える最強のチームが完成した。デンマークに栄光と歓喜をもたらす為の、無敵の5人が集まった。


















ソビエト、という国がかつて存在していた。
その国は寒い。その国は貧しい。その国は巨大。




スウェーデンよりも、デンマークよりも、遙かに多い人口。
冬には雪が積もり、ゲームくらいしかやる事がない。
そこはビデオゲームの国。
ゲーマーの連邦。




糞ゲーであり、ゴミゲーであり、ひっどいひっどいゲームだったdota allstarsにおいて、世界で一番強い地域はソビエトだった。疑う余地の無い最強の地域であり、最強の国家だった。WarCraft3tftというゲームは、非常に低いスペックのパソコンでも動くように作られており、それもソビエトに味方した。ドイツ、フランス、あるいは北欧といった大国のゲームユーザー達が、ハイスペックでしか動かない新しいビデオゲームを移り気に摘み食いしている間も、決して豊かではない地域のソビエトでは、WarCraft3TFTとそのmodは、大勢のアクティブユーザーを抱え続けた。

その巨大なユーザーの母数を背景に、ソビエトはdota allstarsの最強地域として不動の地位を築いていた。けれども1つの不幸があった。デンマークは、遠い彼方に有り、ロシアは欧州統合の外側に位置していたのだ。それはあまりにも絶望的な現実だった。






5対5のdota allstarsというゲーム。

Dream Hackという唯一無比のオフライントーナメントに参加するには、5人のプレイヤーをデンマークに送り込む必要があった。自分の育った町から一度も出た事が無い、僅か15歳の天才プレイヤーが、「賞金がかかったトーナメントに参加する」という為だけにビザを取得し、列車と飛行機を乗り継いで、物価も言語も違うデンマークに辿り着く。それは途方もない困難であった。これが仮に、1対1の対戦ゲームであれば、ソビエトにも可能性はあった。けれども5対5である。5人である。5人もの人間が、それを行わねばならないのである。

飛行機代。
電車代。
ホテル代。
ビザ。
国境。
言語。

全てが逆風であり、全てが障壁であり、全てが障害であった。





かくして、DreamHackに辿り着けず、ソビエトは臍を噛み涙した。

デンマークから僅か100マイルの距離しかないエストニア人すら、DreamHackに辿り着く事は出来なかった。確かに、彼一人ならばデンマークに行く事は出来たかもしれない。けれども無念、dota allstarsは5対5。彼のチームメートはロシア人であり、ウクライナ人であり、モルドバ人だった。一人でデンマークに乗り込んだ所で、彼に出来る事は何も無かった。







そして、ソビエトは崩壊した。
世界最強地域たるソビエトは、身悶えながら死んで行った。




スウェーデン、ノルウェー、ドイツといったデンマーク周辺地域のプレイヤーは、DreamHack Summerと、Dream Hack Winterという、年に二度開催される、膨大な観客を集めるトーナメントに向けてモチベーションを保つことが出来たし、スポンサーも付いた。けれども、そのような大会の存在しないソビエトにとって、5人のプレイヤーがモチベーションを保ち練度を高め続ける事は不可能だったし、真剣勝負の場すら存在していなかった。オンラインの大会で最強を誇っていたソビエトは、DreamHackが開催される度に技術の進化から取り残され、その地位を落とし、あっというまに中堅国、やがては弱小国にまで落ちぶれてしまった。それ以降、ソビエトという地域がdota allstarsにおいて強国の地位を取り戻す事は終ぞ無かったのである。Dream Hackを守る鉄のカーテンが、1つの最強国家を死に追いやってしまったのだ。









その大会。
そのトーナメント。
それは、デンマークの栄光の為の大会であった。

デンマークが勝つ。
デンマークが喜ぶ。
デンマークが光り輝く。

Meet Your Makers。
デンマークの象徴。
デンマークの栄光。
最強のチーム。それがMYM。

世界中のdota allstarsプレイヤーの注目を、デンマークが浴びる。
強いMYM。勝つMYM。決勝に進出するMYM。
dota allstarsシーンの幕が開ける瞬間。











決勝の相手は、隣国スウェーデンから自費で訪れたアマチュアチーム。
そのチームには一人のプレイヤーが居た。
ジョナサン・ベルグ。
Lodaである。





Lodaは、デンマークが全てを手にするはずだったトーナメントの決勝で、事もあろうかMYMを木っ端微塵に粉砕した。粉砕して、粉砕して、粉砕しまくった。キャンプをはって、トレーニングにトレーニングを重ねた、プロゲーマーの集団である、デンマークオールスターの5人を千切っては投げ、千切っては投げ、誰が一番強いか、誰が最強であるかを完全に証明した。そのあまりの衝撃に、人々は酔いしれた。あるものは言った。Lodaこそがヒーローだ。Lodaこそがdota allstarsだと。





確かに、そのトーナメントで優勝したのはMYMというチームだった。


けれども、そんな事はどうだってよかった。誰1人としてMYMの事など気にはとめなかった。世界中のdota allstarsプレイヤーの記憶に刻まれたのは一つの名前、Loda。その名前だけだった。それは物語が始る瞬間であり、歴史が始る瞬間だった。そして、dota allstarsシーンのはじまりでもあった。





かくしてDream Hackの終了と同時に、Lodaという男に率いられたアマチュアチームは、SK gamingのdota allstrs部門としてプロチームとなった。それ以降、Dream Hackとは、Lodaによる、Lodaの為の場所だった。Lodaの為の大会だった。Lodaは様々なチームを渡り歩きながら常に最強チームのエースであり続けた。世界中のdota allstarsプレイヤーの模範であり続け、Dream Hackのヒーローであり続けた。

MYMは世界一の座を手に入れようと、「この人は強い」と噂になったプレイヤーに片っ端から節操なく手を伸ばし、メンバーを入れ替え続けたが、その試みは全て失敗に終わった。唯一例外的にMYMが世界一のチームだと認識されていたのは、Lodaというスウェーデン人を僅かな期間だけ入団させる事に成功していた時期だけである。







Dream Hack Samar。
Dream Hack Winter。
年に二度開催される、巨大な聴衆を集めるイベント。
その存在は、dota allstarsを「デンマーク周辺地域の国技」へと変えていった。




大会に向けたモチベーション。
舞台が引き寄せるスポンサー。
ノックアウト式のトーナメントがもたらす経験。



ソビエトにはそれが無かった。
目指すべき場所も、戦うべき場所も存在していなかった。

エストニア人のpuppyというプレイヤーが、ネット対戦でLodaと壮絶な死闘を繰り広げた末に勝利し、終了直前にLodaからkillを取り、Lodaに向かって発言した「noob」というコメントがちょっとした話題になったりしたけれど、誰一人としてソビエト人の発言をまともに取り合おうとはしなかったし、ソビエトを評価する人も居なかった。dota alsltarsシーンとはDream Hack Winterであり、dota allstarsシーンとは、Dream Hack Summerだったのだ。そしてそこにLodaという人物が存在し、輝き続けている限り、彼こそが世界のヒーローだった。







Dream Hackがdota allstarsをソビエトの国技からデンマーク周辺地域の国技へと変貌させると同時に、Dream Hackはdota allstars本体をも、まったく別のゲームへと造り替えていった。






馬鹿ゲー。
KUSOゲー。
くっだらないゲーム。

そんなゲームであったdota allstarsは、「Dream Hackの為の対戦ツール」へと造り替えられていった。少しずつ馬鹿ゲー要素は削除され、少しずつKUSOゲー要素は削除され、少しずつ、少しずつ、くっだらないゲームではなくなっていった。普通のゲームへと、普通の対戦ツールへと造り替えられて行った。

巨大な聴衆を集めるトーナメントを背景としたプロプレヤーとeSportsチームが先に存在していて、その存在に向けてdota allstarsは擦り寄せられて行ったのだ。Lodaが1勝する度に幾つもの問題点が明らかになった。「これはひどい」「あれはひどい」「このゲームはLodaに相応しくない」。少しずつ改良され、少しずつ変化し、それはLodaの栄光に値する、相応しいゲームへと姿を変えていった。くっだらないゲームから、eSportsに相応しい普通の対戦ゲームへと変貌を遂げていったのである。

完全な馬鹿ゲー、完全な糞ゲー、ケラケラ笑うだけのくっだらないアトラクション。そんなdota allstarsはもうどこに存在していなかった。dota allstarsという犠牲の上に、dota allstarsと引き替えに完成したdota allstarsという新しいmodは、その命名とパクリによって不正に手に入れた「TFTのmodの頂点」という地位を、世界中全ての人に認めさせる事に成功した。こともあろうか、dota allstarsこそがmodの頂点に立っていた。そうして訪れた新たな時代のユーザーの多くは、dotaというmodがかつて存在していた事すら知らなかった。dota allstarsの略称は、いつの日からか「allstarts」から「dota」へと変化してしまっていた。皇位簒奪は完結した。





そうしてdota allstarsが「対戦ツール」に変化していくと、世界中でdota allstarsが真面目に遊ばれるようになった。特にその傾向が強かったのは中国やアジアで、ネットカフェやウェブサイト主体の大会が行われ、チームが生まれ、特に中国という地域は、レベル的にはデンマーク周辺地域を完全に上回っていた。極稀になにかの間違いで世界的なeスポーツイベントに採用されたdota allstarsの大会では、中国が他の地域に勝つという光景が当たり前の出来事として繰り返された。

けれども、dota allstarsプレイヤーの視界の中心にあったのは、あくまでも年に2度、定期的に開催されるDream Hackであった。そして、Dream HackのヒーローLodaだった。やがてLodaから数年遅れて現れた、KuroKyという悪魔の化身がLodaの地位を脅かしたが、人民のヒーローは常に変わらずLodaだった。dota allstarsシーンの開幕を告げた、Dream Hackの英雄だった。
















dota allstarsシーン。
それは、死につつあった。

dota allstarsというゲームは、WarCraft3本体の違法ダウンロードを背景に、2000万人とも3000万人とも言われるプレイヤーを得ていた。同時接続だけでも300万とも言われるくらいのゲームだった。けれども、時の流れは残酷である。時間の流れと共にその勢いは失われて行った。




dota allstarsのメンテナーがriot gameに入社して作り上げたLeague of Legendsというゲームは、基本プレイ無料という強みにより、多くのユーザーを集めた。一方でdota allstarsは廉価版で30ユーロもするWarCraft3tftというゲームを購入しなければプレイする事が出来ない。あるいは、違法ダウンロードしなければ遊ぶ事が出来ない。




それに、dota allstarsは所詮modだった。modであるが故に、マッチングシステムは存在していなかった。技術レベルが近い人同士が遊べるレーティングシステムを採用したLoLと違い、dota allstarsは同じくらいの強さの人達と遊べるシステムが無かったのだ。

dota allstarsはDream Hackという大会によって、かつての「誰もがけらけらと笑いながら気軽に遊べるBAKAゲー」ではなく、「プロ同士の真剣勝負に値する、よく出来た対戦ツール」に進化してしまっていた。それは「楽しく遊べるくだらないゲーム」が「初心者は熟練者に狩られるだけの対戦ツール」になってしまっていた事を意味した。








そうして、dota allstarsは消えて行った。

League of Legendsが大量の新規ユーザーを獲得し、一気に盛り上がる一方で、dota allstarsは順調にやせ細り、dota allstarsシーンも衰退し続けた。あるトーナメントが終わり、あるチームが解散し、有名なプロも引退したり、別ゲーに行ったり、復学したりして、シーンと呼べるだけの姿すら維持出来なくなりつつあった。dota allstarsシーンと言えるものが生きていたのは、中国やマレーシアシンガポールといった、極めて例外的な地域だけだった。世界の中心であったはずのデンマーク周辺地域は、完全に廃墟と化していた。






そんな時期に、steamで有名なvalve社が、dota allstarsのメンテナーを入社させ、「dota2」というdota allstarsのコピーゲームを作った。それは、dota allstarsの完全なコピーを目指していたが、まったくもって未完成だった。見るも無惨な劣化コピーだった。

そのdota allstarsの30%にも満たない、酷い酷い劣化コピーを用いてvalve社は、100万ドルトーナメント、なるものを開催した。ある者は歓喜し、ある者は激怒した。「あの伝説のプロが現役に復帰するって!」「なぜ未完成のゲームで大会などやるのか」




然りである。

そのdota2の大会において優勝したのは、誰もが認めるdota alllstars最強の無敵地域であった中国のチームではなく、NaViというソビエトのチームだった。valveが湯水の如く広告費を散蒔いたお抱えメディアの提灯記事によって、5人のソビエト人は、一夜にして大スターになった。dendiというウクライナ人は、国で最も有名なスポーツ選手の一人にまでなった。

仮に完成度30%にも満たないdota2という未完成の劣化移植ゲームではなく、dota allstarsというコピー元のWarCraft3の操作性を受け継ぐ完成したゲームで大会が開催されていたならば、優勝したのは間違いなく中国のチームだっただろう。100万ドルを手にしていたのは、まったく別の人達だっただろう。それに僕等は、賞金総額200ユーロの大会で、素晴しい名勝負を繰り広げた幾多のプロゲーマー達を思い出す事が出来る。そしてLodaを思い出す事が出来る。



そんな世界で大スターになってしまったソビエト人達を、僕等は上手く受け入れる事が出来なかった。僕がNaViに無関心で、消極的なアンチNaViになってしまったのは、安い安い、チープなdota allstarsシーンをずっと楽しみに見させてもらった、その刺激と興奮の記憶が今も生きているからなのだ。




数年後には完全に消滅してしまうはずだったdota allstarsシーンが、valveによる劣化コピーと、卑劣な課金商法と、膨大な広告宣伝費によって復元され、生き返った事については、喜ぶべき事なのだ。それは理解している。それでも、僕はまだ、dota2という現実と、NaViという現実を、うまく受け入れる事が出来ていない。





でも、思い出してみるべきだよね。

dota allstars自体が、欲望に塗れたパクりだったんだから。dota allstarsというゲーム自体が、元来どす黒い野望によって生まれた存在なのだから。valveの課金商法が酷いとか、広告宣伝費によるお抱えメディアの提灯記事が酷いとか言うのは、完全に筋違いだ。dota allstarsってのは、始まりからしてそうだったんだから。きたなく薄汚れていたんだから。それに、ありし日のスターがお金を儲けるのはよいことだしね。大抵の人生の苦しみなんて、お金があれば解決するんだ。



























先日、Dream Hack Winterが開催された。

極めて僅かな賞金額のその大会に、dota2で不動の名声と、巨額の賞金と、不朽の栄光を手にしたNaViというソビエトのチームが目の色を変えて参加した事に、違和感を覚えた人も居たかもしれない。NaViの大スターであるdendiが、NaViのチームリーダーであるpuppyが、並々ならぬ決意を語る事に、違和感を覚えた人も居たと思う。ヨーロッパ周辺のチームしか参加しない、極めてローカルな大会に、どうして世界中の人々が注目するのか、理解出来ない人も大勢居ただろう。






けれども、僕等は覚えている。
悲しい、悲しい出来事を。
あの日のソビエトを。




1円の賞金も存在しない大会で輝き続けた続けたソビエト。Dream Hackというオフラインではなく、インターネットのオンラインヒーローだったソビエト。KUSOゲーのオンライントーナメントで大活躍し、世界中の憧れだった髪を赤く染めた10代半ばのロシア人。15歳の天才少年。ビッグマウスの高校生。彼らの未来を奪った、国境という壁。国境という現実。Dream Hackという表舞台。雪に閉ざされた裏世界。重く冷たい無数の屈辱的な敗北の積み重ね。無敵を誇ったソビエトが、鉄のカーテンに遮られ、凋落していった歴史を僕達は知っているのだ。



ソビエトの悲しみ。ソビエトの無念さ。それを晴らす為の舞台。
Dream Hack Winterとは、復讐の場だったのである。





そこで起こった出来事は、いつかの夜明けと同じくらい、皮肉なものだった。

NaVi、Evil Geniuses、Mousesports、Fnatic、Absolute Legends、そしてMYM。ソビエト、アメリカ、ドイツ、フランス、デンマーク。多くのプロゲーマーを抱える高名なeSportsチームが多数参加したDream Hack Winter 2012で優勝したのは、隣国スウェーデンから自腹を切って訪れた、名もないアマチュアチームだった。そのチームのエースプレイヤーは、Jonathan Berg。お察し、他ならぬLodaである。なんてこったい。Lodaって人は、生きていたんだ。今日も元気に生きていたんだ。



ずっと死んだと思っていたのに。
それは、生きていたんだ。



死んだと勝手に思い込んでるだけで、たぶん生きているんだよね。
きっとどこかで幸せに、今日も元気に生きているんだろうよ。

2008年10月4日土曜日

DAICHIという夢、夢の終わり。



ペレが空を飛んだというのは、ペレに関する事実の中でも最も有名な嘘である。






喋ることにかけては右に出る者は居ないと自負する出自も知れない怪しげな人達が、フットボール場ではなくラジオ局でマイクの前に座り、一日中代わる代わるに思い思いを喋り続けていた時代においても、フットボールはブラジル人にとってはセックスと並び人生において、最も重要なものの1つだった。

