2005年7月24日日曜日

オープンをオープンにするブログと、クローズドをオープンにするmixi。



mixi=クローズド、クローズド=mixi、という根拠の無い先入観がまず最初にあって、「オープンにしろよ。オープンに。」「ミクサーってのは器が小せえな。」といった極々普通な感想を抱き、それを疑うこともなく今日まで生きてきたのだけれど、これはまったく逆の話なのだと考えるに至った。







「オープンにしても構わない事をオープンに出来る場所」
というのが、ブロガーにとってのブログである。


それは即ち、ブロガーは「これをオープンにするのはちょっと」という事柄をオープンに出来る場所を持たない、という事だ。インターネットは「オープンにしても構わないコンテンツ」で満たされており、人々は「オープンにしても構わないコンテンツ」に飽き飽きしている。

時として「オープンにしたくないんだけど!」な人達が「リンクは許可制!」だとか「趣向を理解出来ない人は見ないでください!→EXIT」といったふわふわとしたウェブサイトで、怯えながら暮らしている。


「怯えながらオープンにする」という非インターネット的選択肢を持たない常識的なブロガーは、「ブログには書けない」「ブログに書くほどのものじゃない」といった事柄を胸の内にしまい、誰にも言う事なくクローズドにして生きてきた。ブログはオープンをオープンにしたが、クローズドはクローズドのままであった。


あるいは、メッセやチャットや携帯で「なあなあ、ちょっときいてえな」と、こっそりひっそり愚痴愚痴と、しんなりはんなりやっていたのである。








そこにmixi来たmixi。



mixiは、それら「胸の内にしまっておかれていた言葉」をオープンに出来る場所を提供した。mixiが存在していなければ書かれる事が無かったであろう文章が書かれ、mixiが存在していなければ誰にも知られる事が無かったであろう思いや出来事が語られた。mixiが存在していなければ存在すらしていなかった言葉が綴られて、他の誰かの目にとまる。




それらは「これまで存在していなかったコンテンツ」である。

その、これまで存在していなかったという希少価値が人々をひきつける。
オープン→オープンなブログとは違う、クローズド→オープンのくだらな面白さだ。
言うならばデイビットEケリー的青春白書ERな内側コンテンツだ。


ところが、人はそれら「これまで存在していなかったコンテンツ」にどっぷりと浸かり続けた結果、それに飽きる。いやー、人間とは単純なもので、目新しさを失ったら「あれ?mixiつまらなくない?」みたいなムードになる。

結果、一時どっぷりとハマりにハマっていたmixi中毒状態から抜け出し、適当にログイン、適当に読む、けれども、まあ、それなりに、という平時的状態へと推移し、並ミクサー化する。


その中毒を脱して並ミクサー化した人達は、これまで以上に脱力したありえない程にくだらない、以前であれば絶対にオープンにされる事の無かった内容の無いmixi日記を綴り、その「ありえないくらいに存在しえなかったくだらない」という、これまで存在していなかった意味不明な希少価値が新たなるmixi中毒者を生む。クロープンだ。クロープン連鎖だ。


馴れ合いだとか、顔写真だとか、足跡だとか、コミニティだとかそれ以前に「クローズドだったものをオープンにする機会を提供した」というのがmixi人気の根源だ。おそらく間違いない。





「mixiはオープンだったものをクローズドにした」は半ば間違っており、
「mixiはクローズドだったものをオープンにする機会を提供した」が正だ。


つまり、「オレはなんでもオープンだぜ」みたいに何から何まで書き散らすタイプの節操無きブロガーはmixiのオープンに有り難みを感じる事はまったく無くミクサーを馬鹿にする。

逆に、「ちょっとこれはエントリーにする程では」といった極めて日常的な雑感に恥ずかしさを感じるような乙女心にお淑やかなブロガーはmixiのオープンに有り難さを感じる、非常にmixiと相性のいいタイプの人間なのだ。






ミュージックバトンにも、同じようなクローズドだったものをオープンにする機会の提供、といったものを感じた。


世の中には「好きな音楽をブログに書き殴れるブロガー」と、
「好きな音楽はちょっと照れて書けないブロガー」が存在する。

後者の人々にとって、「この曲が一番のお気に入り!」などというエントリーは恥ずかしくてとてもじゃないけれど書けない事柄なのである。そういう人達にとってミュージックバトンという道具は免罪符であり、「クローズドだったものをオープンにする機会」である。

ミュージックバトンさえあれば、GLAYだろうかXJAPANだろうが安室奈美恵だろうがポルノグラフィティだろうが竹内まりやだろうが堂々と、「これが好きなんです!」と書くことが出来る。ミュージックバトン無しでは永遠にクローズドであったろうコンテンツがオープンとなり、ブログとブログを駆け巡った。






結局の所、世界はただ話がしたいだけな人々で満ちあふれている。
実に寂しい時代なのだ。

書きたいことは書けない。
書けないことは書きたい。

言いたいことは言えない。
言えないことは言いたい。

ポイゾン!






ニード ur ニーズ。