2005年8月12日金曜日
「おまえなんか、訳してやる!」即ちid:sugioは今すぐはてなから離脱するべきである。
「livedoorとは人が人として生きられない空間である」
言った。
「はてなとは人が人として生きられない空間である」
僕は言った。
人が人として生きられないとはどのような意味なのか。
それはもう、簡潔、にして単純即ち明快。
人が人として生きられぬのである。
ウェブ上で自分の生成した文章を言い値で投げうるという事、即ち投げ銭というものが何を意味しているのかは明らかだ。それは、人間の商品化、即ち人間の商品化である。
投げ銭というシステムを組み入れたその瞬間に、
人は投げ銭というシステムに組み入れられる。
全ての発言。
全ての言動。
全ての振る舞いが商品になるのだ。
そこには良心という良心など存在しない。
ただ、良心という商品があるだけである。
そこには馴れ合いという馴れ合いなど存在しない。
ただ、馴れ合いという商品があるだけである。
そこには言及リンクという言及リンクも存在しない。
ただ、言及リンクという商品があるだけである。
そこには愛という愛など存在しない。
ただ、愛という商品があるだけである。
そこには友情という友情など存在しない。
ただ、友情という商品があるだけである。
0983も、0181も、5963も。
ごめんなさいも、ありがとうも、頑張ってくださいも存在しない。
即ち、投げ銭とは人間の存在を許さないシステムなのである。
全てが商品化されてしまうのである。
1つのたとえ話、つまりifをしよう。
仮に、「おまえなんか、訳してやる!」というウェブサイトがあったとする。
そこにはid:sugioという人間がいて、「投げ銭はいらない」と言っていたとする。
ちゃんちゃら、おかしい。
何故か。
理由は簡単だ。
おまえはもう、商品だからだ。
商品即ち物の発言が言葉として尊重される事などありえないし、商品即ち粗大ゴミの発言が意思として敬意を払われる事など無い。払われるのは投げ銭のみだ。あらゆる意思、あらゆる発言、あらゆる言動、ありとあらゆるその全てが「NO」という声をも無視して言い値価格で投げ買われてゆく。ああ、なんと嘆かわしい。投げ買われる。嘆かわしい。投げ買われる!嘆かわしい!そう、実に。
21世紀という時代に待望され100億全人類に渇望されたおまえらを全て訳すというその単調にして途方もない大事業にたった1人で取り組むために立ち上がりその行為を通じて全宇宙の恒久平和と全ての悲しみが潰える事を願い悲しみ無き所に喜びなど無いという幾らかの人々の反論を完全に無視しきって突き進んだ正義の象徴即ち世界を救うウェブサイトとしてのおまえらなんか、訳してやる!の運営者としてのid:sugioは完全に死に息絶えた。
何故か?
答えは簡潔、にして単純即ち明快。
そこがはてなだったからだ。
id:sugioは死んだのではない。
殺されたのだ。
id:sugioの人間たる人間の強き意思と意思表示たるその思いは、何者かの匿名投げ銭送信により完全に踏みにじられて蹂躙された。殺されたのだ。投げ銭に。
そしてid:sugioは生まれ変わった。
蘇ったのだ。
商品として。
もう人間ではない。
id:sugioはかつては人間であった。
つまり人の心を思いやれる素晴らしい大人物であった。
ところが、どうだ。
それらは全てはてなにより失われた。
その人間を失った商品の典型的な症状が次の発言である。
「映画見れるよっ。」
見よ。この思いやりの欠片もない無神経な発言を。
まったくもって、sugioは死んだ。
仮にだ、これはifでありたとえばの話だ。
仮に、その匿名でポイントを送信した人間が一歩も部屋から出られぬような真性引き篭もりであったとしたらどうであろう。言うまでもなく「映画見られるよ」などと言われた真性引き篭もりhankakueisuuは酷く落ち込み意気消沈している可能性がある。映画見てキスしたり映画見てセックスしたり夕飯食べたりオムレツ焼いたりしたかったのに。それなのに。いや、無論、たとえばの話だ。sugioはその程度の想像力、即ち思いやりすら働かぬ人間ではなかったのに、なかったのにそうなってしまったというたとえばの話だ。
何故だ!
