2007年7月19日木曜日

おはよう幻想



ひとこと朝宣言というウェブサービスを知った。

毎朝、今日一日をどう過ごしたいかを入力し、それを繰り返せば「いきいき♪」と過ごせるらしい。ただそのウェブサービスを利用するだけで、人が、人間が、いきいきとした毎日を過ごせるようになる。実に素晴らしいではないか。まったくもって、素晴らしいウェブサービスだと思った。常日頃から、思わず音符が飛び出るような生き生きし日々を過ごしたいと思い続けている僕にとっては、福音のように思われた。インターネットの彼方から差し伸べられた救いの手であるように思われた。これは正しく世界で一人、僕のためだけに生まれ作られたウェブサービスであると思った。是が非でも利用せねばならぬと思った。しかし生憎の夜であり、ひとこと朝宣言を利用するには、朝を待たねばならなかった。

太陽は常に残酷である。明日の朝には汽車で上京せねばならぬ先輩と、うららかに饐えた布団の上で「夜よ永遠に続け」と願いながら抱き合い続けたあの日には、脱兎の如く地平線を抜け出した太陽が、今日に限って出て来ずに、頑な日の出を拒否して眠る。待てども待てども朝は来ない。地平線の彼方奥底眠ったままである。悲しくなった。泣きたくなった。黒点1つ吹き消したことすらないのに、どうしてこんなに冷たくされるのかわからなかった。僕が鈍感なだけかな?とも思い、懸命に考えてみたけれど、こんな理不尽な仕打ちを受ける理由は一つも思い浮かばなかった。生まれてこの方悪いことなんて何一つした覚えの無い僕をこれ程までに虐げる太陽という生き物は、きっと悪い奴なのだという思いが芽生え、育っていった。そしてそれはやがて確信へと変わるのだ。

まどろみもせず、朝を待った。待ち続けた。期待で胸が高まったが、僕に出来ることは何一つ無かった。こればかりは、ただ待つしかなかった。この夜が終われば、僕は救われるのだ。ひとこと朝宣言という1つの偉大なウェブサービスにより、汗と涙にまみれるばかりであった僕の人生はいきいきと輝き出すのだ。興奮していた。感動すら覚えた。これまでの僕の日常は、全て明日の朝という1つの奇跡を迎えるための序章だったのだと理解した。今日までの僕の苦悩は、本当の僕の人生が幕を開けるに必要な1つの生誕を迎えるための産みの苦しみだったのだ。それは必要にして不可欠な物だったのだと思った。そう考えると、何かがすうっと楽になった。苦しみは必然であったのだ。息を止め遠のく意識の中で藻掻き苦しむだけの日々も今夜で最後なのだ。明日からはバサロから飛び出した鈴木大地のようにぐんぐんと加速し、いきいきとした刺激的で甘くカラフルな日々を過ごすことになるのだ。そう思うと、冷たく当たる太陽ですら、僕には暖かく感じた。「奴は小さい」と思った。けれども、僕は彼を見下したりはしなかった。仕方のないことなのだ。太陽は小さく、僕は大きい。紛れもない事実である。けれどもその責任を太陽に押しつけるのは間違いである。太陽が悪いわけではない。彼がどれだけ努力したところで、決して僕の手中にある偉大でいきいきとした日々は手に入れられぬのだ。太陽は哀れで、太陽は惨めだ。無論それは、僕と比較すればの話である。生まれ持った星が違いすぎるのである。

興奮を覚えた。坩堝であった。脈打ち、高鳴り、目は血走った。魂の震えが流れ伝わり共鳴し、北アラビアを震撼させた。もはや僕は王の中野王、ナムコもびっくりキングオブキングスである。漢字で書くと中大兄。「間違っている」と思った。けれども、何が間違っているのかはわからなかった。「誤り」は表面化しない限り「正しさ」で在り続けるのだ。そうなる前に走り抜けようと思った。何もかもが見えなくなるまで。

