albさんのことのこと。

albさんのことについて書くのは、気が進まない。ずっと、気が進まなかった。だから、今日までずっと書かずに居た。今日になって突然、albさんのことについて書こうと思ったところで、やっぱり気が進まない。書ける事は何も無いし、書く資格はないし、思う事もない。なんの意見もないし、なんの情熱もないし、伝えたいこともない。思う事すらない。




それでも、2012年があと10日で終わるという。

僕も人並みの凡人根性で、2012年にやり残した事を全て片付けてしまおうと思った。確かに、今年中にやろうと思っていた事は幾つも思いついた。けれども、それより前に、2008年にやろうやろうと思いつつ、やり残したまま手も付けられなかった事が残っていた。とにかくどうにかしないと、それを片付けないと、2008年を終わらさないと、2012年など夢の又夢。息をする事も出来ない。前に進む事なんて出来やしない。だから、自分の為でもなく、誰かの為でもなく、何かを書き残したいわけでもなく、何かを伝えたいわけでもなく、ただ2008年を終わらせる為だけに、albさんのことのことについて、人間の心の存在しない、空虚で意味のない文章を、ここに書き残しておこうと思う。




僕はブリザードエンタテイメントという会社のゲームが好きで、これまで随分と遊んできた。同じように、インターネットでゲームについて書かれた文章を読むのが好きで、これまで随分と読んできた。どうしてか、この2つの好きなことは、なかなか重ならなかった。「この人のゲーム文が好き」と思う人は、ブリザード社のゲームをプレイしないのだ。

FPSが好きだったり、シューティングゲームが好きだったり、レースゲームが好きだったり、そんな人達ばかりだった。我が国では、ブリザード社のゲームはとてもマイナーな存在だ、という事もあったのかもしれない。好きなゲームと、好きなテキストは、滅多な事では重ならなかった。一生触る事すらないようなジャンルのテキストを読み、それとは全く別の、狭い範囲のゲームばかり遊んで居た。

件に漏れず、僕はalbさんのテキストが好きだった。ゲームについて大量のテキストを真面目に書き続けている人、というのはインターネットを探しても、そう簡単には見つからない。そういう、とても珍しいテキストが大量に読める場所であり、尚かつけっこーアクティブに新しいテキストも追加されるので生きている感があって、いちいち面白かった。




なので、そこに、ディアブロ2のテキストが追加された時は、超面白いと思った。これは超ヤバイと思った。随分前の事なので、どんな風に消費したのかは覚えていないけれど、ちらっとさわりを読んだだけで、2008年に一番面白かったと思うテキストはこれだろうなあ、と思った事だけはなんとなく覚えている。二番目に面白かったのはどこかのblogで読んだ、StarCraftの代打ちがapm解析でバレて追放される話だった。2008年ってのは、そういう年だった。

好きなテキストを書く人が、自分の知っているゲームについて書く、というのは滅多に無い事だったから、ディアブロ2のリプレイを、ニヤニヤしながらたのしく読んだ。石橋を建造するように真面目に進む様や、1周目でごちそうさまでしたする辺りは、っぽいなあ、と思った。ディアブロ2という3周してからがスタートという不埒なビデオゲームが、albさんのプレイに耐えうるゲームだった事はちょっとした驚きだった。




"albさんのこと"というのは、そういう話ではない。
じゃあどういう話なんだ、というとやっぱり気が進まない。


とにかく、albさんは2008年に、自らのサイトを、限定公開にしてしまった。ディアブロ2のテキストも読めなくなったし、アルファケンタウリのテキストも、レイルロードタイクーンのテキストも読めなくなった。全部読めなくなった。何もする気力が湧かないときに気張らしにテキストを読みに行く場所が1つ消えた。完全に閉め出されてしまったのだ。よくわからない無念さを感じた。僕はもう一生この先死ぬまでこれからずっと、albさんのテキストを二度と読む事が出来ない。まあ、そんなものだろうね、と納得した。


何故そんなものだろうと思ったのかというと、僕自身がディアブロ2を違法ダウンロードしまくってきた、という過去があるからだ。同じように、WarCraft3も違法ダウンロードしまくってきた。故に、albさんがご自分のテキストをインターネットから削除してしまった事について、何かを思う資格はないし、何かを言う資格もない。何故気が進まなかったかというと、端的に言うと、それが原因だろう。資格だけではなく、何かを思うつもりはないし、何かを感じるつもりもない。何かを書くつもりもない。