カナリア色のブラジル代表が旧世界、即ち欧州の国々と対戦する度に、彼らはただ喋り続けることにより、それを伝えた。映像が電波に乗るより以前、広大な国土を誇るブラジルという国において、ペレの姿を見た者は皆無に等しかった。

今なお最も偉大なフットボール選手の一人に数えられているペレの姿を、いかにして大衆の元に届ければよいのか。彼らはその巨大な難問と向き合い続け苦心惨憺を続けた結果、遂に、遂にペレは空を飛んだ。ペレは空を飛んでしまったのである。



けれども、誰一人としてペレ本人に「あなたは本当に空を飛んだのですか?」などと問いただす人は居なかった。それは、誰もがその嘘に気がついていたからなのではなく、むしろ、誰もがそれを、ペレが空を飛んだという事実を、真実であると頑なに信じていたからである。

ブラジルの黄金時代とでも言うべき長い戦後を支えたのは、その嘘を頑なに信じ続けた人々であった。ファルカンが、ソクラテスが、トニーニョセレーゾがそれを信じ、ペレに憧れ、ブラジルという国を形作った。グレンホドルに言わせれば、「ブラジルのフットボールは嘘で出来ている」というわけである。

けれども、誰がそれを不誠実な行為であると責められよう。海を越えて試合結果だけが電信で伝えられて来る中で、90分もの間でたらめを喋り続けるような事が許された時代においては、ペレが空を飛ばない限り、ペレの偉大さが大衆の元に届くことは、決してなかったのである。



テレビは、そんな時代を終わらせた。伝えたいという思いが先端技術を発展させて、それは普及し時代を変えた。映像は、常に真実だけを伝えた。街頭テレビのブラウン管は、ラジオによって作られた嘘を1つ1つ暴いていった。力道山は空手チョップで世界中の強者共を片っ端から薙ぎ倒し、日本国民はそれに酔いしれた。

世界で初めてのテレビオリンピックとなった東京五輪において、テレビはそれを世界に伝え、市川崑だけがそれに刃向かった。市川は、オリンピックの100メートル走の決勝戦の、下半身だけを撮影し、誰が走ったのかも、誰が勝ったのかもわからない、荒唐無稽な映像を作った。

それが伝えたのは、ただ、いそいそと回る足だけだった。それにより人々は、オリンピックで100メートルを走っているのは、陸上選手とは名ばかりのコマ送りの棒人形などではなく、血の通った生身の人間だったのだと、その時、初めて知る事になった。もう二度とペレが空を飛ぶことは無かった。



時代が流れるにつれ、技術は進歩した。映像は進化し続けた。もうあの日のように下半身を賢明にカメラで追う必要は無くなった。40インチのハイビジョンは、筋肉の動きまでをも正確に捉え、電波に乗ったその映像は、2秒遅れで世界に飛んだ。

ペレが空を飛んだ頃には、いや、東京五輪が開かれた頃ですらただの1台も存在していなかったようなテクノロジーのカメラが18台も国立を囲み、22人の選手と2人の監督を絶えずその枠内に捕らえ続けたが、それを喋るのが角澤照治であったという事実は、技術の進歩が人類の幸福に必ずしも貢献しないという紛いなき真実を顕著に伝えた偉大な1つの例である。実況者とは真実を大衆に伝える仕事である。角澤もまた、その例に漏れず、職務を忠実に果たしたのである。










一部、聴衆の間では、格闘新世紀1の鳳凰という称号に対し、大覇王はないんじゃないか、そんな声もささやかれていました。だがしかし、その肩書きを、より強く、深く、高いものに自ら伸し上げていったのが、この大覇王、超南アキラ。今やこの大覇王という称号は、揺るぎないもの、そして、かつてのものとは計り知れないほど高いものになっています。その、大きな壁に立ちはだかる、猛者、ムームーダンス。まずは1ポイント。大覇王がその格式を見せつけます。

僕は、この実況こそが我が国のEスポーツの歴史において最も素晴らしい実況であったと、今も信じて疑わない。この実況の素晴らしさは、「一切実況していない」点にある。普通、実況者というものは、映像をなぞる。映像に捕らえられている事実を出来る限り正確に喋ろうとする。けれども、斉藤はこの実況において、その努力を完全に放棄した。

見て解る事は一切喋らない。対戦が始まっているにも関わらず、一言も喋らない。実況しない。その代わり、見ているだけでは伝わらない事を、全力で伝えに行ったのである。斉藤がこの実況で伝えようとしたのは、大会の歴史であり、プレイヤーが背負ってきたものであり、プレイヤーと、クリエイターと、会社と実況者とが、寄りかかりながらそれぞれに、裏道をとぼとぼと歩いてきたバーチャファイターという細く長い道のりだった。

株式会社セガの中にも、流石に「この実況者は凄い」という事に気がついた人が居たらしく、家庭用のバーチャファイター5は「実況パワフルVF5」として作られたが、ワゴンに積まれた。バーチャファイター5はワゴンに積まれた。ゴダールに言わせれば、「セガは悪くない。大衆が馬鹿なのだ」と、なる。どうあれ、バーチャファイター5は、ワゴンに積まれた。ワゴンに積まれてしまったのである。








そろそろ、このエントリーの主人公であるDAICHIにご登場いただこうと思う。

「俺、この動画はやくあげてえよ。」
このフレーズこそが、DAICHIを象徴する。




え、これ今何分?動画
今2時間47分です。予定通りです。予定通りです。
俺この動画はやくあげてえよ。(野次:だいちはやく帰れ!)
でも実況してえよ。(野次:直帰直帰!)
わかった、今日徹夜で作業するわ。

前述のバーチャ実況の斉藤は、セガの社員だった。セガという会社が、開発したゲームのユーザーの為に、そして会社の利益の為に、大会を開催し、それを社員に実況させた。そこで生まれた実況だった。けれども、DAICHIは違う。DAICHIという人は、自らで大会を開催し、自らで実況をし、自らでエンコードし、自らでニコニコ動画にアップロードしたのである。それを続けたのである。DAICHIという人は、なぜそんな事をしたのだろうか。僕が思うに、DAICHIという人は、よっぽどの暇人だったのだと思う。他に理由など無いと思う。




DAICHIという人が、自らで開催し、自らで実況した大会の動画をニコニコ動画にアップロードし始めたのは、今からちょうど一年くらい前の事である。彼が取り上げたのは、北斗の拳という完全にバランスの崩壊した、非常に不人気な2D対戦格闘ゲームで、当初は、8人の出場者を集めるのにも苦労し、彼が携帯で呼び出し、あるいはゲームセンター中の人に声をかけてやっとの事で開催していたくらいのものだった。そしてDAICHIの実況もまた、お世辞にも聞けたものではなく、僕はそれを慎重に聞いて、非常に失望したのを今でもはっきりと覚えている。








「ニコニコ動画に凄いゲーム実況が居る。」
そんな噂が僕の耳に入ってきたのは、昨年のクリスマスの頃だった。

WarCraft3というゲームのプロゲームシーンの熱心なファンで、3年以上に渡って毎週十時間以上もプロゲーマーの対戦動画のリプレイを欠かさず見続け、それだけには飽きたらず、韓国人の実況動画やドイツ人の実況動画、あるいはロシア人の、中国人、アメリカ人の実況に至るまで、言葉を全く理解出来ないにも関わらず見続けていた酔狂な、狂信的とも言うべきEスポーツ好きの僕にとって「日本人の凄いゲーム実況が聞ける」という話は、まるで素晴らしい夢のような出来事に思われた。

仕方が無しに嫌悪していた、そして今でも嫌悪しているニコニコ動画のアカウントを取得し、DAICHIの実況動画を探し、一番古いものを選んでそれを見た。見るべきものは何もなかった。舌は回らない。済んだ事をディレイで喋る。言い間違いや思い違いを延々引きずる。まるで聞き手の事を考えていない。独りよがり。自己満足。

それは、地方都市のゲームセンターの店員が場末の大会でだらだらと喋っているのと、たいして違わないレベルだった。酷い実況だと思った。同じ動画で実況していた、もう1人の実況者の方が、まだまともに思えた。今聞いても、同じように感じるだろう。「この実況どこが凄いんだ」と不愉快な気分になった。身内が内輪で褒めているだけなんだろうと僕は考えた。インターネットに騙された、と思った。

けれども、DAICHIは変わっていった。
目に見える速度で変化していった。








何がDAICHIを変えたのだろう。
その問いには、はっきりした答えがある。

DAICHIが、DAICHIを変えたのである。








DAICHIは、自らの実況動画を、自らでエンコードし、自らでアップロードした。当然、DAICHIは誰よりも早くDAICHIの実況を耳にする事になった。ニコニコ動画のシステムでは、コメントを読む為には動画を再生する必要があった。必然的に、DAICHIは自らの声を自らで聞き続ける羽目に陥った。適当な人間でありながら、些か神経質な所を持つDAICHIはコメントを読むためにニコニコ動画にアクセスし続け、その度に自らの実況を聞き続けた。そうして聞いたDAICHIの声が、DAICHIという人を、もの凄い速度で変えていった。

DAICHIは毎週2度もの大会を自ら勝手に開催し、自ら勝手に実況し、自ら勝手にエンコードし、自ら勝手にアップロードし続けた。その度にDAICHIは自らの実況を自らで聞いた。「自分の実況を繰り返して聞き続ける」という希有な体験が、DAICHIを常識では考えられない速度で成長させていった。DAICHIは言う。




俺さあ、滑舌よくなったんだよね。
喋れるんだよ。自分でもびっくりした。喋れるの。

実況動画の試合と試合の合間に、DAICHIがぽつりと漏らした時、周囲の反応は薄かった。それもそのはずである。周囲のプレイヤー達は皆、「大会参加者」だった。彼らにとってのDAICHIの喋りは大会を彩るリアルタイムの出来事でしかなかった。大会の参加者達は、現場でDAICHIの喋りを聞き、大会の様子を生で見ていた。ニコニコ動画で見るにしても、精々一度きりだった。

その場に居た人達の中で、ただ一人DAICHIだけが、DAICHI動画を繰り返し見ていた。何度も、何度も繰り返し見ていた。自らで開催した大会であるという誇り、自らで実況をしたというプライド、自らでエンコードしたという情熱、自らの動画に付けられたコメントを読みたいという欲望、そして止まるところの無い自己愛。それらがDAICHIをDAICHI動画へと向かわせ、結果としてDAICHIは成長し、その成長したDAICHIの姿に誰よりも驚いたのがDAICHI本人だったのだ。そして彼は言ったのである。「自分でもびっくりした。」と。




今日は18名もの北斗プレイヤーが、参加してくださいました。
ありがとうございます。ありがとうございます。

DAICHIが変わるにつれ、変化していったものがもう1つだけあった。

大会参加人数である。当初8名の参加者を集めるのにも苦労していたDAICHI大会は、あっという間に16名の壁を越えた。ニコニコ動画で噂を聞きつけ、ニコニコ動画でDAICHIの声を聞いたプレイヤー達が、渋谷から、新宿から、あるいは横浜から、ぽつり、ぽつりと少しずつ、中野ブロードウェイへと集まり始めた。

それは、スポンサー付きプロゲーマーらによって、高額の賞金を巡って繰り広げられるWarCraft3シーンを見続けていた引きこもりである自分にとっては、とても奇妙な光景に思えた。賞金もない、賞品もない、得る物の無い大会に、汽車と地下鉄を乗り継いで、一人、一人と参加者が増えていった。

そうして集まった都内各所の名プレイヤー達によって、DAICHIの声は割れ、喉は枯れ、大会は日増しにその熱を増していった。動画はそれを伝え続けた。精密機械の異名を持つKIが圧倒的な実力で大会を連覇し続けた。「帰宅しようとする対戦相手にお金を渡して対戦を求めた」あるいは「北斗をプレイする為に上京した」というエピソードを持つイチは、色物プレイヤーに4連敗を喫して良い所無く負けて消えて行くという損な役回りを演じながら、何時しか復調し、DAICHI動画において最も存在感のある必要不可欠なプレイヤーの一人にまでなった。弱キャラの中堅プレイヤーという、弱小選手の一人にしか過ぎなかったひげは、いつの間にかDAICHI動画のもう一人の主人公とでも言ってよいようなサクセスストーリーを歩み始めた。

土曜日と水曜日が来る度にDAICHIは喋り、回を追う毎にDAICHIは成長し、参加者は増え続け、DAICHI動画は不思議な熱を帯びていった。その動画の熱を作り出していたのは、プレイヤー達だった。DAICHIではなく、中野ブロードウェイに集うプレイヤー達だった。その事実を指して、「DAICHIは個性的な参加者に恵まれたのだ」と言う事は簡単である。おそらくに、それは真実だと思う。けれども、僕はその事実を認めたくないし、それを真実だなどとは思わない。そこには、ただ、DAICHIが居た。

土曜日が来る度に3時に家を出て4時に着くや否やマイクを持ち、野試合をプレイしながら野試合を実況し、午前0時まで息も絶え絶えに喋り続ける。見慣れない顔を見つけては迷惑とも言えるまでにアドバイスを繰り返して丁寧に育て、大会のレベルに付いていけない人が増えると見るや初級者限定の大会を開催し、しかもそれを自ら喋り、自らエンコードし、自らアップロードし、その大会から幾人もの名プレイヤーが生まれるにまで至った。

何が彼をそうまでさせたのだろう。僕は、多分、DAHICIという人は、よっぽどの暇人だったのだと思う。僕の貧相な想像力では、そのように理解するのが精一杯である。けれども、幾人かの北斗プレイヤーはそのようには捕らえなかった。そして、彼らは中野ブロードウェイを目指した。




渋谷勢、新宿勢、横浜勢。

それら「外敵の侵入」とでも言うべき事態は、DAICHI動画にそれまでとは少し違った色を加えた。それは、僕が何年も前にWarCraft3シーンで目にした、「北米勢の参入、韓国勢の乱入、中国勢の登場、ロシア勢の台頭」といったものと同じような、新しい刺激と衝突を生み、それらは必然的にプレイヤーの譲れぬ意地となり、新しい名勝負を生み出した。

「小さなコミニティの気持ち悪い身内色」といった空気が完全に払拭される事は決してなかったが、DAICHIは彼ら外敵とも呼ぶべき外様勢に、ぎりぎりの所まで極限に気を遣って喋り続けた。僕はDAICHIが身内のノリで、内輪の面子を「おいこら○○!」と何度も呼び捨てにした後で少しの間沈黙してから、申し訳なさそうに「○○さん……、○○さん。あ、試合お願いします。」と縮こまっているのを何度も見た。そういった点において、DAICHIが成長することはまったく無かったが、驕り高ぶる事もまったく無かった。DAICHIは最初から最後まで、変わらずDAICHIのままだった。変わったのは、実況技術だけだった。そして、それは何よりも大切なことだった。




「遠路遙々ありがとうございます。」
「またの参加をお待ちしています。」
都内各地の実力者が中野ブロードウェイに来る度に、DAICHIは彼らの目を見てそう繰り返し続けた。来る度に、来る度にDAICHIは同じフレーズを心を込めて読み上げ続けた。8人を集めるのがやっとだったDAICHIによるDAICHIの為の大会は、遂に32人の壁を越えた。参加者から優勝賞品が寄せられるようになった。ゲームセンター側からDAICHIに送られた報酬は、ジュース一本だけだった。DAICHIという人は、世界中で一番ジュースが好きなんだと思う。僕の想像力ではそう理解するのがやっとだった。けれども、世界はそうは思わなかった。大会は熱を帯び、誰もが見たことの無かったような奇跡的な試合展開が録画され、その度にDAICHIは声を割って叫んでいた。それはDAICHIの手によってエンコードされ、ニコニコ動画にアップロードされ続けた。そして生まれた名勝負の後にDAICHIは言った。「ゲームは楽しむものです。」。




もう、俺もなんでもいいわ。
楽しければなんでもいいわ。
ゲームは楽しむものです!


