悪い夢のパターン、一番の悪夢。

頭をガンガン打つ音が、昼も夜中も鳴り響く。

— 民間伝承, データリンク





凄まじい頭痛に叩き起こされた。ここまでの頭痛は近頃無かった。頭の痛さで口を閉じられなくなるのは久しぶりの事で、「そういえば僕の体って、こんな感じだったな」という懐かしさすら込み上げてきた。だがしかし、痛いものは痛い。

頭痛の最中、もの凄い悪夢を見た。19日にも、ブログには書いていないけど酷い悪夢を見たので、これで3日連続で酷い悪夢を見た事になる。もう慣れたが、慣れたからといってどうにかなるものではない。幸福は幸福であり、悪夢は悪夢だ。19日の夢は、ブログはおろかテキストファイルにも書き残していない。テレビで心臓手術のニュースを見て、「特権階級が」と怒り狂い、心臓手術を受けた人を滅多刺しにするニュースをインターネットで見るという悪夢だった。現実の中心にインターネットがあるように、夢の中央にもインターネットが鎮座している。

その手術は「アクティブ手術(人工心肺を用いずに、心臓を動かしながらする手術)」という画期的な手法で行われ、テレビのニュースはアクティブ手術の素晴らしさと技術的困難さ、そしてアクティブ手術が我が国のお家芸であることを盛んに伝えていた。その中で、「アクティブ手術のメリット」なるものが読み上げられていた。鼻筋の通った女子アナウンサーが手に持ったプレートには、「1,体への負担が少ない。2,病院への負担が少ない。3,医者への負担が少ない。4,費用が安い。」と書かれており、解説の心臓外科医が1から順番にそのメリットを説明していったが、3の「医者への負担が少ない。」まで読み上げたところで心臓手術のニュースは終わり、「費用が安い」は読み上げられずに、スポーツコーナーが始った。

スポーツコーナーでは、ボスニアのサッカーリーグで真っ黒な黒人選手の心臓が止まって倒れて死んだ、というニュースを伝えていた。目が覚めてはじめに思った事が、「アフリカにあるのはボスニアじゃなくてボツワナだろう」だったから、それがボスニアであった事は、はっきりと覚えている。ボスニアにも真っ黒な黒人の1人や2人は居るだろうから、間違いだとは言い切れないが。

ボスニア(あるいはボツワナ)では、心臓が止まると人間が死ぬ。けれども我が国の特権階級の人間の心臓は、英知と血税の結集により止まらない。「費用が安い」は読み上げられない。自ずから僕は激昂し、アクティブ手術を受けて助かった老人の心臓を、怒りのあまりテレビを突いて先が折れてしまった包丁で、無理矢理に滅多差しにするニュースをインターネットのニュースサイトで見ている悪夢だった。酷い悪夢だった。次の日の悪夢は当たり障りのない悪夢で、無能さを罵倒された上で解雇されるだけの代物だった。

だがしかし、今日の悪夢はひと味違った。赤の他人に向かい、大声で自分の主張を押し通そうとし続けるという悪夢だった。それは悪夢というほどの悪夢でもなく、目が覚めた時は気にとめていなかった。けれども頭痛を堪えながら呼吸を繰り返す中で、それが何よりも酷い悪夢であると思えるようになった。自分の邪悪さ矮小さが反映された夢や、自分の無能さが反映された夢と距離を置くことは簡単だ。けれども、自分の醜さを突き付けられる夢だけは、まだ耐えられない。じわじわ効いてくる。頭痛は去って、酷い気分だ。これならばまだ頭痛の方が良かった。善良さや優秀さはもう、どうでもいいんだ。美しくなりたい。素敵になりたい。可愛くなりたい。整形して美女になりたい。醜いから醜いんだ。美しくなれば自ずから、美しくなれるはずなんだ。頭をガンガン、ガンガン、畜生め。助けてくれ。