2018年6月24日日曜日

情熱をインストールしよう。

私には情熱がない。
とても悲しい気分になる。
全ての情熱は失われてしまった。

書きたいブログも、遊びたいゲームも存在しない、吸いたい酸素のない世界を僕は今生きている。描きたくもないブログを描いて、遊びたくないゲームを遊び、吸いたくない酸素を吸って、僕は今を生きている。全てが失われた世界に僕は要る。




昔の僕は違った。
僕には情熱があった。

食べたいものがあったし、行きたい場所もあった。会いたい人も居たし、幸せにしたい誰かも居た。書きたいものなんて無限にあったし、伝えたい事も少しはあった。叶えたい夢がたくさんあって、色々と頭の中で思い描いた。それは、情熱だった。どんな力よりも強い力、生き物が生きようとする力だった。けれどもそれらは全て消えた。完全に失われてしまった。

どうしてみんな、なくなってしまったんだろう。

確かに存在していたはずの、無限にわき出る情熱は、ふと気がついたら跡形もなく、完全に消えてしまっていた。僕はその理由をしっている。何故消えたかを知っている。知っているけれど、知らないふりをしている。全ての情熱が僕の心から完全に、跡形もなく消えてしまったという謎を、僕はもう随分と前から完全に解き明かしていたんだけれど、現実を直視するのが嫌で逃げている。向き合うのが嫌で逃げている。たぶん、まだ逃げるつもりだ。


全ての情熱が消えてしまったのは、自らが描いた夢や希望が、何一つ成就しなかったからだ。胸の中に無限にあった書きたいブログすらもまともに書こうとせずに、くだらないゲームばかりやっていた。食べたいものがあっても食べたいと思うだけで、食べに行こうともしなかった。伝えたい人に伝えたい事を伝えようとした事すらなく、幸せにしたい人が遠い場所で消耗していくのを何もせずただインターネットで見ていた。何かしら頭の中で理由を作っては、行きたい場所に行こうともせず、会いたい人に会おうともしなかった。僕はそうやって情熱を潰した。


自らが思い描いた無数の夢を、片っ端からプチプチと、潰し続けて生きてきた。そこには不思議な安心感があった。なぜならば、僕の情熱は無限だったからだ。実際には無限などではなかったのだが、あの頃の僕は自らの情熱は無限などだと信じ込んでいた。得体の知れない間違った確信があった。自らの夢を潰すのは楽しかった。それは、楽しかった。とても、楽しかった。自らの思い描いた夢を叶える為の努力を一切行わなくとも、ビデオゲームを遊び続けることによってその夢を潰すだけで、新しい新鮮で斬新な夢が次から次へと沸き出でる。自らの思い描いた夢をビデオゲームによって叩きつぶすことで沸き出でる新しい無数の夢は、僕の心をときめかせ、僕の人生を輝かせた。僕はその輝きに酔っていた。自らが無限の存在であるというよろこびに、酔いしれた。

僕は決してくじけることなんてない。いつだって希望を胸に、あたらしい夢を抱いて生きていける。僕は自らを永遠の、大志を抱いた少年だと信じていた。夢は情熱となって人を突き動かす強烈な力だ。この地球上に存在する人々の多くは、その力を持っていない。夢も持たず、希望も持たず、強烈な力を持つことなく、ただの蠢く肉塊にすぎない。情熱を持たずに生きている彼らと、無限に生まれる情熱を持つ僕との間には、決して超えられない壁が存在している。僕は無限の情熱を持つ、選ばれた特別な存在なのだ。そう信じ込んでいた。だからこそ、自らの夢を潰すのが楽しかった。潰しても潰しても沸き出でる情熱を目にする度に、僕は至上の興奮を覚えた。世の人ではこうは行くまい。僕は特別な存在なんだ。無限の夢と無限の情熱によって導かれた興奮は、無限の快楽を生み出し、無限の快楽は無限の快楽を生み出した。僕の人生は完璧だった。

無限の情熱によって保証された無敵の快楽に彩られた、輝かしい毎日が約束されていた。自らの夢や希望をビデオゲームで叩きつぶすだけで、新たな夢が生まれ、新たな希望が生まれた。全てを興奮で包み込む、新たな情熱が手に入った。僕は何もしなくてもよかった。一切何もしないことによって、即ちビデオゲームを晩から朝までプレイし続けることにより、自らの夢や希望を叩きつぶすだけでよかった。ただそれだけで、新しい情熱の誕生が約束されていた。夢が完全に叩きつぶされたその瞬間、いやそれ以前より、新たなる夢がそこに生まれた。だから僕は一生懸命、自らの夢を潰し、自らの希望を叩き潰した。潰し続けた。



