2004年11月18日木曜日

俺と海



僕は実の所、一人称を持たない。

ブログで文章を書くに置いて、どうしても一人称が必要となってしまうので、無理やりに僕という言葉をレンタル使用しているだけであり、僕は僕ではない。拙者でもなければ俺でもなければ自分でも私でもミカでもあたいでも朕でもない。「では何であるのか」と問われても、何者でもないからして、答えようが無い。


そのような中で海について書こうという段取りになり、

「僕と海」
という表題をつけてみたのだけれど、これから書き込むであろう内容にはあまりにもそぐわない女性的な言葉の響きになってしまったので、無理やりに「俺と海」という表題をなづけ、「俺と海」で書こうと思うに至る。他にしっかりとした幕引きを書いておくべきかなどとも思ったのであるが、もう過ぎ去った事はもはやどうでもよい。

だいたい、あれは戦友であり同じ趣味を愛する同好の志なのだ。このような趣味を愛する人間に、悪人など存在しないのだ。いわば僕自身とラプターは同じ穴の狢である。愛すべき戦友であり、部下であり、大学の後輩なのだ。かわいいものだ。いとおしくてたまらない。



海だ。
海について書く。

僕以外の誰かにとっての海とは、海水浴場であり、水着であり、よろしくやる場であり、花火大会であり、バーベキュウーであり、焼酎であり、また誰かにとっては永遠の半分であり、人によっては趣味の場である。

しかしながら、僕にとっての海とは宗教施設のようなものである。
懐にゲームソフトを忍ばせて、少しねじ止めが緩んでいるせいか、一段登る度に金属音を発するはしごを登り、テトラポットを降りて辿り着く場所が海というものなのだ。
それ以外の海に関する思い出など何も無い。
あるといえばあるのだけれど、あまり良い物ではないので書かない。


そのように海というものを神々しき聖なる領域として捕らえていた所、あるコメントが目に付いた。

>海にゴミを投げ捨てる
OH MY GOD HOLY SHIT
何という事だ。
確かにその通りだ。
そのような捕らえ方は及びもせぬ所にあった。

事実として、僕は購入したゲームソフトをある時などは開封せずに投げ捨てており、客観的に見るとそれはまさしく「海にゴミを投げ捨てている」でしか無かったわけで、酷く反省している所である。

もう海にゴミを投げ捨てるのはやめようと思うと共に、海にゴミを投げ捨てた話をブログに書くのは金輪際止め様と思う。やがて言葉の波に流し清められるように人は僕が海にゴミを投げ捨てるようなモラルの欠片も無い極悪人である事は忘れ、やがてはその存在をも忘れてゆく事だろう。

もう書かぬ。
書かぬぞ。
ごめん、海。