嫌われるというゴールを目指す人。

誰かに好かれたい、誰かに愛されたいと思う事は、人間にとって一般的なよくある感情である。けれども、誰もが誰も、そのよう事を願い目指しているわけではない。中には、人から嫌われたい、人から憎まれたいと願っている人も居る。




彼等はどうして、嫌われたいと思うのか。
どうして、人から憎まれたいと願うのか。



それは、嫌われるという現実は、他人の心への干渉を意味するからである。負の感情は人の心を覆い、その奥底に覆い忍び込み、そしてやがては破壊する。憎しみという感情は、他の誰かの何かではなく、自らの心を壊してゆく。赤の他人を支配する為の最も簡単な手段。それが嫌われるというゴールであり、憎まれるという目標なのだ。


インターネットには、そういう人達が大勢潜んでいる。現実世界では極めて僅かな割合でしか存在しないそういう人達も、インターネットでは有り触れた存在。インターネットというこの世界は、現実世界ではあり得ないくらいの、膨大な人間が詰め込まれた狭い居間。人があまりに多すぎて、かわいさをアピールしてもかまってもらえない。頭を捻って面白い事を言ってみても、相手にされない。どれだけ優しさをアピールしても、褒めてくれる人はいない。どんなに素直でいい人も、インターネットでは有り触れた存在。けれども、嫌われるという行為は違う。人の心に簡単にアクセスできる。誰かの人生に簡単に干渉出来る。そして、支配する事が出来る。


人が嫌がる事を、繰り返して行う。嫌がられる事を、長きにわたって粘着して続ける。書き続ける。言い続ける。繰り返して続ける。嫌われるという目標に向かって、嫌がられるというゴールに向かって、気が向いたときに片手間で続ける。すると、自ずから嫌われる。すると自ずから憎まれる。当たり前の話だ。嫌がらせを続ける人を、好いて愛する人は居ない。執拗に粘着して嫌がらせを続ける人を、興味が無いと見過ごす人は滅多といない。故に彼等は勝利する。今日も勝利に、勝利を重ねる。


同時に彼等は、敗北を持たない。嫌われる事、憎まれる事、うざがられる事、煙たがられる事、鼻つまみにあう事、軽蔑される事、軽んじられる事、無視される事。それらはすべて勝利を意味する。誰かの心に付け入り、アクセスし、コミットメントし、見ず知らずの誰かの心を間接的に、支配した事を意味する。

そればかりか、好かれる事、面白がられる事、有り難がられる事もまた、彼等にとっては勝利なのだ。自らの手を汚して、労力を費やして、誰かに嫌われる為に粘着する事は、少しめんどくさく、そしてまた正常な精神を持っている人間にとっては多少参入障壁の高い汚く醜い泥だらけの場所だ。だからこそ、自らの手は汚さずに、嫌われようとしている人が嫌われる現場、憎まれようとしている人が憎まれる現場、粘着し続ける人間が煙たがられる現場を目にして、愉快だねとニコニコと笑う大勢の観衆が居る。

観衆は、嫌われようとしている人が嫌われる現場を面白がり、憎まれようとしている人が憎まれる現場をエンターテイメントとして楽しむ。それもまた、勝利を意味する。嫌われるというゴールを目指し、ありもしない話をでっちあげ、真面目に頑張る人を小馬鹿にし、罵詈雑言を並べて誹謗中傷を延々と繰り返し続ける事で、嫌われ、憎まれ、煙たがられ、鼻つまみに合うだけではなく、さらに好かれ、愛され、重宝がられる。嫌われることも、好かれることも、軽蔑されることも、有り難がられることも、その全てが彼等にとては他人の心にアクセスしたという成果であり、人の心に進入したという勝利なのだ。

自らの手を汚したくはない多くの人が、嫌われるというゴールテープを切って颯爽と駆け抜けるランナーを目にし、歓声を上げ、拍手喝采を送る。そして今日もまた誰かが俎上に上がり、誰かが馬鹿にされ、誰かがいじめられ、誰かが袋叩きにあう。そして憎しみが生まれる。人の心が壊されていく。浮かび上がるのは勝利の二文字。




彼等は嫌われるというゴールを、自らの勝利としてしか認識していない。彼等にとって、誰かに嫌われたり、憎まれたりするという事は、当然の権利であり、生き甲斐であり、快楽であり、そして勝利なのだ。

嫌いという感情は心に染み渡り、憎しみは心にどっしりと居座る。そして人間を破壊してゆく。それを見た彼等はさらに増長し、やったぞ嫌われたぞと喜んで、もっともっと嫌われようと、さらに人の心を支配しようと、粘着し続ける。何ヶ月でも、何年でも、飽きることなく執拗につきまとい続ける。

結果は目に見えてる。さらに嫌われる。さらに憎まれる。それは、さらなる勝利を意味する。未だに嫌われているという現実は、さらなる快楽をもたらし、未だに誰かを不愉快にしているという事実は、さらなる興奮を彼等に与え、その結果、より嫌われようとする。より憎まれようとする。ありもしない風説を流布したり、誹謗中傷を繰り返したり。もっと、もっと、嫌われようとする。人の人生を踏み躙り、人の心を破壊し、執拗に粘着して続ける。




一度そのループに入ってしまえば、彼等の快楽は、そして彼等を取り巻く連中の勝利は、無限大に増幅し続ける一方で、そのターゲットとなった人間の精神は、生活は、人生は、その全ては、完全に崩壊してゆく。現実では稀にしか起こりえない事だけれど、インターネットではそれが簡単に起こる。「嫌い」という感情による干渉。「憎しみ」という感情による支配。

電気とバイトが作り上げたこの世界は、全てが繋がる夢の世界。一度狙われれば最後、逃げ場はない。一生粘着される。1人の人間の一生は、嫌いな誰かを勝利させる為だけの機関になり、1人の人間の一生は、憎いだれかに快楽を与える為だけの存在に成り下がる。






人の心に干渉するにはどうすればいいか。
他人の心を支配するにはどうすればいいか。




それは単純。
嫌われればいい。
憎まれればいい。
不愉快にさせればいい。
不快感を植え付ければいい。


その嫌悪は一生残り、その憎悪は一生続く。負の感情を通じて人を支配し、誰かの人生を破壊する。それこそが彼等の喜びであり、彼等の快楽であり、彼等のゴール。全てが透明に繋がってしまった、健やかな地平のインターネットの、光が導くリザルト画面は、どんな願いをも簡単に叶えてしまう。嫌われるという最も簡単な勝利はさらに簡単になり、憎まれるという最も簡単な快楽はより簡単になる。今日も誰かが馬鹿にされ、今日もどこかで嫌いが芽生える。彼等は嫌われて、憎まれて、勝利して、快楽を得て、今日も誰かが破壊されてゆく。