無限の情熱は、あっけなく途絶えた。その瞬間に僕は悟った。夢と希望によってもたらされていた無限の情熱が、なぜ完全に途絶えてしまったのかを。そう。僕が潰したんだ。僕が僕を潰したんだ。



そして全てが止まった。

もう夢はない。
もう希望はない。
もう情熱は、どこにもない。

僕は潰し続けたのだ。

自らの夢を。
自らの希望を。
僕を突き動かすはずだった、強烈な力を。

情熱を。




僕はこの先もう長くはない人生を、一切の情熱なしで生きていく。読みたい本も、食べたいものも、会いたい人も、幸せにしたい誰かも存在しない、完全なる真空の中を生きていく。どんな素敵なものにも心を揺さぶられず、何を見ても、何に触れても、「ああ、くだらないね」としか思わない毎日が僕を待っている。これが僕の人生なんだ。自らの心を自らの快楽の為だけに利用しつづけた男の末路なんだ。いや、僕はもういない。あの無限の夢こそが、無限の希望こそが、無限に沸き出でる不滅の情熱こそが、僕そのものだったんだ。今こうして情熱の一切存在しないテキストをタイピングしている僕は、僕の完全な偽物の、僕の完全な抜け殻だ。


この教訓を誰に伝えよう。無限に思える夢と希望と焦燥感によって生み出される情熱を、ビデオゲームによって叩きつぶし続けることで快楽を貪り続ければ、このような人生に辿り着くのだという教訓を、いったい誰に伝えよう。そんな人、居るわけがない。伝えたい人なんているわけがない。僕の人生にはもう、僕しかいない。他に誰も存在しない。もちろん、それも、偽物の僕だ。僕ではない偽物の僕だ。無限にわき出ていた情熱の泉は、いまでは憎悪だけを生み出し続ける。何を憎んでいるのかすらもわからない。僕が憎むべきは僕自身だ。自らの夢と希望を潰し続けることにより、ただ快楽だけを得て、情熱を浪費し続けた僕自身だ。けれども、もう、僕んは、自分自身を憎む力すらない。もう悲しみすら感じないんだ。悔しいとも思わない。僕はもう僕じゃないから、はなっからそんなもの、なかったにせよ、僕の人生に責任を持つ気はない。僕ではない誰かの人生に責任を持つ義理はない。そんな奴の為に努力する義理はない。それどころか、こいつは仇だ。僕の無限の夢と希望を自らの快楽の為だけに使い果たした、我が仇だ。憎悪しかない。ここにはだから、憎悪しかない。




こんなはずじゃなかった。
こんなはずじゃなかったんだ。

僕には情熱がない。なぜ情熱がないのか。それは、情熱がないからだ。他の理由はない。情熱が欲しければ、手に入れればいい。情熱をインストールすればいいのだ。情熱は内なるものではない。みんな、何かに絆されて、情熱を胸にインストールしている。誰かに騙されて、情熱を手に入れている。情熱が欲しければ、情熱をインストールすればいい。素敵な文章を読んだり、素敵な人に出会ったり、素敵な場所に行って、素敵なものを見たり。そうすれば情熱は復活する。情熱なんて後天的なものだ。内なる情熱なんて嘘っぱちだ。情熱とは、外部からもたらされるものなんだ。ならばもたらせばいい。情熱が欲しいならば、情熱を捏造して、その情熱を手にとればいい。副作用は何もない。情熱の力が手に入るだけだ。情熱という強烈な力を用いて自らの日常を改善していけばいい。自らの人生を変えればいい。青臭い途方もない情熱を笑う空気は捨て置こう。冷笑的になってはいけない。決して叶わない壮大な決して叶わない夢は壮大な夢として存在していていいんだ。現実なんて見なくていい。情熱をインストールしていいんだ。夢を捏造して、情熱を捏造して、豊かになって、幸せになって、その力で誰かに情熱を分け与えていく。そうやってみんな幸せになる。自分の心に嘘をついて、情熱をインストールしよう。その力で走りだそう。その力で走り抜こう。挫けたならばまた新しく、情熱をインストールすればいいんだ。情熱は簡単にインストール出来るのだから。情熱をインストールしよう。

そんなブログを書くはずだった。そうはならなかった。情熱をインストールしよう。そう訴えるつもりだった。そうはならなかった。情熱は後天的なもので、簡単にインストールできるから、情熱を失っても挫けることなんてないよ、って結末になるはずだったんだ。そうなると信じて僕はこのブログを書き続けた。その為に僕はこのブログを書き始めた。けれども、そうはならなかった。そんなふうにはならなかった。僕は思い上がっていた。



僕の心にはもう、情熱をインストールするスロットはない。情熱は二度と手に入らない。これが、夢と希望によって生み出される強烈な力を、自らが無限の力を有しているという事を確認する為だけに利用し、その快楽を貪り続けた男の末路だ。僕はもう動かない。もう二度と動かない。