これを聞いたとき、初めてDAICHIを理解出来たような気がした。僕にとってゲームとは心に生まれた恐怖を埋める為の道具であり、現実からの逃避だった。けれども、DAICHIにとっては、違ったのだ。「ゲームは楽しむもの。」そう言い切れる強さが、DAICHIにはあった。そのメッセージは何よりも鮮烈で、何よりも強力なものだった。そしてDAICHIはこう続けた。




さあ、こんな楽しい空間中野TRF
是非、全国の、北斗プレイヤーは一度遊びに来てください。
お待ちしております。


それに、1つのコメントが付いた。




akitakara.png

北斗の拳というゲームはあまりのバランスの悪さから、商業的には完全に失敗し、全国各地で筐体が撤去されつつあった。秋田には、既に1台の筐体も残っていなかった。秋田の北斗プレイヤーは自ずから全滅し、数人のプレイヤーだけがわざわざ仙台まで北斗をプレイしに行くという惨状だった。そして、その仙台のゲームセンターすら閉鎖されてしまうという話だった。

秋田と東京。あるいは、秋田と仙台。
それらの距離がどれくらいの物なのかを、僕は知らない。
知らないが、このコメントをした当人は、本当に、中野ブロードウェイに現れた。




そしてDAICHI動画初の「秋田勢」は、DAICHI動画に嵐を巻き起こした。

彼は一回戦でまず関東屈指のプレイヤー(渋谷勢)を葬り、次に中野ブロードウェイ生え抜きの、DAICHI動画の主人公とでも言うべきひげというプレイヤーを何もさせずに葬ってしまった。それは、衝撃的と呼ぶにはあまりにも衝撃的なデビューだった。地方のレベルは都心よりも低い、というのが当然の常識として皆の中にあり、DAICHIが彼の試合を一言実況する度に、その常識は砕かれていった。秋田勢、ジェフリーラオウというそのプレイヤーの次の相手は、大会に出る度に優勝をかっ攫って行く、あの憎たらしいKIだった。他のゲームの大会を3連覇し、「このゲームやってなくても勝てる」と言って大顰蹙を買ったあの、尋常成らざるKIだった。




ところが、ジェフリーラオウは、そのKIから1本を先取してしまった。並々ならぬ事態が起ころうとしていた。あの小憎たらしい憎たらしい、スーパーヒールのKIが、誰も名前も知らないような田舎から来た見ず知らずの外敵に敗れ去ろうとしていた。ジェフリーラオウはヒットポイントをほとんど全て残したままで、KIを残り1割にまで追い詰めた。ジェフリーラオウの冒険はそこで終わった。

KIはいつの間にか素知らぬ顔で勝っていた。それはいつもと同じ光景だったけれど、見たことのない光景だった。あの憎たらしい、憎たらしいKIが、まるで中野ブロードウェイを何かとんでもない侵略者から守った英雄のように光り輝いて見えた。あの忌々しいKIが英雄に見えてしまう。それも、手に汗握って秋田勢を応援していた僕の目にすら、光輝いて見えてしまう。

呆然とした。ああ、DAICHIという人は凄い。僕はこの時初めて思った。ブログを書き始めてから、誰かに負けたと思った事はほとんど無かったけれど、この瞬間、僕ははっきりと自らの敗北を自覚した。自らのブログパワーがDAICHIという人の持つブログパワーに完膚無きまでに打ち破られたのだと、強く感じた。悔しくて仕方がなかった。

もしもあの日、DAICHIというなんの才能も持たない一人の北斗プレイヤーが、自らの稚拙な実況を記録した動画をアップロードしなければ、こんな日は決して訪れなかっただろう。参加者を募り、新規参加者へのケアを行い、ニコニコ動画という場所で日本中のプレイヤーへと呼びかけ続けなければ、こんな日は決して訪れなかっただろう。DAICHIの熱は熱を呼び、それはやがて熱波となって日本中を駆け巡った。








このように書くと、DAICHIという人が、情熱的な色物実況者であると勘違いされてしまうといけないので、終段を迎えるより前に、DAICHIの実況技術の堅牢さというものについて、ほんの少しだけ書いておきたい。




お互いどう動くか。
開幕はお互い、その場で様子見。
そこから、先に攻めるはナオリシン。
小足から、コマ投げ。そして、
グレイブ当てて、小パン小パン小パン小パン小パン獄屠拳
星取って、蓄積も相まって
バニからの、これはいいガークラ連携。
小パン小パン小パンで刻んで
ここでせいえいこう。
ガーキャンは、ばれてた。
小足が刺さるが、2Bが届かない。
これは、追撃をミスった。ガーキャンで
切り返して起き責めは
小足、小パン重ねか。
ジャンBから、2B、ジャンC、2C、バニ。
起き責めは、ブー昇竜からバニぃ……新しい!
獄屠カウンター、ジャンBで追撃
小パン、ジャンC、小パン、はくは。
小パン、バニ届かない。
ここで浮かし投げ。
そっから、小パン、近B
グレイブ、遠B
そして天派活殺。
起き責めは、低ダ、見えなかった。
ラウンド取るのは種籾勢。

上の実況が、DAICHIの典型的な実況である。

DAICHIは有力プレイヤーの特徴を覚え、「彼ならばこう立ち回る。彼ならばこういうコンボをする。」というパターンを記憶し、それに対応した「喋ること」を、試合が始まるよりも前に頭の中できっちり完成させている。

その脳内で前もって準備していた「喋ること」を、忠実に読み上げる、とでも言うべきなのが、彼の実況スタイルである。動きを見てから喋るのではなく、DAICHIがマイクを持った時点でもう既にDAICHI実況は完成しているのである。DAICHIは、「リアルタイムで喋る」という実況者に必須の能力は極めて低く、完全に努力の人、あるいは現場の人とでも呼ぶべき実況者だと僕は思う。

それ故に、DAICHIは「驚く」のである。対戦の中で、自らの予想を超えた現象が発生した際に、誰よりも驚き、ショックを受け、取り乱し、叫び、自らを見失い興奮し、いつもとはまったく違う調子の実況を行うのである。そのDAICHIの驚きが、たとえば僕のような「北斗というゲームを全く知らない人」に普遍的な説得力を持たせ、DAICHI動画に不思議な力を生み出しているのだと、僕は考えている。

一方で、たとえ決勝戦や、事実上の決勝戦であっても、予想された範囲内の展開であれば、まったくテンションを上げようとしない。過剰に盛り上げようとしない。凡百の実況者なら「決して負けられない戦い」などと何度も何度も効果のない盛り上げ煽りフレーズを繰り返す局面であっても、DAICHIは決してそのような事をしない。たとえどんな有力プレイヤー同士の対戦であっても、脳内に前もって書き上げておいた「喋ること」を平坦に、そして丁寧に読み上げ続けるだけである。

「淡々とした決勝戦をありのまま淡々と実況する」というのは、なかなかに難しい事だと思う。とくに、ネット上に自ら実況動画をアップロードするという立場の人間にとっては、かなり困難な事だと思う。DAICHIという人は、それを決して気負うことなく成し遂げてしまっているのである。これは凄い事である。

話をDAICHIに戻す。








無名の実況者というよりも、無名の1プレイヤーにすぎなかったDAICHIは、僅か数ヶ月間の実況動画アップロードにより、満場一致で08年度の闘劇実況に推されるまでになった。そして、見事に選ばれた。08年度の闘劇実況がDAICHIであるとの決定に北斗プレイヤー達はビビットに答えた。DAICHIが都内各地、いや日本中から中野ブロードウェイに呼び寄せたプレイヤー達はそれまでとは逆に、中野ブロードウェイから日本各地へと散っていった。そして、闘劇決勝戦の切符を手に入れて中野ブロードウェイへと帰還した。

あるプレイヤーなどは、わざわざその為だけに沖縄まで出かけ、沖縄予選の切符を取ってDAICHIの元へと帰還した。日本土着のEスポーツ事情にあまり詳しくない僕から見れば、それはまるで悪い冗談のようなものだった。そうして迎えた闘劇の本戦では、あの小憎たらしい憎たらしい、忌々しいKIが、全ての北斗プレイヤーの折り重なった夢と希望を完璧な形でぶち壊しにして優勝し、それをDAICHIが喋り伝えた。それはまるで、何かとてつもない1つの素敵な夢のような出来事だった。




そして闘劇の後。

それまでと同じように、大会が開催された。けれども、ちょっとした変化が生じていた。大会動画が、リアルタイムでネット中継されるようになったのである。「そこまで来たか」と僕は思った。

世界各地で自然発生的に生じたEスポーツ大会のうち幾つかはやがて企業化され、しっかりとした収益基盤を確保するようになった。そしてそれらの大会のうちのいくつかが、「ネットによる動画配信」を実現すべく、ネット動画の技術を持つ企業を買収したり、あるいは提携したり、といった方向へと展開していった。

DAICHIという人がまるで一人で始めた誰も名前を知らないような小さなゲームセンターの大会は、遂にそこまで来たのである。それは正しくWeb 2.0的な光景だった。中野trfのオフィシャルページには自虐的に「プロゲーマーw」と書かれているが、リアルタイムのネット中継まで手に入れたそれはまるで、収益化に失敗した完璧なプロゲーム大会のように見えた。




そして1つの事件が起こった。
DAICHIがマイクを握らなかったのである。

「Web 2.0大会」と銘打たれた、記念すべき初ネット配信大会の決勝戦が行われたとき、DAICHIはそこに居なかった。中野TRFの隅に置かれた筐体で、野試合をしていたのである。決勝戦を喋ったのは、DAICHIではない別の人間で、そのままDAICHIは一言も喋る事なく、大会は終了してしまった。「DAICHIは終わったんだ」と僕は思った。それは疑いようのない事実だった。DAICHIは終わってしまった。




DAICHIの代わりに実況をした、その名前も知らない実況者の実況が、DAICHIに匹敵するレベルの良くできた実況であった事も、僕を打ちのめした。DAICHIという1人の先駆者の手によって、「どのような実況が聞きやすいか」という事が完全に世界に知れ渡った。対戦格闘の実況、少なくとも北斗の実況をしようと試みる人間にとって、DAICHIという完璧すぎる青写真は、何よりも優れた目標到達地点だった。DAICHIのスタイルを可能な限り再現するだけで、聞きやすく、癖のない、それでいて不思議な説得力のある実況が出来てしまう。DAICHIが常々心がけてきた、「アドリブに頼らず、忠実に、丁寧に」という彼の実況スタイルにより生み出される「驚きを伝える能力の高さ」は、今や北斗のみならず、全ての対戦格闘ゲームの実況者にとっての目標となるべきものだろう。このように書くと事実からは多少の乖離が生じてしまうかもしれないけれど、今では誰もが少しの努力で、簡単にDAICHIを超える事が出来る。

けれども、だからと言って、DAICHIが風化する事は決してない。何故ならば、DAICHIという人は、世界中でただ一人、DAICHIになろうとした男だからだ。そして世界中でただ一人、DAICHIになった男でもある。いったい、誰が、他に誰が、DAICHIになろうだなどと志しただろうか。DAICHIを夢に見ただろうか。その大それた夢を、心から願っただろうか。そればかりか、夢で終わらず、完璧な形で実現させてしまった。それが、DAICHIという人である。








終わり。
それは必ず全てのものに訪れる。

DAICHIが夢見たDAICHIという夢。その夢にも、終わりは訪れた。
DAICHIはその夢を、完璧な形で叶えてしまったのである。




夢は終わった。
それは、現実になった。

現実になったDAICHIが、これからどこへ行くのかを、僕は知らない。僕ばかりではない。そんなもの、誰も知らない。DAICHI本人ですら知り得ないのだ。北斗から離れようと、ゲームから離れようと、野垂れ死のうと、僕らの知る事ではない。ただ、DAICHIの言葉を借りるならば、こうなるだろう。
ありがとう。
本当にありがとう。
と。
















信じて進み続ければ夢は必ず叶う。
2008年という年に、僕はDAICHIからそれを学んだ。
そして、そんなものは絵空事だったのだと知った。

2007年4月9日月曜日

空を自由に飛ぶために必要なものと、少しの誇張。

世の人は言う。
「WarCraft3を完成させたのは、彼だ。」と。

けれども、彼はプログラマーではない。
デザイナーでもなければ、プロデューサーでもない。
グラフィッカーでもなければ、マネージャーでもない。

ただの、1人の、ゲーマーだった。
少なくとも、シンガポールのあの夜までは。
















その日、WarCraft3は死んだ。
いや、死んだのではない。
殺されたのである。

eSports Player of the Year 2006をはじめ、世界中のタイトルというタイトルをその手に収めた、プロゲーマーの中のプロゲーマー、歩く4K.GrubbyことManuel "4K.Grubby" Schenkhuizenの手によって、累計1000万本のセールスを記録した歴史上最も重要なリアルタイムストラテジーゲームであるWarCraft3はその体温を失い、ゆっくりと、静かに、大地へと飲み込まれ、そして消えていった。











そんなに遠くではないけれど、過ぎ去ってしまった古きよき時代。
まだ、Asiaと世界が繋がらず、別々に存在していた時代。
あの頃、WarCraft3は、生きていた。


アンデッド、オーク、ナイトエルフ、そしてヒューマン。

まったく違う特性を備えた4つの種族が、絶妙なバランスで共存していた。どの種族もうまくやれば他の種族を出し抜けるだけの潜在能力があると考えられていた。それぞれの種族には個性的なトッププレイヤーがいて、世界中のWarCraft3プレイヤー達は自らが扱う種族のスタープレイヤーに入れ込み、追いかけては、その結果に一喜一憂していた。


アンデッドには、2004年のeSports Player of the Yearにして、最初で最後のスーパースター、伝説の空飛ぶアンデッド、MaDFroGが。

オークには、今やWC3シーンそのものと呼ばれるまでになったプロゲーマーの中のプロゲーマー、歩く4K.Grubbyこと4K.Grubbyが居た。

ナイトエルフには、元マップハッカーという経歴を持つシーン最大の悪役、ロシアの犯罪者"The maphacker"deadmanが居て。

ヒューマンには、シーンで最も尊敬を集める男であり、模範的プロゲーマー、世界で2番目に有名なブルガリア人、Insomniaが居た。






そして、その日、事件は起こった。

欧州最強クラン、いや、世界最強クランSK-Gamingのエースプレイヤーであり、欧州最強ヒューマン、いや、世界最強ヒューマンであったSK.Insomniaと、4K.Grubbyが戦ったのである。




けれども、それは普通のありふれた対戦ではなかった。
世界最強オークと、世界最強ヒューマンの決戦ではなかった。

何が違ったのか?
それは、Grubbyの選択した種族である。




WarCraft3には、前述の通り4つの種族が存在している。
けれども、実は、もう1つあった。

「random」
で、ある。



用意された数多くの個性的なマップで、それぞれの戦術や戦略を相手に応じて用意し、一分の狂いもなく繰り出さねばならないプロゲームの世界で、ゲーム開始まで自分の操る種族がわからないという「random」を選択する事は、当時としては自殺行為だと思われていたし、今でも自殺行為だと思われている。それは、シーンに未だ誰一人として、「random」を操るプロゲーマーが存在していないという事実からもよくわかる。




ところが、Grubbyはプロゲームの大会という1つの舞台で、世界最強ヒューマンを向こうに回して、「random」を選択したのである。

あのGrubbyがオークを使わなかった。
それは、確かに驚くべきことだった。





でも、本当の問題は、そんな事ではなかった。
世界の関心は、もっと深刻で、もっと重大な2つの事件に向いていたからである。





1つは決戦を前にGrubbyが放った言葉。
「Human suck」

そしてもう一つは、決戦の結果。
Grubbyは、一度も自らの種族であるオークを引き当てる事なく、SK.Insomniaを圧倒し、完膚なきまでに叩きのめし、葬った。いや、正確に言うと違う。4K.Grubbyがその日叩きのめしたものは世界で2番目に有名なブルガリア人SK.Insomniaではなく、"ヒューマン"という種族そのものだった。4K.Grubbyがその日破壊したものは、世界最強クランの看板エースのプライドなどではなく、WarCraft3そのものだった。




その日、WarCraft3は、静かに死んだ。

誰かが言った。
「WarCraft3のバランスは糞だ。」
もはや、誰も反論する事は出来なかった。

4つの種族が用意されていて、4つの選択肢があるはずだった。
それぞれの種族に強さがあり、それぞれの種族にファンが居た。
けれども、そんな時代は、この日、終わった。




Grubbyが看破し見出し先鞭をつけた対ヒューマン必勝法は、あっという間に世界中に広まってしまった。駆け出しの新人プレイヤーレベルから、トッププロに至るまで、全てのレベルでヒューマンは鴨にされ、いびられた。話にならない弱小種族として弄ばれた。同じ腕前のプレイヤー同士の対戦でヒューマンを選択しようものなら、もうその時点で負けたも同然だった。

「ヒューマンが相手だと負ける気がしないので楽しい」という声があらゆるレベルで漏れ始めたが、それはすぐに「ヒューマン相手のゲームは勝ったも同然なのでつまらない」という声へと変わって行った。




誰かが言った。
「WarCraft3は糞だ。」
誰も反論する事は出来なかった。

「ブリザードエンタテイメントはなにをやっているんだ!」
罵声が世界を駆け巡り覆った。
どうしてヒューマンを強化しない!
なぜ最弱種族を放置したままにしているのだ!