答えは簡潔、にして単純即ち明快。
そこがはてなだったからだ。
匿名という暴力の元で人間という人心を物品として扱い、商品として投げ買う何者かが「1000ポイントくらい手元に残しておけばいいか」などという適当な横暴により「0721」なるポイントを二度まで送り付け、それを「二重送信ミスですか?」などと挑発された事により瞬間沸騰激昂し今一度「0721」ポイントを送信しようとしたものの「残り300ポイント以下になる送信は出来ません」などとはてなに文句をつけられて意気消沈した男の気持ちがお前にわかるか!いや、わかるまい。わかるまい。即ち、id:sugioは人間ではない。id:sugioは人間ではない。
id:sugioは人間ではない。
即ち、id:sugioはid:sugioだ。
id:sugioの発言は尊重されず、id:sugioの思いは踏みにじられる。
id:sugioはもはや商品であるからして商品だ。即ち人間ではない。
苦しいかid:sugio?
苦しいだろう。
そうだろう。
悲しいかid:sugio?
悲しいだろう。
そうだろう。
悔しいかid:sugio?
悔しいだろう。
そうだろう。
その思いを踏みにじられ。
その主張は蹂躙された。
匿名という暴力に。
投げ売りの奔流に。
お前は売られたのだ。
橋の下で拾われた子だ。
生まれてきてはいけない子だ。
泣けid:sugio!
泣きたいだろう。
そうだろう。
叫べid:sugio!
叫びたいだろう。
そうだろう。
怒れid:sugio!
怒りたいだろう。
そうだろう。
かつて人間であったMr.sugio、いや、Sir.sugioは言った。
「私にとって読者とは金儲けの道具ではない。」
かつて人間であったMr.sugio、いや、Mrs.sugioは言った。
「僕達は友達じゃないか。友達からお金を受け取るなんて出来ない。」
かつて人間であったMr.sugio、いや、MMRは言った。
「な、なんだって~~~~!!」
即ち、sugioとは愛であった。
しかしid:sugioとは商品だ。
怒りを感じるか?
怒りを感じろ!
やるせなさを感じるか?
やるせなさを感じろ!
切なさを感じるか?
切なさを感じろ!
乳首はもっと感じるか?
全身で受け止めろ!
即ち、激昂しろ。
今すぐに激昂しろ。
そして蘇るのだ。
商品としてではなく、人間として。
はてなにFUCKを叩き付け、はてなのアカウントを削除する。
たったの、たったのそれだけでお前は人間に戻れる。
はてなの歯車、1つのゼンマイとして死ぬのか。
それとも、人間を取り戻し蘇り復活するのか。
2つに1つだ。
決断の時だ。
戦うのか。
戦わぬのか。
蘇るのか。
蘇らぬのか。
人か。
はてなか。
2つに1つ。
決断の時だ。
僕は戦う。
僕は蘇る。
僕は人だ。
人間が人間として生きられぬ空間を生み出したはてなという巨悪と戦う。
誇り高きブロックブロガーとして、ビルローパー信者として、戦うのだ。
即ち、僕は必ずはてなをぶっ壊す!
投げ銭いただかないアイコンを貼っているidというidの全てに嫌がらせの投げ銭を送り付け続ける運動を気持ちだけで何も行動したりはしないけど支援する。
100万はてなダイアラーがはてなから完全に解放されるその日まで戦う。
100万はてなアンテナーをはてなから完全に解放するその日まで戦う。
そして、全人類にブロックブログがもたらされるその日まで戦う。
全人類に頭を抱える山盛りのバグとマリリン萌えが合い言葉だ。
既に、2人の同士がはてなを離脱してブロックブログ陣営に加わりはてなをぶっ潰す為に共に戦い立ち上がることを確約しはせ参じてくれた。その2名とは同士bmpと同士松永英明である。そう、もはや今や正にはてなは空前の灯火息も絶え絶え砂の船だ。
我々は天地天命に誓ってはてなをぶっ潰す。
即ち、我々が朽ち果てるかはてなが朽ち果てるかだ。
真性引き篭もりhankakueisuuがぶっ壊れるかはてながぶっ壊れるかだ。
真性引き篭もりhankakueisuuが死ぬか、はてなが死ぬかだ。
真性引き篭もりhankakueisuu死すともはてなは死せずだ。
泣く!
呻く!
藻掻く!
苦しむ!
悶絶する!
のたうち回る!
即ち、人間である。