気がついたら、真上にあった。唇を引き千切り前歯で噛んだ。血の味がした。朝は過ぎ去りもはや過去だった。初めて味わう挫折である。昼である。失敗した、と思った。堪え忍ぶだけの日々も今夜で最後なのだと思うと、何故かとてもせつない気分になり、僕を苦しませた全てのウェブサイトやら、僕を苦しませた全てのメールやブログにつけられたコメントやらを、ぼんやりと郷愁の中で読み耽ったのが間違いであった。そんなくだらない物に捕らわれて、いきいき♪をみすみす逃してしまった自分自身に腹が立った。情けなくなった。反省した。猛省を促され、猛省した。このような失敗はもう二度としてはならないと思った。

次の朝こそは、必ず、ひとこと朝宣言をせねばならぬと思った。絶対にやらねばならぬと思った。辛いだけの日々にはうんざりなのである。終わらせねばならぬのだ。今すぐにでも、いきいきとした僕自身に生まれ変わらねば、僕はもうやっていけないのだ。けれども、朝は、まだ遠かった。泣きそうになったけれども、泣いたところで誰も僕を助けてなんてくれないとわかっていたから、泣かなかった。仮に僕が、かわいい幼女で、濁った空気のこの部屋が、もしも郊外型スーパーマーケットだったならば、僕だって泣いただろう。わんわんと、声を上げて泣いただろう。けれども僕は強い子だから、涙なんて流さなかった。歯を食いしばり、ただ耐えた。

残酷であった。昨日がそうであったように、そして一昨日もそうであったのと同じように、残酷であった。いや、それにも増して残酷であった。そしてそれは刻一刻と残酷さを増していった。荒野に張り巡らされた出口の存在しない全長二キロの蟻の巣の中を手探り蟻酸に脅えながら這いずり続るだけの日々ですら、今では天国であったかのように思えた。今、この瞬間、確かにここに存在していたはずの「いきいき」が存在せぬという重く痛ましい現実が僕を痛めつけた。昼はオスロにも増して長く、延々と照った。蝉一番が鳴き吹いて、僕は音無く泣き濡れた。狂ってしまいそうだった。のっぺりとした昼が延々続き、朝はどこにも無かった。希望の朝は来なかった。

今日という日に朝は存在しなかったのだ。疑う余地はなかった。歴史上初めて朝の存在しない一日を僕は生きていた。長い人類の歴史の中でも、おそらく僕が初めてだろう。他の誰にも解らない、前人未踏の苦しみである。常に僕を虐げてきたあの太陽のくだらない嫉妬が、今日という革命記念日となるはずだった一日から朝を奪ったのだ。許せない。許してはならない。このような横暴は二度と許してなるものかと強く思って堅く握った。

太陽を注視し、監視し、支配下に置き、一切の誤魔化しを許さず、次に地平から顔をのぞかせたその瞬間を虫取り網で刹那捉えねばならぬ。そして、いきいきを我が物とせねばならぬ。もはや限界なのだ。リミットなのだ僕はもう。今にもあふれ出さんばかりなのである。ここで、油断して、「朝は何度でも訪れる」などと思ったら負けである。チャンスは二度と来ない。次の朝を逃したら世界は終わりである。そのような心持ちで、全身全霊を注ぎ来ねば、きっと僕は太陽に敗れ去る。何しろ相手は百戦錬磨、100億兆個の葉緑素と徒党を組んだ、手練手管の悪党である。生半可な心持ちで挑んでは勝ち目がない。入念に準備し、待ちかまえ、罠にはめて、全てを奪わねばならぬ。朝を捉えたその瞬間に、ひとこと朝宣言を書かねばならぬ。一秒でも早く。もはや一秒の猶予もない。

しかし、事態は悪化の一途を辿り続けた。夜は未だ訪れず、朝は遙かその彼方だった。夏の暑さとインターネットが僕から命を奪っていった。上唇と下唇を、結ぶ力すら失われていた。暑さのせいでへたっているだけなのに、まるで何か自らが堕落した人間であるかのように思えてしまい、悲しくなった。インターネットがつまらなかった。つまらない理由ははっきりしていた。真性引き篭もりが更新されていなかったからだ。あの朝さえ捉えていれば、今頃僕はもう既に、カルタゴくらいは滅ぼせていたのに。悔しかった。悲しくもあった。失われた朝は戻らなかった。