返事は無かった。
まるで屍のようだった。




一人、また一人とヒューマンプレイヤーが他の種族に転向して行った。韓国で行われた世界大会の予選では、上位64名の中にヒューマンプレイヤーは1人も居ないという惨状だった。その昔最強プレイヤーの一人と目されていた北欧の雄はヒューマンに拘り続けた結果スタメン落ちし、やがて解雇され消えていった。最強ヒューマンであったSK.Insomniaまでもがスタメン落ちし、トップシーンから転落していった。ヒューマンはもはや、存在しないも同然だった。

もちろん、世界中のヒューマンを代表するプロ達が何の手も打たずに消えていったわけではない。世界中のヒューマンプレイヤー達は、なんとかしてゲームを成立させようと、自らの町に山のように防御塔を建てて陣地を構築し、引き篭もって守り、相手の失策を待ち続けた。

「負ける気がしないので楽しい」から「勝ったも同然なのでつまらない」へと遷移していたWarCraft3プレイヤー達のヒューマンという種族に対する素朴な感想はやがて、「引き篭もるしか脳の無い連中を相手にするのは退屈だ」というものへと移り変わっていった。








誰かが言った。
「WarCraft3は糞だ。」
もう、誰も反論する事は出来なかった。

「ブリザードエンタテイメントはなにをやっているんだ!」
罵声が世界を駆け巡り覆った。
どうしてなぜヒューマンを強化しないんだ!
なぜブリザードは最弱種族を放置したままにしているのだ!

返事は無かった。
まるで屍のようだった。
事実、屍みたいなものだった。






「もう、終わったんだ。」誰かがつぶやいた。

親会社の経営失敗に端を発したお家騒動で、ブリザードエンタテイメント社はボロボロだった。Diablo、StarCraft、WarCraft、World of Warcraftといった、ビデオゲームの歴史に渾然と輝く名作を世に送り出した鬼才ビル・ローパーを始めとして、「100万本売れないゲームは作らない」というテーゼを抱えてそれを実行し続けてきた世界最強のゲームデベロッパーであったブリザードエンタテイメント社の中核を成した人々のほとんどがブリザード社を去り、誰も知らないどこか遠くの奥の方へと、飲み込まれるようにして消えていった。

「もう、みんな終わっちゃったんだよ。」
誰かが吐き捨てるように、そう言って席を立った。




それは、些細な出来事だった。
些細だけれど、深刻な事件だった。

ロシアの犯罪者、ナイトエルフのdeadmanを葬ったヒーローが最強ヒューマンを打ち破った事自体は、何の問題も無かった。伝説の空飛ぶアンデッド、最初で最後のスーパースターmad frogを前後不覚に陥るまでに叩きのめし引退に追い込んだ最強オークが、最強ヒューマンを打ち破った事自体は、何の問題も無かった。




けれども「Human suck」のあまりにも真実を貫きすぎた一言と、「randomに負けた最強ヒューマン」という事実は、WarCraft3の終わりの始まりだった。歩く4K.Grubbyこと、4K.Grubbyが見つけたヒューマンという種族の穴は、やがて大きな穴となり、WarCraft3そのものを飲み込んで、終わりに向けて、押し流し始めた。

かつてオランダの名も無き少年が、堤防に見つけた小さな穴に自らの腕を差し込んで決壊を防ぎ国を守ったのとはちょうど真逆に、オランダの悪童Grubbyは自らが見つけ出した小さな穴にその腕を差込み、こじ開け、シーンそのものを崩壊させて行った。









かつて、誰もがその勇気と技術に裏打ちされた斬新な戦略に驚き憧れたSK.Insomniaは防御塔を建てては引き篭もり、負け続けた。「私はヒューマンを決して捨てずに戦い続けるよ。世界中のヒューマンプレイヤーの為にね。」insomniaはそう言ったけれど、それは絵空事だった。彼がヒューマンを選択し続けていたのは事実だけれど、戦い続けてはいなかった。ただ、プライドだけを胸に、引き篭もっては惨めに負け続けていただけだった。

圧倒的に繊細な操作と革命的なテクニックでナポレオンとまで称された新時代のヒューマンプレイヤーであるToDは、負ける度にこう言い続けた。「俺は世界で一番上手い。俺は世界で一番強い。俺は世界で一番美しい。」それは確かに、事実であった。世界がそれに同意した。ToDは圧倒的に上手かったし、圧倒的に強く、そして圧倒的に美しかった。

「世界で一番上手い俺が負けるのはブリザードのせいだ。」確かに、そうとしか思えなかった。「世界で一番強いはずの俺が負けは俺の敗北ではなく、ブリザードエンタテイメントそのものの敗北だ。」それは紛れも無い事実だった。ToDは自らが敗れる度に、とてもここじゃあ書けないような暴言ワードで満たされた罵詈雑言でブリザード社を罵り続けた。世界中の、未だWarCraft3を見捨てられずにいる人達が彼を支持した。よくぞ言ってくれた、ToDは正しい、bliz(ブリザードエンタテイメント社の略称)は糞だ、と。



「ブリザードは何をしているんだ!」
皆が叫んだ。
誰もが懸命に叫んだ。
叫んだけれど、返事は無かった。
そこにあったものは、ただ屍だけだった。
かつて歴史上最も偉大だったリアルタイムストラテジーゲームの屍だけだった。かつてゲームの歴史の流れの中で最も重要なゲームデベロッパーの1つだった、ブリザードエンタテイメント社の屍だけだった。









世の中は不公平で、世界は不平等だ。
人であろうとする限り、未来なんてものは来やしない。
野蛮な奴らと、死んだ目をした奴ら、暗いところでこそこそやっている腐った老いぼれども。勝ち目なんて端から無いんだ。そんなふうに出来ているんだ。そういう仕組みなんだ。もう諦めて、どこか遠くへ行こうじゃないか。パーティは終わったんだよ。




一人、また一人と人はWarCraft3を見捨てて、他の知らない何処かへと旅立って行った。ヒューマンの弱さにうんざりとして。
バランスの崩壊した糞ゲーに見切りをつけて。

新天地を求めて。

ある者はWarCraft3を切り捨てて大学生になり、ある者はWarCraft3に見切りをつけてプロポーカープレイヤーになった。ある者はWarCraft3と決別してPerlHackerになり、ある者はWarCraft3を投げ捨ててブロガーになった。

ヒューマンの弱さを改善するパッチをブリザードエンタテイメント社に期待している人なんて、もうどこにも居なかった。世の中は不公平で、世界は不平等。そういうもんだと、みんなが諦め、去っていった。重たく冷たい現実と向き合う事に、嫌気がさして逃げ出して。

















World Cyber Games 2005 Singapore。
dead or aliveで日本人選手が優勝した大会、と言えば、わかる人はわかるかもしれないし、2002年度にはhalenが優勝した大会と書けば、伝わる人には伝わるかもしれない。




彼はそこに居た。
WE.Skyその人である。

誰も彼の事なんて気にしては居なかった。
World Cyber Games 2005には、Grubbyが居て、deadmanが居た。世界中から綺羅星の如き名手達が集っていた。古い人、新しい人、旬の人。それは最高のメンバーだった。最弱種族のヒューマンを操るプレイヤーに興味を持つ人なんて一人もいなかった。ヒューマンが予選を勝ち抜けるなんて、中国のWC3はレベルが低すぎると、人々は彼の存在自体を馬鹿にした。だが、それは束の間であった。

決勝の舞台。
彼はそこに居た。
WE.Skyその人である。




そして、起こった。
遠い昔に死んだはずのWarCraft3が、突如として息を吹き返したのである。

WE.skyに相対するは4K.Grubbyを破って決勝に進んで来た米国代表のShotround。GrubbyとToDの2人を軸に世界最強クランへと成り上がっていた4K(team four-kings)への入団が囁かれる程に、油の乗ったプレイヤーだった。その彼が、10分と持たなかった。何も出来なかった。見せ場の1つも作れなかった。戦う事すら許されなかった。skyは圧倒的だった。そして完璧だった。誰もが予測する事の出来なかった瞬間に、想像を絶するタイミングで現れた新手無傷の銃兵部隊の矢玉の雨に、世界中が絶句した。声を失なった大観衆の大声援が、次の瞬間会場を沸騰させ、Shotroundはマウスを静かに置いた。




何が今起こり、何が起ころうとしているのか。
何故、こんな事になっているのか。
もう、どうでも良かった。

死んではいなかったのだから。
それは、確かに、生きていたのだから。




「well played」
Shortroundは、最後に一言消え入るようにそう言って消えた。


世界中が彼を馬鹿にした。
「well playedてwwww」と、彼を笑った。
けれども、それを笑えない人達が、世界には存在していた。

負けても負けても負け続ける事自体が存在価値と化してしまっていたSK.insomnia。Skyの登場によって、insomniaが耐え忍んだ長く苦しい屈辱の日々は、一夜にしてただの道化となってしまった。

そして、もう一人。







でもそれは、まだ、フロックだと思われていた。
多くの人達が、そう受け止めていた。トーナメントの組み合わせの妙で生じたまぐれだと思っていた。事実、skyはその名声を確定させていたような世界的名手と一度も戦う事なく、楽な組み合わせを勝ち上がり優勝していたのである。

「skyはトッププレイヤーと当たらなかったから優勝出来た」
きっとそうだと、多くの人が考えた。




そんな僕らに、現実が突きつけられる日はすぐに訪れた。

WCG2005から間をおかずに開催された世界規模の大会で、skyはまたしても決勝に進んだ。決勝の相手は、プロゲームシーンから隔離されたアメリカの選手などではなかった。本物のGOSUプレイヤーだった。圧倒的な操作量と状況判断能力と知性で全ての種族を完璧なまでに使いこなし、「勝つ為に最強種族であるナイトエルフを選択した」と公言して憚らない"Master of WarCraft"の異名を持つプロゲーム先進国韓国が誇る最強ナイトエルフ、達人remindその人である。




remindはskyが繰り出してくるであろう戦術の全てを頭に入れ、それらそれぞれの戦術に対して100%の対策を立ててきていた。remindに、負ける要素は1つも無いように思えた。「ヒューマンに負けるremindの姿」どころか、remindの負ける姿そのものが想像出来ないくらいに、あの頃のremindは完璧だった。

ゲームはremindで始まった。
remindの操るヒーローはマップ中を所狭しと飛び回り、skyの出足挫き、その立ち上がりを完璧に封じた。ヒーローのレベルも、内政面でも兵力でも、remindは大きなリードを奪い、見事にゲームを支配していた。最激戦区の韓国予選を勝ち抜いた、達人の名は伊達ではなかった。中国と韓国では、あまりにレベルが違いすぎた。




ところが、remindがナイトエルフの最強ユニットである熊をそろえ始めた頃、なにか、奇妙な事が起こり始めていた。肉弾戦最強ユニットである熊を出されたならば、ヒューマンの側もナイトを出し、プリースト/ソーサレス/モルタルチームで後方から支援しなければヒューマンに勝ち目はない、というのがそれまでのヒューマンvsナイトエルフの常識だった。




ところが、skyはその常識を完全に放棄した。

skyが選択したユニットは、ナイトではなく、プリーストでもなく、モルタルチームでもなく、ヒューマンの最強Airユニットであるグリフォンライダーでもなかった。

skyが選択したそれは、「ライフルマン」だった。
skyはただ只管に、銃兵を生産し続けていた。




「skyは馬鹿だ」
世界中がそう思った。熊を相手にライフルマンを出すというのは、まったく馬鹿げた事のように思えたし、事実その日その時までは、確かに馬鹿げた事だった。いや、今でもそれは馬鹿げた事なのだ。けれども、その日、その瞬間、その場所でだけは違っていた。

銃兵隊を揃えたskyは敵陣へと猛進し、決戦を挑んだ。戦況は圧倒的に不利だった。序盤を完全に支配されたskyの勝算は0に等しく見えた。それは、やけっぱちのpushにしか見えなかった。

自陣を防衛すべく迎え撃った万全のremindの大軍勢は、skyのpushを事もなげに押し返し、skyに撤退を強いた。

自陣へ向けて一目散に逃げ出したskyの銃兵隊は時々足を止め、立ち止まっては斉射を行い、その射撃モーションが終わると同時にまた背を向けて逃げ始めた。skyの銃兵隊が足を止める度に、remindの軍勢がライフルマンに肉薄し、襲い掛かり、痛打を加えた。skyが立ち止まる度に、skyが斉射を行う度に、remindの勝利が近づきつつあった。最強肉弾ユニットである熊に追い立てられた間接攻撃ユニットのライフルマンは、紙切れのように脆く切り裂かれて行った。

remindは万全の精度でそれを行った。逃げ遅れたライフルマンを巧みに包囲し、退路を断ち、一人一人止めを刺していった。skyの銃兵隊はremindの猛追によって5時の方向と11時の方向に分断され、あとは各個劇はされるだけ、という局面であった。

「skyはよくやったよ」誰かが言った。
確かに、skyはよく戦った。あのremindを向こうに回し、見事に見せ場を作っていた。会場を盛り上げ、シーンを盛り上げるだけの戦いを見せた。勇敢に全軍総出の決戦を挑み、引き撃ち(退却しながら攻撃する)という自らが選択した戦術を、完璧なまでにやってのけていた。けれども、相手が悪かったのだ。達人remindに序盤を支配されて、勝てる人間なんてどこにもいないのだ。




次の瞬間、skyが反転した。
彼は「引き撃ち」を完全に放棄した。

右下5時の方向から分断された一翼が、左上11時の方向から分断された本体が、skyの本拠地がある左下7時の方向からは(Shortroundを葬ったあの時と同じように)新手無傷の銃兵部隊が突如として現れ迫り、remindの全てを包み込んだ。

全ての方角から銃弾がremindのヒーローに突き刺さり、remindはヒーローを立て続けに失った。あっという間の出来事だった。軍隊の核であるヒーローを失ったremindは、あと一歩で止めをさして壊滅させる事の出来る大量の瀕死のライフルマンを目の前にしながら、もはや退却するしか術は無かった。




remindは、「傷ついた兵は退却させて温存し、回復させて戦わせるものだ」というWarCraft3の常識に基づき、傷ついた自らの兵を繊細な操作で少し離れた位置に退避させて休ませていたり、より安全な戦線へと再配置をしたりしていた。瀕死の兵は丁寧に、本陣に退却させて回復し、敵に殺されて相手ヒーローの経験値に化けてしまう事を避けていた。それは教科書通りの完璧な操作だった。達人の名に相応しかった。

その誰よりも完璧な達人remindの「完璧さ」をskyは突いたのである。

「傷ついた兵は退却させて温存し、回復させて戦わせるものだ」というWarCraft3の常識を放棄し、ライフルマンという鈍足で脆く経験値の多いユニットを囮として意図的に使い捨てにしながらremindの戦線を引き伸ばし、戦力密度を拡散させた。

skyの兵にきっちりと止めを刺し経験値に変えていたremindのヒーローは、Lvアップを繰り返していた。

その軍隊の中核であったハイレベルなヒーローが僅かに突出した瞬間を見逃さず、skyは反転したのである。remindは慌てて熊を集め、ヒーローの退路を切り開こうとしたけれど、それはもう手遅れだった。何もかもが遅かった。skyの掌の上だった。remindのヒーローは皆、skyのヒーローの経験値となり、戦局は一変した。

skyはそこからも、常識を打ち破り、瀕死のライフルマンをほうぼうで囮として使い捨て、見殺しにしながらremindの陣地を壊滅させた。一見すると素人のプレイかと見まごうような、下品で乱雑な責めだった。中にはそのプロゲーマーとは思えないような"雑さ"即ち"下手糞さ"を馬鹿にする人もいた。けれども、それが幾多の理論と練習に裏付けられた彼のスタイルだったという事は、今では世界の知るところである。

remindは1ゲーム目を落とし、2ゲーム目も全く同じ手法で負けた。
remindが悪かったのではない。
skyが良かったのである。









もはや、それは、まぐれではなかった。
紛れも無い、現実であった。

insomniaは笑って言った。
「もう私の試合なんて見る必要なんてないよ。」
ヒューマンを見たいのならば、WE.skyを見ればいいんだ、と。









けれども、広い世界にただ一人だけ、その現実を受け入れる事を頑なに拒み続けている男が居た。年齢不詳の真実の口。フランスが生んだ物言うナポレオン。
"世界で一番上手い男"、4K.ToDである。





skyの登場に最もショックを受けたのは他ならぬToDだった。

「こんなにも上手い俺が負けるWC3のバランスはおかしい」というToDの考え事実真実本当のことが一夜にして崩れ去ってしまったのである。

世界は手のひらを返した。
ToDに対する評価の針は、端から端へと振り切れた。

「勇敢に物怖じすることなく、WarCraft3の問題点を歯に衣着せぬ物言いでブリザード社に突きつけ続ける全人民の代弁者」であり、正しくシーン最大の英雄であったToDは、skyの登場によって「醜い言い訳を繰り返す負け犬」になってしまった。