違法ダウンロードを目当てとした検索があるとか、違法プレイを目的とした検索があるとか、そういう検索エンジンからのアクセスが不愉快だという事で、テキストは全部非公開になった。それは自然なことだし、筋の通った行動だと思う。自分が買っているものをただで遊ぶ奴がいて、そういう類の人間が寄ってくるという現実を、不愉快に感じるのは、当たり前の事だ。


ようするに僕は、僕という人間は、僕という人間の半生は、その存在をもって、誰かを不愉快な気持ちにさせるものだった。そしてその相手がalbさんだったということは、とても残念な気分だった。


一応、なんの弁解にもならない自分語りをしておくと、僕はゲームが好きだからゲームをするとか、ゲームが趣味だからゲームをするといった類の人間ではなく、ただ特定のゲームをインストールしてはアンインストールするだけの人間、いわゆる完全なゲーム中毒者で、ディアブロ2は6個くらい買っているし、WarCraft3は10個以上買っている。先日部屋を片付けて引き出しいっぱいの重たい重たいWarCraft3の説明書の山を紙袋に詰めた上でゴミ袋に詰めたのだけれど、こんなものの為に頑張って働いてたのかな、と徒労感だけが募った。この人生において、僕の努力は自分を含め、何人をも幸せにはしなかった。もちろんdota2も高い金を出して買った。

だからと言って、いっぱい買ったからといって、そのソフトを違法ダウンロードしていいのかというとそれは違うわけで、なんの慰めにもならないし、なんの言い訳にもならない。自分の存在が誰かを、それもalbさんを不愉快にするだけの存在だったという事実は何も変わらない。一方的に消費して楽しんできただけで、不正に貪っていただけ、不正に消費していただけの、存在そのものが害悪の、招かれざる客だったという事をよく理解した年だった。自分の存在というのは、害悪以外の何物でもなかったのだと、はっきりと認識した年だった。2008年というのは僕にとって、そういう年だった。




インターネットで文章を書いていると、嫌いな人が寄ってくる。嫌いな人から好かれる。嫌いな人に付き纏われる。その一方で、好きな人からは好かれない。それどころか、好きな人には読まれる事すらない。視界にも入らない。思った事や感じた事を、苦労して文章に変換して、やっとの事でインターネットに書き残しても、それを読むのはやなやつばかり。ろくでもない人達の、好ましからぬ人達の、酒のつまみにもならない、柿の種の一粒にも劣る、一瞬のくだらない娯楽として、消費されていく。何よりもそれを象徴してるのが他ならぬ僕自身の存在で、こういう人間に有り難がられてしまった事は、インターネットのくだらなさを象徴する、albさんにとって何よりも不幸な現実だと思う。


嫌いな人に読まれ、嫌いな人から評価され、嫌いな人に好かれる。嫌いな人に粘着される。自分の努力は嫌いな人を利する為だけの行動であり、自分という人間は嫌いな人を喜ばせる為の機関として存在している。その現実は、何よりも不愉快なものだ。全て憎むようになる。何も書きたくない。何の努力もしたくない。全てを呪うようになる。解決方法は2つしかない。嫌いな人を皆殺しにするか、自分が書くのをやめるか。albさんは後者を選んだ。インターネットから自分の書いたテキストを全部削除して、インターネットで文章を書くことをやめてしまった。それは取り得る唯一の選択肢であり、とても自然な正しい選択だと思う。




僕等が遊んで居るビデオゲームは、趣味で作られたものではない。仕事として作られたものであり、労働の結果として出来上がった代物である。消費者は金銭を支払い、それと引き替えにビデオゲームを手に入れる。その契約は美しく完結している。生産者の商品を売り、お金を手に入れて生活を続けるという目的と、消費者のゲームをプレイして娯楽として消費するという目的は綺麗に噛み合っている。

けれども、インターネットで文章を書くという行為には、そんな完結は存在しない。ビデオゲームには存在していた、生産者と消費者のwinwinの関係は、インターネットで文章を書くという行為には存在しないのだ。

好きだから書いている。書きたいから書いている。インターネットに文章を書いた時点で、生産者は勝利している。そんなふうに主張するのは簡単な事だ。けれども現実は違う。文章を書いた段階では何もはじまらない。何も終わらない。それは誰かに読まれ、誰かに消費される。そしてその消費者は、艶のある黒髪の美少女じゃあない。そればかりか、招かざる客であり、望まざる読者だ。手元に残るのは拭いきれない不愉快さと、得体の知れない疲労感だけ。