そして、夜を待った。夢も希望もない夜を待った。それでも、やむなく、夜を待った。長い長い昼の間中、僕は夜を待ち続けた。本来ならば朝を待つべきなのだ、ということは頭では理解していた。それでも、僕は朝を待てなかった。昼はあまりに長すぎて、朝はあまりに遠すぎた。二百海里に存在しない、遙か彼方の朝を待つなど、非現実的なものだあった。故に僕は、まず夜を待ったが夜は遂に訪れず、やむなく僕は、夕方を待った。待ちも望みもせぬ夕方を、不本意ながら待ち侘びた。それでも未だ、昼だった。朝は来ず、夜は来ず、夕方は来ず、ありふれ見慣れた失望だけがあった。ただそれは、昨日までより、より悪かった。

とりあえず、眠ろうと思った。眠らねばならぬと思った。体力を回復し、英気を養い、朝に備えねばならぬと思った。元々そんなに頑丈な方ではないのだ。休養を取らねばならぬと思った。あの朝さえ捉えていれば、筋骨隆々だったのだけれど、朝を逃した僕は弱かった。軟弱であり、意志薄弱ですらあった。PCの電源を落とす力すら持てぬまま、椅子から床へと崩れ落ちた。幸いにして冬は過ぎ、寒くて眠れぬおそれは無かった。暑くて眠れぬ現実があった。

朝、宣言、朝、宣言。ひとこと。ひとこと。
それは困難な課題であった。

<今日一日の理想的な過ごし方を思い浮かべて>
<「そうしよう!」と自分自身で宣言する!>
<それだけで、毎日が、いきいきと楽しく弾みだす!>
<一日一分で出来る魔法のツール!>

「そんな無茶な」と思う暇もなく、「そんなの無理だ」と、僕は思った。理想的な過ごし方を思い浮かべる、などと言われても、僕にはとてもではないがそんなこと、出来そうになかった。それどころか、理想的ではない過ごし方すら思い浮かべられそうになかった。揺るぎない鋼鉄の壁があるだけだった。僕の人生からは、理想はおろか、現実すら全て失われた後だった。目尻が埃を吸い寄せて、繭のようになり落ちた。やるしかない、と僕は思った。朝を捉え、60秒で、理想的な過ごし方を宣言する。そしていきいきするのだ。楽しくするのだ。弾むのだ。魔法の力で空を飛ぶのだ。

今はまだ空を飛べない僕は横たわったままで空飛ぶ自分を思い浮かべながら、理想の一日を探して歩いた。目が覚めて、ひとこと朝宣言を書いて、ブログを書いて、ブログを書いて、ブログを書いて、ブログを書く。いや、それでは駄目だ。理想からはほど遠い。一日に4エントリーというのは理想的ではない。いくらなんでも多すぎる。更新頻度的に高すぎる。そんなに書いてしまったら、この僕ですら読み切れぬ。起きて、ひとこと朝宣言を書いて、ブログを書いて、ブログを書く。

ちょっと待て、と呼び止められた。「ブログを書く、だって?」。確かに、その通りだった。果てしなく続く草案リストの中から一体どれを選んで、どんな風に書き上げればいいのだ。そんなに簡単にブログを書けるならば、ずっと昼でも平気だし、ずっと眠れなくても平気だし、ずっと一人でも平気だ。そんなに簡単に、ブログを書けるならば、僕は朝をまったりなんかしない。そんなに簡単に、ブログを書けぬから、僕は夜を待っているんじゃないか。

いや、だからこそ、明日は、必ず、書かねばならぬと僕は思った。暑さと頭痛でくたばりながら目を閉じて、エントリーの断片をつなぎ合わせ、フレーズを拾い集め、並べ替え、構文を作り、書き出しを何度も練り直し、それを2エントリー分それぞれやって、また戻って、繰り返し、目が覚めたら忘れてしまっていたという事のないように何度も何度も念入りに唱えていると、うまく書けぬのではないかという不安ばかりが増大して、てんで眠れず、朝がきて、スリープしたPCの電源をONにする気力体力もはや無く、インターネットは遠すぎて、あっという間に過ぎ去りうなじの上に輝く太陽。それでも、まだ、次の朝にならば間に合うのではないかという希望をうまく捨てられず、ようやくにして目を閉じたらば、即夢精して一日寝込むワンパターン憔悴。それでも未だ捨てきれず、眠りさえすれば朝さえ来れば、僕は救われるんだって、唱えて念じて目を閉じる。おはよう、幻想、おはよう幻想。