たった一人の男の登場によって。





「こんなにも上手い俺が負けたのはヒューマンが弱いせいだ」
「こんなにも強い俺が負けたのはヒューマンが弱いせいだ」
「こんなにも美しい俺が負けるのは全てblizの責任だ。」
ToDが繰り返してきた主張は全て、「sky」の一語で覆された。「コイツ何言ってんの?」「フランス人は口だけだな。」世界中から笑いものにされたToDは、やがて、言葉を失い沈黙した。




ToDは言葉を失った。
ToDは支持を失った。
ToDは逃げ場を失った。
けれども、ToDは消えなかった。

ToDに必要だったもの。
それは皮肉な事に、skyの存在そのものだった。
見果てぬ闇夜を切り開き常識を破壊する勇敢さを持った道先案内人だった。そして、その革命児が「WE.sky」であった事は、ToDにとって何よりの希望の源だった。




なぜならば、skyは「下手」だったからである。
そして、ToDは、世界で一番上手かった。

ToDはskyが切り開いた道を必死で辿って猛進した。ToDの強さはあっという間にskyに追いつき、そしてあっという間に追い抜いてしまった。

skyの全てを研究し、skyの全てをコピーし、skyの全てを進化させ、ToDは宇宙で一番上手いプロゲーマーとなって蘇り、シーンへと帰ってきた。

世界的な大会の決勝戦で、それまで一度として勝つ事の出来なかった、4K.Grubbyを打ち破って。





そして、ToDは言った。

「俺がGrubbyに勝てたのはヒューマンが強いからなどではなく、俺が圧倒的に上手く、強く、美しい、完全無欠のプロゲーマーだからだ。」「ヒューマンは明らかに弱すぎる。優勝した俺が言うのだから間違いない。」「ブリザードエンタテイメントは糞だ。」「WarCraft3のバランスは糞だ。」

そして、ToDは、こう言った。
「最弱種族を操りGrubbyを倒した俺を称えよ!」
「ブリザードエンタテイメントは糞だ。」
「WarCraft3のバランスは糞だ。」



不思議な事に、おかしなことに、4K.Grubbyを打ち破って世界タイトルを勝ち取ったToDを賞賛する声は、世界中どこを探して一つも聞こえてこなかった。








誰よりも上手く、誰よりも強く、誰よりも美しい、最も完成されたプロゲーマーである自らを、誰一人として賞賛せぬという理不尽。ToDはその理由を捜し求め、そして見つけた。その理由を。その男を。そして誓った。消し去る事を。



彼は中国に居た。
WE.Skyその人である。




ToDはskyより強い。
世界はぼんやりとその事実に気がついてしまっていた。中国のレベルは非常に低く、skyの練習相手のレベルも自ずから低かった。一方のToDには、世界最強オーク4K.Grubby、世界最強アンデアッド"名勝負製造機"4K.FoV、欧州最強ナイトエルフ"欧州の未来"creoplsという、鬼のようなチームメイトが居た。彼らはToDの練習相手であり、またブレインでもあった。問答無用の最強面子と切磋琢磨し続けた結果、ToDの上手さは異次元へと突入しようとしていた。

ToDはskyより上手い。
それは紛れも無い事実だった。

ToDはskyより美しい。
それは紛れも無い事実だった。

ToDはskyより強い。
それも残念な事に、事実であった。

誰よりも上手いToDは、常人では決して行えないようなリスクを背負い、その自ら作り出したピンチを圧倒的な上手さで切り抜けるというプレイスタイルで、見る者全てを魅了した。そんな人々の心を捉えて離さない芸術的な試合を繰り返し続けるToDを賞賛する声が世界中どこを探して駆け回っても一切聞こえてこなかった理由については、皆様の想像にお任せしようと思う。




そして、ToDは、中国へ飛んだ。
WE.skyを打ち破るべく。
万全を期して。




大蛇に四肢を書き入れて天高く舞わせた男、WE.IGE.sky。
宇宙で一番上手い奴、Grubbyの金魚の糞、4Kの汚物4K.ToD。

2本先取。
言い訳不能、逃げ場無し。
敵地中国に乗り込んで、ToD背水の決戦だった。




その、大事な1ゲーム目を、ToDは落とした。
WarCraft3には、プレイヤー以外の勢力(中立モンスター)が存在し、それを倒すとアイテムと経験値を手に入れる事が出来る。その落とすアイテム運によって、ゲームの流れが大きく傾く事がある。このゲームが、それであった。圧倒的な運で良アイテムを手に入れたskyを相手に回して、ToDに出来る事は何も無かった。

もしもその場でToDにインタビューすれば、きっとこう言っただろう。「ブリザードエンタテイメントは糞だ。」「WarCraft3のバランスは糞だ。」と。




けれども、まだ終わってはいなかった。
ToDには勝算があった。

WarCraft3にはアイテム運によって流れが変わるマップと、アイテム運くらいでは流れの変わらないマップが存在する。そして、残り2ゲームは後者であった。運の介入する余地の無いマップであった。

そして迎えた2ゲーム目。
ToDは中国全土を沈黙させた。
ToDを馬鹿にしていた世界中の人々までをも黙らせた。

ToDは圧倒的に上手く、圧倒的に強く、圧倒的に美しかった。
他のトッププロと比較しても、段違いに上手かった。
skyなど、比較対象にならぬくらいに上手かった。

ToDの操るヒューマンは、まるで別の生き物のようにぬるぬると動き、skyの全てのプレイングはその美しさの引き立て役にしかなっていなかった。もはや試合ではなかった。それはToDのプレゼンテーションだった。その異次元の強さは、ToDがこれまで放ってきたどんな言葉よりも雄弁に、ToDの素晴らしさを物語っていた。反論の余地は無かった。こんなものを見せ付けられては、もはやToDの凄さを認め称える以外に道は無かった。全人類が、ToDにひれ伏そうとしていた。




けれども、そこには運悪く、あの男が居た。
WE.Skyその人である。





最後のゲームとなった3ゲーム目。
泣いても笑っても最後のゲーム。
それは、ToDのゲームだった。

最初の農民がready 2 workと声を上げた瞬間からもう、ToDは美しく強かった。全く同じ事を行うにしても、ToDはskyよりも遥かに正確にそれを行う事が出来たし、はるかに素早く行う事が出来た。最初の1分で生み出されたたった5秒のアドバンテージは、鼠算式に膨らんで、ToDはskyの5分先を行き、あらゆる局面で圧倒し始めていた。一方的な、ワンサイドだった。あとはskyにggと言わせて負けを認めさせれば良いだけだった。それはToDにとって、あまりにもeasyなミッションだった。




そんな時、skyが旅立った。

全ての農民を引き連れて、自陣を完全に空にして、skyは遥か遠くを目指した。ToDは見事な偵察力でそれを捕らえ、行軍するskyの軍勢に襲い掛かった。農民を狩り、兵を狩り、召喚ユニットを消し去り、道行くskyをボロボロにしていった。

skyは、一切応戦する事無く、それを無視した。「俺を無視するな」と襲い来るToDを完全に無視した。「さあ戦え!そして敗れ去れ!」と叫ぶToDを、放置したままで歩き続けた。ToDなどという人は、地球上に存在していないかのように振舞った。

そして、出発時の半分以下になった大量の農民を含むskyの全部隊は、ToDの本拠地へと辿り着いた。skyの農民はToDの本拠地をまるで自らの本拠地であるかのように振舞いだした。防御塔を建て、陣地を構築し、ToDの生産拠点を次々と封鎖していった。もう、何もかもが手遅れだった。






ヒューマンの最強ユニットであるナイト。
回復を担当するヒーローであるパラディン。
瀕死の味方を本拠地にテレポートで退避させる事の出来る杖。

この3つを揃えたToDは無敵だった。
ToDのヒーローを倒そうと攻撃を集中させると、パラディンのヒールで回復させられ、パラディン自体を倒そうにも、パラディンが持つ無敵化のスキルのおかげでダメージを与える事すら出来ない。ToDのナイトを殺そうとして攻撃して瀕死に追い込んでも、退避の杖でテレポートさせられ、止めを刺す事が出来ない。

「それを揃えさせない為にどうすればいいか」
というのが、ToDへの唯一の対抗策だった。




ところが、skyはその常識を覆した。skyはToDの無敵モードを発動を許した。いや、許したのではなく、意図的にToDの無敵モードを引き出した。あとは、ToDの美しいショータイムが訪れ終わるだけだった。

ところが、ToDは、無視された。
「パラディン」「杖」「ナイト」という、ありとあらゆる戦闘での勝利を確約してくれるはずの三種の神器を揃えたToDは、skyに完全に無視された。

ToDは、呆然と立ち尽くした。
逆にskyの本陣を襲うという手もあった。

しかし、skyは農民をToDの本陣(資源地帯)へと到達させていた一方で、ToDの農民はskyの構築した鼠一匹漏らさぬまでの塔の壁に阻まれ、外へ出る事が出来なかった。

仮にskyの本陣を壊滅させた所で、それを奪う事が出来なければ、ToDの本陣を乗っ取ったskyの資金力の前に消耗を余儀なくされ、あとは敗れるだけだった。




ToDは、瞬時にそれを理解した。
もう、何もかもが手遅れだった。

自らがskyに敗れた理由を。
世界が己ではなくskyを認める理由を。




ToDはそれから10分もの間、「パラディン」「杖」「ナイト」という三種の神器を揃えた本隊を、何をするでもなく、ただ右往左往させ続けた。ToDの本拠地を乗っ取ったskyの農民達が新しい建物を次々と建てて行く様を、何も出来ずにただ見ていた。

普通ならば、負けを認めて投了する場面であった。けれども、ToDはそれをせず、自らの最後の建物がToDの攻撃により破壊されるまで、芸術的な上手さでskyに嫌がらせをしたり、中立モンスターを狩ったりと、示威行動を繰り返しては、skyに無視され続けた。ToDは惨めだった。ToDは哀れだった。ToDは孤独だった。

そして、宇宙で一番上手い男は負けた。
中国で最も勇敢な男に。










それでも、まだ、そういう人達は居た。
skyを嫌う人達である。

彼らは、ToDに心酔していた過去を忘れる事が出来なかった。
insomniaを称えていた過去を捨て去る事が出来なかった。
思い出にしがみ付き、skyを否定し続けた。
頼るべき論拠は幾つか在った。



skyは確かに世界規模の大会で立て続けに2つのタイトルを取った。skyは確かに世界で最も上手く、世界で最も強く、世界で最も美しいToDを叩きのめして打ち破った。けれども、それらは全てskyのホームグラウンドで行われた大会であり、イベントであった。

シンガポール、上海、そして北京。中国で行われた大会で中国人が勝っただけ。遥々彼方の遠くから、遠征してきた相手にホームでちょこっと勝つくらい、レクレアティーボにだって出来る。一部の人達はそう思い、skyを決して認めなかった。

そしてなにより僕らには、あの男が居た。






圧倒的な前評判を覆し伝説の空飛ぶアンデッドを引退に追い込んだあの男。ロシアの犯罪者を完膚なきまでに打ち破り英雄となったあの男。"Grubby2.0"と称えられていたプロゲーマーを打ち破りその看板を自らの手で剥ぎ取って"Grubby 1/10"と名付けたあの男。"Grubby killer"とまで言われていたWarCraft3第五の種族を操る異才を、2v2でも1v1でも完封し「4K死すともGrubby死せず」と世界に衝撃を与えたあの男。あの日「Human suck」の一言で、WarCraft3の息の根を止めたあの男。





"one word"!
"歩く4K.Grubby"!
そう、Manuel Schenkhuizen!

4K.Grubbyその人が。







舞台は、すぐそこにあった。
欧州最高、いや世界最高のプロゲームリーグ戦、WC3Lである。

その大舞台に初参戦した、skyの初戦。
彼は、名も無き相手に0-2で負けた。
何も出来ず、惨めに敗れた。
見せ場も無く、退屈に。
つまらない負け方で。

世界が、活気付いた。




「skyが何だって言うんだ?ホームで勝っていただけの事だろ。」「こんなつまらない負け方をする奴の試合なんてもう二度と見たくねえ。中国に引き篭もってろ。」「結局skyがWC3Lに持ち込んだものは、戦術でも、戦略でも、新風でもなんでもなくて、欧州の大会のウェブサイトに中国語でコメントをする迷惑な中国人だけだよね。」これまで、溜まりに溜まっていた世界中のアンチskyの鬱憤がうねりを無し、skyへと殺到した。

それにskyは応えて言った。
「僕は世界で最も優れたプレイヤーではないし、世界で最も強いプレイヤーでもない。うまくいく事もあるけれど、うまくいかない事もある。少しでも期待に応えられるように努力するよ。」と。
女々しい台詞に皆が集った。
侮蔑嘲笑罵詈雑言が、世界中から集まった。








WC3Lシーズン9。
skyは初戦を除く全ての試合で勝利した。
驚くべき事に、たったの1ゲームも落とすことなく。
その勝利の中には、4K.Grubbyに対する勝利も含まれていた。

sky十八番のソーサレス/プリーストを打ち破るべくGrubbyが密かに用意した大戦車部隊が自陣を発ったその瞬間にskyの空軍がそれを襲い、対空能力を持たないGrubbyの大戦車部隊は、skyの軍勢に砲弾の一発も打ち込めぬまま、全滅した。











世の人は言う。
「WarCraft3を完成させたのは、彼だ。」と。









昨年末に行われたワールドカップのベスト8は、オークが1人、アンデッドが1人、ナイトエルフが1人、残る5人はヒューマンだった。あのinsomniaもそこにいた。蘇ったinsomniaはいつの間にか、再び欧州最強クランSK-gamingのエース格へと復活を遂げ、純粋な名声を再び得るまでに成っていた。




現状を見て、世の人は言う。
「ヒューマンはちょっと強すぎるんじゃないか?」と。

現実を見ず、ToDは言う。
「ヒューマンは弱すぎるけど、まあ、ぎりぎり許容範囲かな。」と。




ブリザードはゲーム内最弱種族だったヒューマンを、パッチの度に弱体化させてきていた。その頃、ToDはこう言っていた。「ブリザードはWarCraft3を殺す気だ。」と。あれは、一体、何だったんだろう。ToDはあの頃からもうずっと、世界最強のプレイヤーになれるだけの力があったのに、どうしてToDじゃなくてskyだったんだろうかと。




skyと他の誰かとの違い。
それは、結局の所、ほんの少しの事だったんだと思う。




>>?了,高?,?了,也高?。

>勝って、喜んで、敗けて、うれしいです。

僕らに足りなかったものは、一体なんなんだったんだろう。




insmniaはメランコリックにヒーローを装ってばかりで自分を信じる事が出来ていなかったし、ToDは荒を探してはケチばかりつけていた。そんな事をしても何も変わりやしないんだって、知っていたはずなのに。そうしている間中も、WE.skyは、世界から、遠く離れた黄色い大地で、自分を信じて突き進んでいた。多分、物事は単純で、僕らもそうすればいいんじゃないかな。




>>失?了,从中受到了挫折,吸取了??,
>>?了自己更大的?斗?力与目?,
>>?了?个?斗的?力?也???之喜?。

>失敗して、中から挫折を受けて、経験を吸収して、
>自分にもっと大きい奮闘の動力と目標をあげて、
>この奮闘の動力のためにもこのために言うことを喜ぶべきです。

僕らはいったい、何を恐れているんだろう。
どうしてそんなに臆病になる必要があるんだろう。















もう随分と眠ったじゃないか。
そんな夜を繰り返しても何も変わらないよ。

さあNOW、PCの電源を落として(もしくは、本を閉じて)、くだらないものにしがみ付くのをやめて、全てゴミ箱に放り込んで投げ捨てて。空を自由に飛ぶ為に必要なものを取り戻しに行こうじゃないか。自分を信じる心と努力。簡単な事だろう。そうすれば誰だって空を飛べるし、そうすれば誰だって自由になれる。どうせ失って困るものなんて実はそんなにないんだから。ToDみたいな事してないで、hemanみたいになっちまう前にさ。

行こうじゃないか、僕達も。
WE.skyに随分と遅れて。
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sky(wikipedia)
中文引用元(WE.IGE.Sky的BLOG)
WC3L今シーズン(シーズン11)個人成績

2006年9月12日火曜日

リアルイナゴに、食い尽くされて。



ブンブン丸が小林尊にはなれない理由というエントリーの幾らかは、致命的に間違っているとは言えない。その考察には幾らか、正しいものがある。しかし、それらは余りにも表層のみを幻想主義に基づいて語りすぎている。即ち、その全てが致命的に間違っている。アンデスに伝わる古い諺で言う所の、木を見て森を見ずの典型である。