もちろん、商売としてインターネットに書いている人達もいる。その金額の大小はさておいて、収入を得ている人にとっての書くという行為と、一銭の収入を得ずにインターネットに文章を書く行為は、まったくの別物である。前者には勝利が存在している。winが存在している。けれども後者には勝利がない。winが存在しない。そこには敗北しか見あたらない。

albさんの場合は収入どころかサイト運営費に身銭を切っているわけで、インターネットという存在はalbさんにとって、お金を払って不愉快な気分を味わう、という手詰まりの息苦しいアトラクションだったのだろうと思う。全てを非公開にするのは、ほんとうに自然な事だと思う。

僕もまた一銭の収入も得ずに、持ち出しでインターネットで文章を書いてきた。悲しい事と、苦しい事と、不愉快さと憎しみとを得て、以前よりも自分を嫌いになり、自分以外の全ても嫌いになり、他人の幸せを願えなくなり、自分の幸せも望めなくなった。albさんと自分自身との間に共通項を見出そうとする事が正しい行いだとは思わないのだけれど、インターネットで文章を書くという行為は、ろくでもないものだと思う。




昨今のインターネットは、まるでビデオゲームの世界のように、回収するシステムに満ち溢れている。googleアドセンスで回収し、amazonアソシエイトで回収し、アフィリエイトで回収し、PVも金銭に返還される。インターネットで文章を書くという行為は、今やただの労働だ。ある時点では無報酬であっても、それはただ投資段階にあるだけ。いずれ回収フェーズに入り、マネタイズされ、現金として回収されていく。あるいは人間関係などのソーシャルな、他の何かで回収されていく。インターネットで就職し、インターネットで転職する時代なのだ。


そんな世界は、ほんとうに素晴しいと思う。そこは、生産者が勝利出来る世界。文章を書く人間が、勝利出来る世界。はっきりと明確な勝利が存在する世界。そんな世界は消費者にとっても楽だ。消費者には、生産者を勝利させる方法が提示されている。お金を払えばいい。ただそれだけでいい。ただそれだけで、生産者と消費者は繋がる。winwinの関係で繋がる。それはまるで、ビデオゲームの販売者と、購入者が、winwinで繋がる当たり前の光景のようなもの。


たとえばalbさんが1記事100円で過去ログを売ってたならば、僕はalbさんを勝利させる事が出来る。僅かだけれど、ほんの少しだけ、貢献する事が出来る。お金を払って、過去ログへのアクセス権を買えば、albさんの勝利に貢献する事が出来る。


けれども、そんなものは存在しない。僕には、一人の読者として、albさんの何かに貢献する方法は存在しない。まったく存在しない。僕に存在する選択肢は、一生死ぬまで口をつぐんだままで居るか、インターネットに文章を書いて誰かを不愉快な気分にさせるか。どちらにしろ、勝利は存在しない。ありとあらゆるものが勝利の為に存在し、勝利の為に作られ、勝利の為に運営されている2013年のインターネットにおいて、勝利の見あたらない虚しい空白地帯。




僕がかつてまだ、完全な重度のビデオゲーム中毒者だったころ、アンインストールしてインストールkeyを捨ててしまったり、ゲームディスクを割ってしまってからの、再注文した次のインストールkeyやゲームディスクが届くまでの僅かな時間や、具合が悪くてビデオゲームすらプレイ出来ないようなしんどい時期に、一時凌ぎとして、何かから逃げるようにして読んだ、インターネット上の文章の1つに、albさんのサイトがあった。

僕という人間は紛れもなく、albさんが名指しした不愉快な読者像そのものだったわけで、自分は拒絶されて当然だし、悲しくもないし、残念でもないし、辛くもないし、何も思わない。また再び読みたいと思っているわけでもないし、何かを伝えたいわけでもないし、何かを感じてるわけでもない。

ただ、2008年という年は、そんな年だった。僕は一切の勝利に貢献出来ず、何の力にもなれなかったばかりか、不愉快にさせ、苛立たせ、むかつかせ、人を不幸にしたばかりで、その結果として拒絶された。そういう年だった。2009年は少しでも、何かいいことがあるといいな。