ブンブン丸が小林尊になれなかった本当の理由。


ブンブン丸は、小林尊になれなかった。
僕は、両者とも動く姿を見たことがないのだけれど、前者と後者の違いはよくわかる。小林尊は今もTVに出ており、視聴者一定の支持を受けている。一言で言うならば人気者だ。一方のブンブン丸はTVなどには出ておらず、世間的に言えば完全に消えた過去の人である。

その事実だけを元に語るならば、その幾らかは正鴨を得ている。しかしながらその考察の全ては、「小林尊になったゲーマーがいる」という事実を完全に無視している。

いや、無視しているというよりも、高橋名人の名前が文中に出ている辺り、小林尊になったゲーマーの存在を筆者はおそらく、知らないのだと思う。アンデスにはこういう諺がある。「1人の人間にとって、知らないものと存在しないものは等しい」








「小林尊になったゲーマーの存在」
というのは、少し誤解を招く表現かもしれない。
彼らは、小林尊を遥かに超えた存在である。


その筆頭に位置するのは、Fatal1tyだ。
googleに聞く。

takeru kobayashi : 134,000hit
小林尊 : 73,200 hit
合計で、約20万hitである。

一方のFatal1ty。
"Fatal1ty" : 3,790,000 hit。
約、380万hitである。

その差、実に10倍以上だ。




TIME誌が、フォーブス誌が、ニューヨークタイムズがFatal1tyを取り上げ、MTVの作った彼の特集番組は全米はおろか世界中で放映された。幾つもの企業を個人スポンサーとして持ち、彼の名を冠した帽子が、シャツが、マウスが、マザーボードが、グラフィックスカードが発売された。Fatal1tyは、世界で初めて年間100万ドルを稼いだプロゲーマーとされている(異説有り)、その世界では最も有名な男である。


一方の小林尊はどうだろう。
確かに彼はTVスターである。

けれどもそれは、「ブンブン丸がなれなかった」とまで書く程のスーパースターなのだろうか。とてもではないが、僕にはそうは思えない。もちろん、ブンブン丸とは比べものにならないくらいのスターなのだろうが、それはブンブンが小さいだけだ。




Fatal1tyだけではない。
皇帝と称され、60万人のファンクラブを持ち、映画にも出演し、韓国の国民的なスターとなった、全てを変えた男BoxeR。彗星のごとく現れて1万ドル規模の世界大会を連取し、中国国営放送にも取り上げられた中国の英雄、始皇帝WI.IGE.sky。WarCraft3シーンそのものと称えられ、王の座に君臨しつづける男、歩く4K.Grubbyこと4K.Grubby。Fatal1tyを粉々に打ち砕いて世界の頂点に立ちながらも、惜しまれながら学業のために活動を一時休止した、"Fatal1tyを泣かせた男"フライングダッチマンVoO。

彼らを始めとした多くの人が、小林尊を超えているように思える。
けれども、問題は、そんな所にはない。
もっと別の所にあるのである。












ブンブン丸を取り上げた番組。
即ちASAYAN。



ASAYANは如何にして生まれたのか。
その答えは極めて単純にして明快である。

ASAYANは何故、VF2を取り上げたのか。
その答えは極めて単純にして明快である。

ASAYANはどうして、VF2を捨て去ったのか。
その答えは極めて単純にして明快である。











ASAYAN。
それは、電通によって生み出された。



若者にターゲットを絞ったその番組は、体力の低い放送局という特性上、安いタレントを使い、安い企画を次から次へと繰り出し、それら視聴者が飽きる前に小刻みに切り替える事により視聴者をつなぎ止め、少年ジャンプのように、いくつかの企画に依存しながら、他の企画を育てる、という形でその姿を変えながら視聴者を集め、長く発展を続けた。

その番組、即ちASAYANに込められた意図は単純なものだ。
金儲けである。




電通はASAYANで儲けようとした。
奴らは手段は問わない。
金になればいい。
それが電通だ。

低予算という特性上、素人に近いタレントが次から次へと起用され、片っ端から通り使い捨てにされていった。料理人、社長、デザイナー、そして三流芸人。一言で言うならば、ASAYANは、"一芸に秀でた素人"をいじり、笑いものにして使い捨てる番組であった。




そしてそのターゲットに、バーチャファイター2が選ばれた。
どうしてバーチャファイター2が選ばれたのか。


話は単純。
電通が、SEGAをテレ東に連れてきたのだ。








単純。
そう、それは極めて単純な話だった。

鈴木裕、即ちSEGAはバーチャファイターで一定の成功を収め、日本中のゲームセンターの全てを制したストリートファイター2から一定の顧客を奪う事に成功した。そして、それをさらに進化発展させた社運を賭けた大作、バーチャファイター2を生み出した。

ちょうど、その頃だった。
バーチャファイター2は素晴らしい完成度を誇り、日本中の本物を知るコアなゲーマーから強い支持を受けた。VFの有名プレイヤーは皆、失望する事無くVF2に移行した。




SEGAは「行ける」と思った。
同じ頃、電通も「行ける」と思った。

電通は顧客であるセガ・エンタープライズに企画を持ち込んだ。
御社のバーチャファイター2を番組で取り上げる。
だから、ASAYANのスポンサーにならないか?




SEGAは乗った。
その話に乗った。

時はSONYとSEGAが任天堂に挑んだ次世代機戦争。




セガサターンのメインウェポン。
それが、VFシリーズだった。
SEGAの財布は緩かった。




電通は見事に我らがSEGAをたらしこみ、1時間の番組の中の1ブロック、CMに挟まれた10分程度の短い枠を、数週間に一度VF2に差し出すことにより、大川功という巨大な貯金箱を持つ一部上場企業を、ASAYANスポンサーの列に加える事に成功した。

それは、当時のASAYANの貧弱なスポンサー陣からすれば、大金星だった。
金が流れた。
電通に流れた。
セガから流れた。




そして、VF2はしばらくして、ASAYANから消えた。
理由は単純にして明快。
金にならなくなった。
それだけである。




電通はSEGAとASAYANを結びつける一方でSEGAを凌駕する大口顧客であるSONYと蜜月を築いた。テレビ東京のような弱小局の、ASAYANという色物番組などではなく、日本中に支局を持つ全国局の人気番組隅々で、プレイステーションのCMが途切れる事無く流れ続けた。それまでのTVCMでは考えられなかった「他社の商品のCMを流す」という企画をSONYに持ち込み、その広告戦略は電通の思惑通りに見事採用され、FFが、DQが、SONYの巨額の予算によってお茶の間に届いた。しばらくして、いや、少しも待たずして、次世代機戦争でのセガ・エンタープライゼスの敗北はすぐに明らかになった。SEGAの経営戦略は行き詰まり、資金的にも苦しみ、財布の紐は閉められた。




そして、SEGAは、手を引いた。
ASAYANから、手を引いた。

全くという程に数字の取れていなかった「VF2」というコンテンツは、それと同時に姿を消した。ブンブン丸になにが出来ただろう?当時有名だったVF2プレイヤーに、一体なにが出来たのだろう?僕はこう答える。「何も出来なかった」と。




"ASAYANなどで全国放送されるほどの人気となった。 "
ASAYANで全国放送されたのは事実だけれど、それは違うのである。









ゲームの話に行く前に、ASAYANのその後について少し書いておきたい。

電通は、VF2とASAYANという組み合わせから、1つの物事を学んだ。ASAYANというテレ東の色物番組に、大手企業をスポンサーとして付ける方法である。

ターゲットはゲームではなかった。
「ゲームは数字が取れない」そんな事くらいはわかっていた。
ASAYANがVF2を取り上げたのは、数字(視聴率)の為ではなく、あくまでもスポンサーを得る為だった。電通が選んだもの。それは音楽だった。VF2から数年後、ASAYANは1つの企画を放送した。その企画によって、1人のスターが作り出された。小林尊よりもビッグかどうかは知らないが、1人のスターが作り出された。平家みちよである。

その実験は成功した。
少なくとも、実験としては成功だった。
素人オーディションという、古典とも言えるジャンルを、ASAYANが培ってきた「素人同然の人々を料理する」という手法でリメイクしたその企画は、一定の成功を収めた。平家みちよはそれなりの数字を取り、平家みちよはそれなりに売れた。




「行ける。これは、金になる」
電通は思った。
そう考えた。




そして、電通が動いた。

二匹目のどじょうを狙い、ターゲット企業が入念に、そして慎重に吟味された。
なるべく大きな企業を。
財布の緩い企業を。

そして、それは、選ばれた。
一部上場の巨大企業が選ばれた。




SONYである。
電通はSEGAに学び、SONYへ行ったのだ。
SEGAを踏み台にし、SONYへ行ったのである。




そして、小林尊よりも有名で、平家みちよよりも金の稼げるスターが1人、作り出された。鈴木亜美、後のあみ~ごその人である。








もはや、ここから先は書くまでもないだろう。
皆様御周知の通りである。

ASAYANは、ワーナーミュージック、ソニーミュージック、エイベックスという、VF2の頃には考えられなかった巨大な企業をスポンサーとし、豊富な資金力を得た。電通は巨額を手にした。ASAYANは生まれ変わった。一部の古い番組のファンは「オーディション企画はつまらない」と感じて、使い捨てにされ消えて行った周富徳や宮路社長、江頭2:50分、ルー大芝などといった、電通にとっては、端した金にしかならなかった珍妙な人々を懐かしんだ。彼らは言った。「浅ヤンは死んだ」と。確かにそうかもしれないけれど、浅ヤンは全盛期を迎えた。電通は巨額を手にした。エイベックスもニヤリと笑った。

リアリティ番組的な要素を色濃く取り入れた企画により、誰よりも金になるグループ、即ちモーニング娘が作り出され、ASAYANは進化の最終段階を迎えた。企業が金を得るために恋愛すらも禁じられた彼女らは、彼らに巨額の利益をもたらし、金にならなくなったものは片っ端から捨てられていった。矢口真里は消され、中澤裕子は消えた。その段階に及んでは、鈴木亜美を作り出した小室哲也でさえ使い捨てにされたと言ってもいいような惨状だった。浅草橋ヤング洋品店はモーニング娘の為の番組に成り下がり、モーニング娘と共に滅んだ。

電通に、食い荒らされて。
















スポーツを、闘いを、人と人との生き様を、音楽を、我が国を、健気に思う人民の夢を、それら全てを食い物にして食い荒らし、金を巻き上げ暴利を貪り、食い尽くしては次へと移る。彼らは金の為ならば、嘘虚構をも祭り上げ、メディアの全てを牛耳って、見渡す限りを埋め尽くし、利を得て暴利を貪って、食い尽くしては次へと移る

イナゴである。
電通はイナゴである。
リアルイナゴそのものである。
















ちょうどその頃、セガも死んだ。
湯川専務、セガタ三四郎。
浪費された巨額の宣伝費。
リアルイナゴに食い荒らされて。

まあ、そうでなくてもセガは死んだだろう。
鈴木裕に食い荒らされて。

とりあえず史実では、セガは死んだ。
リアルイナゴに食い尽くされて。










話を、ブンブン丸に戻そう。
ブンブン丸は、小林尊ではなかった。
では、ブンブン丸は、誰だったのだろう。

ブンブン丸が「小林尊になれなかった」のではないとしたら、
ブンブン丸は誰に「なれなかった」のだろうか。




「ピーター・アーツ」
それが、僕が考える、その問いへの答えである。


ピーター・アーツ。
多数のTV番組、映画、CMにも出演したスター。
彼の誕生の裏には、1人の空手家がいた。
石井和義、その人である。




K-1。
大食いを超えた規模のイベント、と呼んでも異論は少なそうなそのイベントは、後に脱税により逮捕され、今では表舞台から完全に姿を消した石井和義、即ち石井館長という1人の空手家によって作り出された。ただの空手の道場主に過ぎなかったその男には、空手以外に何も無かった。ただ、空手だけが彼にはあった。


彼は自らの空手で、攻めた。
彼には、空手に対する情熱があった。
彼には角田がいた。そして、佐竹がいた。

石井は、彼らを引き連れてキックボクシングに乗り込んだ。
畑違いの世界である。

石井は、彼らを引き連れて総合格闘技(リングス)に乗り込んだ。
畑違いの世界である。




石井はそれらの華やかさに触れ、そこから色々なものを学び取った。
そして、彼は、空手を変えた。

裸拳で胴体を突き合うという空手伝統の試合形式を捨て、
グローブを導入し、ラウンド制を取り入れ、ルールを整備した。

石井は格闘技オリンピックという大会を主催した。そして、そこから幾らかを学び、スポンサーをかき集め、放送局に自ら乗り込み交渉を行い、1つのものを生み出した。
立ち技格闘技の祭典、K-1である。




石井によって作られたK-1は幾人ものスターを生み出した。
石井は常に実況席に座り、カメラの前で何が起こっているのかを伝え続けた。
彼は空手家だった。格闘技を愛していた。格闘技を知っていた。
彼には、それを語り伝えるだけの能力と情熱があった。







話をVF2に戻そう。

ASAYANのVF2。
そこに、石井はいなかった。

そこに居たのは浅草キッドというお笑いコンビであり、関根勤という芸人だった。
彼らはVF2プレイヤーでは無かった。
彼らはVF2を愛していなかった。
VF2を知らなかった。

バーチャファイター2の筐体のモニタの画面の中で、今何が起こっているかを伝える能力を有していなかった。モニタを眺めて喧騒下品に騒ぎ立てるばかりで、バーチャファイターなど存在しないに等しかった。バーチャファイターという歴史に残る名作の魅力を伝えられるだけの能力を持った人は、ただの1人もいなかった。伝えたいと思う人すら、そこにはいなかった。彼らはただ金儲けの為に仕方なく、仕事でそれをやっていた。

バーチャファイター2は哀れだった。
そこに愛は無かった。
食い尽くされて。
捨てられた。




石井は一生を、格闘技で食っていくつもりだった。
バーチャファイター2には、そんな人物は居なかった。
リアルイナゴが居ただけだった。後には何も、残らなかった。








一方、韓国には石井が居た。
ゲームのプレイヤーがいて、ゲームを愛する人がいた。

まず、最初に、小さな石井が大勢生まれた。
小さな石井はアマチュアの延長戦上で大会を開催し、ゲームの大会が「面白いものであること」をユーザーに伝え、「より面白くする為のノウハウ」を蓄積していった。ルールを変え、ルールを整備し、少しずつその形を整えていった。そしてその中から、スポンサーを得て賞金の出る大会が生まれた。そこでももちろん主催者はゲームを知っており、ゲームを愛していた。

やがてケーブルTV局と結びついたそれは、国民に認知され、日本で言う所のK-1になった。番組を作る製作者も、解説者も、実況も、全てがゲームのプレイヤーであり、全てがゲームを知っていた。(ここで言うゲームとは、スタークラフトを指す。)

K-1もプロゲームも、共に下から生じたのである。
上、即ち電通から生じた浅ヤンのバーチャファイター2とは違ったのである。








話を戻そう。
戻そう戻そうばかりで全然戻っていない気がするが、それは気のせいである。そもそもどこに居たのかすらわからないという人は、読解力が無いだけである。残念な事に、僕には読解力が無い。




話を、戻そう。
ASAYANは忘れて、視点をVF2に戻そう。




2006年のプロゲームにあって、VF2には無かったもの。
それを語らずして、これは語れない話題である。

VF2には、プロゲームの成立に必須なものが無かった。
「インターネット」である。




バーチャファイターにはインターネットが無かった。
いや、当時からインターネット自体はあった。

しかし、当時のインターネットは今のインターネットと同質ではない。ヤフージャパンがサービスを開始したのは1996年の4月。バーチャファイター2のリリースより、一年以上も後の事である。




なぜ、インターネットが存在しないとプロゲームは存在し得ないか。
それは、「プロゲームを見る手段が無い」からである。

ゲームは、緻密な努力を丁寧に積み重ねていけば数字を取れるようになる可能性を秘めているとはいえ、基本的には、今も昔も地上派で数字を取れるコンテンツではない。

つまり、電波には乗りえないコンテンツなのだ。
その、電波には乗らないコンテンツをユーザーに届ける為に必要なもの。
それが、インターネットである。




韓国で絶大な人気を誇るプロゲームのゲームである、スタークラフト(1998~)には、リプレイ再生機能というものが付ていた。それは、行われたゲームを記録し、再生する機能だった。

そのjpegのバナー1枚と大差がない小さなリプレイファイルというものをダウンロードすれば、ユーザーは行われたゲームの試合の全てを開始から終了まで見る事が出来た。

世界中でリプレイをアップするサイトが作られ、名勝負のリプレイには無数のコメントが付き、注目を浴び、そういった名勝負のリプレイは各地で紹介され、さらにダウンロードされ、幾人ものスタープレイヤーが生まれ、その多くはやがて、プロゲーマーと呼ばれる身になって行った。




Fatal1tyがプレイするFPS(一人称視点シューティング)の場合は少し違う。

FPSがプロゲームとして成立したのは、韓国のプロゲームよりもかなり遅かった。
その理由は、ほとんどのFPSにはリプレイ機能が存在しないからである。
では、どうやってFPSのプロゲームはユーザーに届けられたのか。
それは、インターネットによる動画の配布である。




インターネット革命を経て、様々なツールが登場し、リアルタイムでの観戦が可能になった。動画をリアルタイムで配布するという事も可能になり、実況と解説が付いたそれは、見るものにとってはTV中継と全く同じものとなった。TVは人民のものとなった。同時に世界中でブロードバンドが普及し、BitTorrentというp2pの登場もあって、重い動画ファイルの配布が簡単に行えるようになった。世界各地で熱戦が繰り広げられ、世界のどこかで誰かがそれを見て楽しみ、FPSプロゲームは少しずつファンを増やして行った。




一方のバーチャファイター2はどうだっただろう。
ブンブン丸の試合を見た人間が日本にどれだけ居ただろうか?

バーチャファイター2にはリプレイ機能なんて無かった。インターネットで動画を配布出来る状況にも無かった。ブンブン丸になにが出来ただろう?当時有名だったVF2プレイヤーに、一体なにが出来たのだろう?僕はこう答える。「何も出来なかった」と。




アンデスに伝わる古い諺を1つ紹介して次の段へと進もうと思う。
「一般大衆にとって、見えないものは存在しないものと等しい」

ブンブン丸など存在していなかった。
バーチャファイター2などどこにも無かった。













ブンブン丸がFatal1tyになれなかった理由。
それには、他の要因もあった。
価格、である。

プロゲームの種目となっているゲームは、日本円にして2000円~5000円で買える。そして、何よりも重要な事に、一度買ってさえしまえば、半永久的にインターネットを通じての対戦プレイが可能なのである。ウォークラフト3などでは、自動マッチアップ機能(実力差に応じて対戦相手を世界中から探し出してくれる機能)まで付いている。買えば好きなだけ遊べるのだ。

一方のバーチャファイター2は、それらとは全く違った。1プレイ100円というシステムであり、ゲームセンターに足を運ばなければ遊べなかった。「湯水の如く金を使える人間の娯楽」だったのだ。今で言えばパチスロにハマっているような脳みそ空っぽ層をターゲットとした娯楽だったのである。家庭用機のバーチャファイター2では料金の問題こそ解決されたものの、ネットを通じての対戦は出来なかった。まったく、意味が無かった。

当たり前の話であるが、世の中金である。
高ければ高いほどユーザーは減る。




ブンブン丸に何が出来たかって?
もういいだろう。
そんな話は。










最後になってしまったけれど、プロゲームと言うフレーズを見る度に高橋名人というキーワードを出す人が多いので、その点について少しだけ書いておこうと思う。高橋名人とプロゲーマーは、似ても似つかぬ存在だからである。

まず、忘れてはならないのは、高橋名人は販促によって生まれたという点である。
バックには常にハドソンがついていた。
ゲームを売るための仕掛けだった。

一方のプロゲーマーは違った。プロゲームは常に広告で儲けるというモデルであり、K-1と同じ興行だった。発売会社とは別の場所から生まれ生じた、独立したものだった。それは、販促ではなかった。




ハドソンはコロコロコミックという少年誌に広告を出し、高橋名人を題材にした漫画が連載され、それによって高橋名人は世間に認知され、有名人即ちスターとなった。プロゲームが有志による草の根の、小さな規模の大会から少しずつ広がってやがてはFatal1ty等が生まれるまでに成長したのとは、まったく違った。高橋名人は上から作られたスターだった。プロゲーマーは下から作られたスターだった。ゲームという共通項こそあれど、その両者は、似ても似つかぬ代物である。




せっかくなので、ブンブン丸に何が出来たかを考えてみたい。
何も出来なかっただろう。
僕は、そう思う。

バーチャファイター2には、スポンサーが付く要素がほとんど無かった。
完全にIFの世界であるが、バーチャファイター2がASAYANの企画などではなく、一個の番組として放送されていた場合の事を考えてみたい。時は次世代木戦争の真っ只中。その敗北が既に明らかになっていたあからさまにSEGAで、おまけにゲームという明らかに数字の取れない番組に大金を支払って広告を打つ企業がどのくらいいただろう。

現実的な想定としては、SEGAの一社独占番組だろうか。SEGAは放送毎にCM枠全ての金を支払う。体力的に考えると、キューピー三分クッキング程度の枠、あるいは真夜中最後の30分が精々だったのではなかろうか。わけのわからない三流アイドルを出してエロ路線に媚びたかもしれないし、本人と7~8人の信者だけが面白いと思っている日ハムファンの落語家崩れがキモい顔面を晒していたかもしれない。どの道、それはすぐに打ち切られただろう。バーチャファイターもセガサターンも販売本数は一気に落ち込み、SEGAにとって、TVCMを放送し続ける意味はすぐに無くなってしまったからである。




一方、現在のプロゲーム。
それには、スポンサーが付いている。
スポンサーが居るからこそ、プロゲームは成り立っている。

そのスポンサー群の中核を成すのは、パソコンのCPUを製造している「INTEL」と「AMD」という2つのライバル企業と、パソコンのグラフィックカードを製造している「NIDIA」と「ATI」という2つのライバル企業。それに続く幾多のパソコン部品関連企業である。

プロゲームに関心がある層は、それらの企業が広告を見せたい顧客層と完全に一致しており、黎明期から今日まで、プロゲームを資金面で支えつづけた。そして今では、Fatal1tyを祭り上げたMTVを始めとして、SK Gamingと手を組んだ衣料品企業のアディダス、サンドイッチ屋であるサブウェイ、宅配ピザのピザハッド、自動車メーカーのマツダ、ヒュンダイといった若者に物を売りたい企業がプロゲームというジャンルに注目し、金を出している。

また中国では、多くのMMOが無料でダウンロードすれば遊べるのに対し、プロゲームの対象ゲームであるブリザード社製品は有料であるが為に、「ゲームに金を出すだけの資金的な余裕がある層」に物を売りたい企業から金が流れ込み、その資金を原動力にして世界有数のプロゲーム大国となりつつある。


一部には、プロゲームの隆盛という現象を販促に利用しようと企み、自作自演で賞金つきの大会を主催する企業が現れたりはしているものの、それらは成功を収めるに至っておらず、プロゲームは販促ではないと書ききって間違いは無いところであると思う。









最後にはなったが、僕が「最後にはなったが」という場合は大抵最後にはならない、という事実をきっちりと、皆様にきちんと伝えておきたい。







最後にはなったが、明らかな間違いを正しておきたい。




>ゲームの上手さに年齢は関係ない。
>場数をこなすほど上手くなるのがゲーム界。

このように書いてしまう人間がこの地球上に存在する、というだけで驚きである。これは「将棋の上手さに年齢は関係ない。場数をこなすほど上手くなるのが将棋界。」に等しい文章である。全く持ってお笑いとしか言いようがない。いや、将棋などという例えを持ち出すまでもなく、考えずとも解ることである。場数をこなすほど上手くなるような糞ゲームで、「視聴者の支持を得られるプロゲーム」というものが成立するわけがない。

プロゲームとして成り立っているゲームは全て、そのような時間に比例して強くなれるゲームではない。ドラクエやFF、あるいはMMOなんかとは違う部類の話である。単純な話をすれば100年かければだれでもブンブン丸に勝てるのか?って勝てるわけがない。

Fatal1tyともなれば、Fatal1tyの100倍の時間をかけて練習し、100倍の場数を踏んだとしても、地球上にFatal1tyを超える事の出来る人間は、"Fatal1tyを泣かせた男"フライングダッチマンVoOを筆頭に、片手で数えられるくらいしかいないだろう。集中力と勝負強さ、人間離れした状況判断能力と、正確なマウス動作、卓越した三半規管、努力するという才能、落ちないモチベーションと闘争心の全てを兼ね備えていたが故に(付け加えるならば、人間性と米国籍)、Fatal1tyという人間は100万ドルのスターになったのである。













ASAYANのバーチャファイター2。

結論から言ってしまえば、それはSEGAが電通に食い物にされただけの出来事だった。ブンブン丸に出来る事など何一つ存在せず、プロゲームの成立に必要な条件も、1つも存在していなかった時代の出来事だった。電通はゲームを愛してなどいなかったし、バーチャファイター2を愛してなどいなかった。ただ、彼らは、金になるならなんでもよかった。

WCも、オリンピックも、小室哲哉も、ボブサップも、その他諸々日本に存在する地球上全てのものがリアルイナゴの餌食となり、金にならなくなったものは片っ端から捨てられていった。運悪く、バーチャファイター2がそのターゲットにされ、SEGAは死んだ。SEGAは死んだ。SEGAは死んだのだ。われ等が愛したSEGAは死んだ。何故か。殺されたのだ。リアルイナゴに食い尽くされて。ちくしょう。SEGAめ。鈴木裕め。なにがシェンムーだ。ふざけんじゃねえ。なあにがシェンムーオンラインだ。ふうざけんじゃねえ。ちなみに、セガ信者っぽさ装っているのは、なんかその方が玄人ゲーマーっぽく見えるだろうという思惑に基づく偽装である。実体は鍵っ子である。








その点、大食い名人も同じである。
彼らだって、数字が取れなくなれば簡単に捨てられるだろう。

事実、大食いが金になるという事が判明してからのある時期には、大食いを題材にしたドラマが作られ、全国局でも同様の番組が作られ、そしてそれらは幾つもの問題だけを残してあっという間に消え去った。

だいたいからして、大食いなどというものは下劣極まるものである。食べ物は感謝して食べねばならぬし、よく噛んで血となり肉となるよう食べねばならぬのに、あれらはただ飲み込み、その多さだけを競い、勝手な憶測ではあるがテレビカメラの無い所で吐きに吐いているだろう。そうでないとしても、健全に消化されているとはとてもではないが思えないものである。地球上で、どれだけの人が、飢えているかを考えながら生きる必要など、全く持ってないが、例えその必要は無いにしても、物には限度というものがあり、食べ物は粗末にしてはならぬし、食べ物には感謝をせねばならぬ。その当たり前の価値観を崩壊せしめ、もったいないという意識を希薄化させ、そうまでして金儲けを働く電通は万死に値するし、そのようなものを支持する非国民はリアルイナゴに食い尽くされて尽く死に絶えるが相応である。




















あるプロゲーマーの発言である。




私がシンガポールに着いた日、端正な顔立ちの小さな中国人がこちらに駆けてきて、私に声をかけた。私は彼が誰であるのかすら知らなかったけれど、私は彼と戦い、そして勝利した。彼は私に礼を言って、近くにいた他の選手を呼び止めて、またすぐにマウスを握った。彼の技術は酷いもので、欧州で通用するレベルではないように見えた。中立モンスターに兵隊を殺され、農民のグルーピングは全くと言っていいほどに出来ておらず、ヒーローは簡単に包囲され、それどころかマナ管理もアイテムの使用もまともに出来ておらず、ユニットを遊ばせているシーンも頻繁に見られた。内政と防衛の切り替えと、塔の攻撃対象指定という2つのテーマを意識して練習しているのだ、ということは解ったけれど、どうってことは無いレベルだった。見るに耐えない惨状だった、と言った方が正確だったかもしれない。

私はすぐに飽きて、世界大会でしか顔を合わせる事の出来ない友人達と話をし、ジャンクフードを食べながら街を歩き、リラックスするように勤めた。その頃はまだ、十分な休養とリラックスこそが、本番で力を出す為に必要な事だと考えていたからね。

夜になって会場に戻ると、彼はまだ同じ場所に座っていた。立ち上がり、相手に握手をしながら礼を言って辺りを見渡し、私に声をかけてきた。私が即座に断ってすぐ、彼は他の練習相手をみつけだし、マウスを握った。

彼は、生まれ変わっていた。たったの半日で、全ての弱点が克服されていた。内政と防衛の切り替えは欧州のトッププレイヤーと遜色の無いレベル、いや、それを超える所まで成長していた。塔の攻撃対象指定という、彼が朝から練習していたほとんど無意味に思える課題も見事に克服されていた。彼の防御塔の攻撃は的確に、体力の低い召還ユニットを狙い、攻撃対象が瀕死になると即座にターゲットが切り替えられた。(WC3では、塔が止めをさした場合経験値が入らないという仕様が存在する。)

彼はよく戦い、そして敗れた。
笑いながら対戦相手に歩み寄って握手をして礼を言い、私に「どうか?」と尋ねた。私は「本番で」と断った。「どのくらい?」と聞くと、「ほとんど」と苦笑いをしながら返した。彼はまだとても弱かった。けれど、この先強くなるだろうと私は感じた。

次の日の夕方、私は彼に0-2で敗れた。
その翌日には、決勝の舞台に立っていた。
練習では隠されていた勇気で彼は、アメリカ代表を完膚なきまでに叩きのめした。

私はシンガポールに滞在していた3日間で、本物のプロゲーマーとは何たるかを知り、本当のトレーニングがどのようなものなのかを学んだ。そして「無理だ」って思ったんだ。彼には勝てない、ってね。

訳:真性引き篭もりhankakueisuu
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sky/見つけられず。新世代の人だから、まだ無いのかもしれない。

Masters of the Game/TIME.com


2005年11月29日火曜日

強くなるために必要な事と少しの誇張。

僕が4K.Grubbyを知った時、彼は既に世界の頂点にいた。
けれども今ほど高い位置にいたわけではなかった。





その頃のGrubbyはdeadmanというロシア人と欧州最強の椅子を争っていた。

deadmanという人間は、一言で言うと犯罪者だ。
マップハックツールを使ってアカウント停止措置を何度も喰らったという経歴の持ち主で、筋金入りの極悪人だ。当時から今に至るまで、世界中のWC3プレイヤーから嫌われまくってきたプレイヤーであり、WarCraft3界のキングオブイービルである。だから僕はdeadmanが物凄く好きなのである。

対してGrubbyも非常に素行不良で有名なプレイヤーである。各地のBBSでやんちゃをしたり、チャットで喧嘩をおっぱじめたりと、行儀の良い人間ではない。だから僕はGrubbyが物凄く嫌いなのである。


その、当時世界の頂点にいたGrubbyとdeadmanという2人のバカは、いくつかの重要な大会の重要な試合で何度か戦った。そして世界中のマップハッカーに対する怒りの声援を背に受けたGrubbyはその期待に応え、毎回毎回deadmanを粉々に粉砕し続けた。それはもう、完膚無きまでに。4K.Grubbyの伝説は、deadmanの息の根を止めた英雄として始まったのである。

以後、deadmanは鈍く輝く事しか出来なくなった。deadmanがマップハックをしてまで勝ち続けることで溜め込んだ貯金は全てGrubbyが持ち去ったのである。




Grubbyの所属する4K(Four Kings)というチームは当時、それほど強いチームではなかった。5vs5のチーム戦で行われるWarCraft3Leagueという大会において、4Kは3-2や4-1という際どいスコアを繰り返し、時として2-3という形であっさりと順位表では下位に位置するチームに敗れたりしていた。

何故ならば、当時の4KはGrubbyのワンマンチームだったからだ。




それでも4Kは勝ち続けた。
いや、Grubbyは勝ち続けた。
リーグ戦ではそれなりに負けていても、プレイオフではGrubbyが絶対的な強さを発揮し、1vs1で1勝、2vs2で1勝と、Grubby1人で2勝をあげ、残りの3試合で誰かが勝てばチームは勝利する、という状況を作り出し続けた。


そして、4Kは栄光を手にし続けた。
いや、Grubbyは栄光を手にし続けた。




そんな中で4Kには「Grubbyだけのチーム」という嘲りが常に付きまとった。
当時の2vs2におけるGrubbyのタッグパートナーは素人目にも明らかに物凄く弱いプレイヤーで、プロリーグで優勝を飾るようなチームで戦えるような実力は無かった。けれども、Grubbyはその誰よりも弱いチームメイトと共に、「2vs2でも世界最強はGrubbyだ」と誰もが認めざるを得ない活躍をし続けた。誰もGrubbyを止めることは出来なかった。




ある時、Grubbyがチームメイトの試合を観戦していると、共に観戦していたプロゲーマーの1人が言った。

「4Kのメンバーは楽で良いよな。」
「3試合で一勝するだけで金が稼げるのだから」

Grubbyは激怒した。
本当に怒っていたのかどうかは知らない。
けれどもGrubbyはしばらくの間、チームメイトをえらい剣幕で褒め続けた。

僕はますますGrubbyが嫌いになった。




ある時、Grubbyがチームメイトの試合を観戦していると、共に観戦していたプロゲーマーの1人が言った。

「(2vs2のGrubbyのタッグパートナー)は、雑魚だ。」

Grubbyは即座に言った。
「彼は世界で最も優れた2vs2プレイヤーだ。」
「なんなら、このあとですぐにやってみるかい?」

そこには、2vs2のGrubbyのタッグパートナーもいた。
僕はますますGrubbyが嫌いになった。








それからしばらくして、MaD_Frogというプレイヤーが世界の頂点に躍り出た。

韓国に招待されたMaD_Frogは、欧州よりもレベルが高い韓国の並み居る強豪を相手に奇跡的な成績を収めて欧州に帰国した。




それは正しく、凱旋帰国だった。
誰もがMaD_Frogの時代が来たと考えた。

欧州に凱旋帰国したMaD_Frogは鬼神の如き強さで勝ち続けた。それは、正しくグロ画像のような強さだった。当時MaD_Frogのゲームを観戦していた欧州のプロゲーマーの1人が動揺して「これ、どうやったら勝てるのだ?」と言ったが、誰もそれに言葉を返せず黙り込んでしまった。通夜のような重い沈黙が欧州を覆った。

MaD_Frogに敗れたプロゲーマーまでもが「ちょっと待ってくれ、それどうやったら戦えるのだ?」とMaD_Frog本人に問いかけてしまうくらいだった。そう、当時のMaD_Frogは戦う事すら許されない位に強かった。対戦相手の心を完全に折ってしまう程に、全てコールドゲームで勝ち続けた。

それは正しく、悪夢の到来だった。
誰もがMaD_Frogの時代が来てしまったと考えた。

誰もが思った。
Grubbyの時代は終わったと。
deadmanという巨悪を葬ったヒーローの時代は終わってしまったのだと。




MaD_FrogとGrubbyのどちらが強いかなんて事は、誰も語ろうとはしなかった。
もう、結果は見えていた。それ程までにMaD_Frogは圧倒的だった。

そして、両者は遂に相まみえる。
それも、プロゲームの大会の決勝戦という場で。

試合形式は三本先取した方が勝ち。
人々が注目したのはどちらが勝つかではなくて、MaD_Frogがどのように勝つかだった。いつものように相手に試合を成立させないままで勝ってしまうのか、Grubbyが辛うじて試合を成立させる事が出来るのか。それだけが注目されていた。MaD_Frogの勝利は約束されていた。




Grubby(オーク)対MaD_Frog(アンデッド)の幕が開けた。

MaD_Frogは圧倒的だった。
Grubbyの操るユニットは何も出来ずに片っ端から死んでいった。
Grubbyの操るヒーローは蘇る度に悲鳴と共に昇天していった。

もはやその空気は試合のものではなかった。
偉大なるヒーローの追悼イベントだった。
Grubbyは何も出来ずに一本目を失った。




2試合目もMaD_Frogは圧倒的だった。
韓国という虎の穴で完成させられたその強さは本物だった。

Grubbyは何も出来ずに負けた。
見ている誰もがそれからしばらくすれば、MaD_Frogの戦い方が欧州を席巻するだろうと考えて、「明日は我が身」と死に行くGrubbyの姿を怯えながら見続けていた。Grubbyに煮え湯を飲まされ続けてきた欧州のトッププロ達は、MaD_Frogと同じ種族を使ってMaD_Frogのスタイルをコピーすれば「俺でもあのGrubbyをゴミ扱い出来るのだ」、と誰もが考え始めていた。

Grubbyは何も出来ずに2本目を失った。




けれども、GrubbyはGrubbyだった。
残念なことにMaD_Frogはその他大勢でしかなかった。

2-0とMaD_Frogが王手を掛けた三試合目、誰もが目を疑う光景がそこにはあった。
Grubbyは、凱旋帰国からその試合まで相手にゲームをさせずに連勝街道をひた走ってきたMaD_Frogにゲームをさせずに完勝した。何が起こったか理解している人は世界中でたった1人、Grubbyだけだった。「まぐれだ」誰かが言った。世界中がそう考えた。




4試合目。
Grubbyは圧倒的だった。
世界中がとろけていった。

あの、MaD_Frogが何も出来ずに負けてゆく。
目の前で何が起こっているのか、誰も理解出来ていなかった。




何よりもそれを理解できていなかったのはMaD_Frog本人だった。
負けるはずがないマッチアップ、負けるはずが無い相手、事実スコアは2-0。
栄光はMaD_Frogの手中にあった。

4試合目の趨勢が誰の目にも明らかになった時、MaD_Frogは言った。
「5試合目はお互いの種族を逆にしてやろうぜ」

OVER。
「なあ、5試合目はお互いの種族を逆にしてやらないか?」

全ては終わった。
「4K.Grubby、5試合目はお互いの種族を逆にしてやってみないか?」














欧州に平和が戻った。
王の座にはGrubbyがいた。
彼はみんなのヒーローで、何度も何度も大きな大会の重要な試合でゾンビのように蘇っては復活を目指してしつこく、しつこくvsGrubbyへと辿り着き続けてきたdeadmanを、毎回毎回ストレートで打ち破り続けた。人々は笑顔を取り戻した。deadman lol。幸せな時代だった。

1つの悪夢が訪れるまでは。






それは、本物の悪夢だった。
誰もが目を疑った。




プロゲームというのは、過酷な世界である。
試合のリプレイが一瞬にして世界中に広まり、そのキーボードの細かい操作や、作戦の手順、あるいは傾向までが全て筒抜けになる。強いプレイヤーの作戦は世界中のプロゲーマーから研究され、穴を見つけられ、あるいはコピーされて広まる内に誰かが対策を思いつき、といった形で飲み込まれてゆく。

Grubbyはその過酷な生存競争を生き延び続けた。
彼の所属する4K(FourKings)というチームには少しずつ、強いプレイヤーが加わって行った。

他のチームもGrubbyの栄光を黙って見ていたわけではない。
4Kというチームはその貧弱なウェブサイトと所属プロの少なさを見てもわかるように、そんなに大きな資金力はない。Grubbyがいなければ、凡百の弱小チームだったし、今もそうだっただろう。4KはWC3Lで勝ち続けてはいたものの、誰もが認めるような世界のトップクラスのプレイヤーを補強する事は出来なかった。

それでもGrubbyはチームメイトの事を「彼は強い」「彼らは強い」と言い続けた。誰もがそれに反論をしたかったが、WC3Lという大舞台で4Kは勝ち続けていたが為に、文句を言う事が出来なかった。Grubbyは1vs1と2vs2の2勝を4Kにもたらし続けていた。




どのような補強をしても4Kの後塵を拝し続けたライバルチームは遂に、禁断の扉に手を掛けた。韓国である。WC3Lは一夜にして、韓国人の晴れ舞台と化した。山を越え、海を越え、世界中から化け物共が集結した。sprit"チャンピオン"moon。100戦100勝sweet。挙げればきりがない。時差の関係上あまり参加して来なかった国の強豪達も韓国人の後を追うようにして次から次へと契約していった。Grubbyはそれでも強かったが、4Kはあっという間に埋もれ、中堅以下の弱小チームへと成り下がった。

Grubbyは終わらない、けれども4Kは終わった。
誰もがそう口にするようになった。

「これが本当の世界のトップリーグだ」
これまでは餓鬼のお遊戯、ここからが本物の闘いだとばかりに人々は胸を躍らせた。




悪夢はそんな時に訪れた。

Zacard。
Grubbyと同じオークという種族の使い手である彼は韓国最強という称号を手にした。

それは、世界最強という称号を意味していた。
そして「世界最強オーク=Grubby」という定義の崩壊を意味していた。

誰もZacardを止められなかった。
人々はZacardをGrubby2.0だと考えた。

事実ZacardはGrubbyより操作量が多く、Grubbyよりも繊細で、Grubbyよりも丁寧で、Grubbyよりも大胆で、Grubbyより修羅場を潜ってきており、Grubbyより名のある相手を倒していた。

「Grubbyの時代は終わっていない」
人々はそのようにGrubbyを弁護した。

欧州はGrubby、AsiaはZacard。
それでいいじゃないかと、物事を丸く収めようとした。




けれども、世界は1つである。
GrubbyとZacardは同じ大会にエントリーし、同じように圧倒的な強さで勝ち進み、同じように決勝戦に駒を進めた。オーク対オーク。欧州対韓国。欧州最強対世界最強。

結果は3−0でGrubby。
「どうしてGrubbyは勝ったのか?」世界中で論争が行われた。けれども誰1人としてそれに対する明確な答えを出せずにいた。そうして人々はその3-0という結果を理解する事を諦めた。考えるのを止めたのだ。「Grubbyだから。」他の理由は見つからなかった。他に言葉はいらなかった。

それ以降、それまでは"絶対に傷のつかないプレイヤー"だったZacardはチームにとって重要な試合で勝てなくなったし、格下のニューカマー相手に頻繁に星を落とすようになった。どこにでもいる凡百のプレイヤーへと成り下がってしまったのである。魔法は解けて、悪夢は去ったのだ。




悪夢は去ったが、4Kの死は確定していた。
韓国人の草刈り場となったWC3Lで、他より遙かに見劣りする4Kの面子が勝ち星を拾い続けられる可能性はまったく無かった。何よりエースのGrubbyですら勝算の薄い強豪が大勢流入していた。

4Kのライバルチームは、オフラインで行われるプレイオフ(決勝大会)に韓国人を呼び寄せる事くらい簡単に出来るだけの資金力を有していた。4Kは終わった。




そう、4Kは終わった。
誰もがそう思った。

あの頃は良かった。
人々は昔を懐かしんだ。

けれども終わったのは4Kではなくて、deadmanの所属するaTだった。




誰がaTを終わらせたのかって?
そんなの、言わなくたってわかるだろう。

綺羅星の如きタレントを世界中から掻き集めたaTを終わらせた男。
それが、かの、aT.deadmanだ。




極悪人deadmanを抱えたaTは、deadmanが引き起こす数々のトラブルにより空中分解した。傷心のMaD_Frogが色に溺れて行方知れずとなってからも、欧州のトップ戦線で悪童っぷりを発揮し続け、Grubbyには相変わらず負け続けるも地味な進化を続けて強豪と呼ばれる地位に居続けていたdeadmanを欲しがるチームはいくつも有り、彼は再就職先を手に入れた。

けれども、deadmanほどの名前を持たない同僚の幾人かの所属は宙に浮いた。




韓国屈指のアンデッド使いaT.FoV。
次第に頭角を現し始めていたフランス人のヒューマン使いaT.ToD。

そんな彼らを拾ったチームがあった。
Grubby率いる4Kである。




誰も、そう、誰もFoVを止められなかった。
Grubbyとトレーニングを続けたFoVを止められなかった。

GrubbyはToDのトッププロという肩書きをすぐに剥がした。
ToDは欧州最強ヒューマンとして名実共に誰もが認める存在となった。

なったのではない。
Grubbyがそうしたのである。




自分よりも遙かに格下で、ライバルチームのメンバーよりも遙かに安価な選手を率いてWC3Lを取り続けてきたGrubbyにとって、過去のメンバーとは段違いの才能を所持しているFoVとToDというチームメイトを強くする事など簡単な事だったのだろう。もう誰も4Kを止める事は出来なくなった。










先日、WC3Lシーズン8の決勝戦が行われた。

FoVはスケジュールが合わず、4KはFoV抜きでプレイオフに挑んだ。4Kのアクシデントはそれだけではなかった。チームメイトの1人が選手登録後に参加出来なくなり、全5試合で行われるWC3Lのプレイオフで4Kは、1本失った状態で始まるという不利を受けた。


しかも、GrubbyとToDに続く三人目のプレイヤー、Zeusはプレイオフに駒を進めた他のチームの強豪よりは実力的にはかなり格下だった。Zeusが4Kに加入したいきさつはよく知らない。あまりWarCraft3の盛んではないクロアチアの選手だから、先進国のプレイヤーよりも獲得しやすかったのかもしれないし、操作量の多さを見込んで育てるつもりで獲得したのかもしれない。まあ、よくしらないが、とにかくZeusが勝ち星を拾える可能性はかなり低かった。




4Kが優勝する方法はただ1つ。

Grubbyの1vs1。
ToDの1vs1。
Grubby&ToDの2vs2。

その3試合で勝ち続ける事。
2人きりのプレイオフが始まった。







当然の如く、Grubbyは勝った。
1vs1は2-0。
2vs2も2-0。
誰も驚かなかった。




そして、ToDは負けた。
4K.ToD vs mYm.Hanbit.Storm。
相手はmYmという欧州のチームとHanbitというチームが合体して出来たmYm.Hanbit。

スコアは1-2。
選手はStrom。
もちろんkorean。
誰も驚かなかった。




無論、Zeusも負けた。
相手は当然韓国人。
誰も驚かなかったがフォーラムは荒れていた。
「Zeusは良いプレイヤーだが、4Kには相応しくない」もちろん僕も頷いた。




FoVを招けず、チームメイトが1人現れずデフォルトで一敗が付き、Zeusは戦力にならない4K。対するmYm.Hanbitは出場選手全員が韓国人。現地でブートキャンプをし、万全の体制で試合に挑んでいた。敵はHanbit、即ち韓国そのものだった。

WC3Lという巨大な大会のタイトルが、韓国人によって持ち去られようとしていた。




けれども、GrubbyはGrubbyで、WC3LはGrubbyの為の大会だった。

WC3Lのプレイオフはダブルイミテーション方式。
即ち、一度負けても優勝のチャンスはあった。

4Kは当たり前のように決勝戦へと駒を進め、ウイナーズサイドを勝ち上がったHanbitとの決戦に挑んだ。1勝すればHanbitの勝ち。2連勝すれば4Kの勝ち。




そして、一戦目。
Grubbyは1vs1では2-1で勝利し、2vs2を2-0で取った。

次は、Zeus対Storm。
ハイハイ、StormStorm。
はいはい、KoreanKorean。
4Kの命運はToDに託された、、、はずだった。



ありえない事が起こった。
4K.Zeus対Hanbit.Storm、2-1。
勝者、4K.Zeus。

Grubbyは驚いていなかったのかもしれないが、フォーラムは逆方向に荒れた。
「ゼウス、お前は男だ!」「昨日ゼウスに文句言ってた奴はZeusに謝罪しる!」




もはや、ギャグの領域だった。
WC3LはGrubbyの為の大会で、4KにはGrubbyがいた。



最終戦。
Grubbyは2-0で勝った。
ToDも2-0で勝った。
Grubby&ToDの2vs2も2-0で勝った。
どれも、一方的だった。

海越え山越え訪れて、キャンプまで貼った高給取りの傭兵達は4Kの2人になにもさせてもらえないままで、WC3Lシーズン8の最終戦を終えた。Zeusはもちろん0-2で負けていた。




皮肉にも、Grubbyが最も嫌うdeadmanが崩壊させたaTから移籍したToDが、Grubbyにいくつめかのタイトルをもたらした。欧州で一番の嫌われ者が韓国から欧州を守ったようなものなのだ。まったく、お笑いである。









4K.GrubbyはFoVとToDという、文句なしに世界最強クラスのチームメイトを手に入れた。けれども、かつてGrubbyが「強い」「良い」と言い続けてきた、"安くて弱いがたまに勝つチームメイト"は、もう1人として4Kには残っていない。それどころか、WC3Lの優勝メンバーだった彼らは全員プロゲームシーンから完全に消えてしまった。まるで最初からGrubby1人しかいなかったかのように。

いや、事実4KにはGrubbyが1人いただけなのだ。
即ちGrubbyはずっと1人だった。
そしてこれからもそうだろう。

4Kと他のチームの差異は「Grubbyがいたか、いなかったか」という違いでしかない。10人20人と大量のトップランカーと契約して囲い込んだ有力チームは全て、たった1人の人間に粉々にされたのだ。

もしも仮に世の中に「金では買えないもの」があるとすればそれはGrubbyと、Grubby的なものだけだろう。仮に4KにGrubbyがいなければ資金力の無い4Kは今も尚弱小チームだったろうし、他のチームにGrubbyがいれば、そのチームがWC3Lを連覇し続けていただろう。




それを思うと、以前どこかの誰かが「強い人と練習しないと強くはなれない」「弱い奴は強い人と練習しても弱いままだ」と言っていたのを思い出さずにはいられない。

Grubbyが強いままでいられたのは、4Kがその時点で買える範囲の中で最も強いプレイヤーを買い続け、少数精鋭で不要となったものを捨て続けてきたからに他ならない。

必要でないもの以外は不要であると、捨てられる事こそが強さなのだろう。




不要な物を捨てて。
不要な情報を捨てて。

不要な人を捨てて。
不要な時間を捨てて。

不要なRSSを捨てて。
不要なブログを読むのをやめて。

さあNOW、全部捨てちまいなよ。
全てゴミ箱に放り込んで投げ捨てて。

違う世界違う場所違う人生違うインターネット。そうすれば誰だってGrubbyになれるし、そうした所で誰もGrubbyにはなれやしない。例えば僕が今ここで真性引き篭もりhankakueisuuを投げ捨てたならば僕が失うものは僕だ。grats、Grubby。