男は苦痛でしか物事を覚えておけない。女は甘さでしか物事を覚えておけない。



窓の隙間から冬の冷たさが差し込んできて、肌を刺してから包みこみ、僕は丸くなり耳をふさいだ。前にもこんな事があったような気がする。いや、確かにあった。何度もあった。

遠い昔に過ぎ去った、忘れきっていた思い出が、冬の寒さに引き摺られ、次から次へと蘇っては精神を蝕んでいく様子を、何も出来ずにぼんやりと見ていた。

「男は苦痛でしか物事を覚えておけない。女は甘さでしか物事を覚えておけない。」そんなでたらめのフレーズが頭に浮かび、男は損な生き物だと、身勝手に思った。論点の挿げ替えはいつもこんな風にして行われる。"男は"ではなく、"僕は"だ。




どうして、僕は、痛みでしか物事を覚えておけないのだろう。

夏の暑さにへたばる度に、冬の寒さに凍える度に、あるいは左の足首が痛む度に、頭痛が右へと突き抜ける度に、いろいろな事を思い出す。辛くて人前で泣いた日のこと、苦しくて泣きながら歩いた日のこと、人知れず泣いた夜のこと、歯を食いしばって耐えた日のこと、頭の中を空っぽにして心を殺して凌いだ日のこと。痛みを感じる度に、苦しみを味わう度に、鈴なりになった苦痛の束が、次から次へと引き揚げられる。おかしい。そんなはずはない。




僕は決して、今日まで苦痛だけの人生を歩んできたわけではない。

楽しかった事もある。嬉しいことだってあった。喜びで心がとろけそうになったこと、幸せで両肺に目一杯空気を吸い込んだこと、期待で胸が高鳴り思わず目を閉じ寝転がったこと、くだらない夢を思い描いて満たされ頬が弛んだこと。僕にだって、そんな日があったのだ。一度ならず。二度ならず。

そりゃあ、人並みとは言えないかも知れない。世間様から比べれば、取り立てて喜ぶ程のものではない、些細なことだったのかもしれない。けれども、僕にだってあったのだ。確かにあったのだ。嬉しかったこと、楽しかったこと、喜んだこと、幸せだったこと。なのに、それらは顧みられない。冬の寒さに引き摺り出され、思い出される事なんて無い。思い出されるのは、苦しみばかりだ。痛みばかりだ。




どうして、甘さは苦痛と同じように思い出されないのだろうか。

人生を彩ってきたはずの、貴重な貴重な甘美さは、記憶の中から抹消され、置き去りにされているのだろうか。どうして、苦痛と同じように思い出されはしないのだろうか。僕は思い出を1つ1つ辿った。楽しかったこと、嬉しかった出来事、自分は幸せ者だと思った日のこと。幸福感に満たされた記憶を一つずつ、それぞれ慎重に思い出してみた。そうすると、解ったことがあった。




僕の幸福感は全て、苦痛から逃げ出した先での出来事だ。

楽しさだけではない。嬉しさや、喜びや、ときめき。それらは全て、痛みや苦しみから逃避し、逃げ出した先での出来事だ。僕の幸福感は皆、苦痛の副産物でしかなかったのだ。苦痛から逃げ出しても、苦痛は消えない。それどころか、逃げれば逃げるほど、遠ざかれば遠ざかるほど、苦しみや痛みは増長し、青粉や赤潮のように育ち、広がり、辺りにこびりつき、そして一面を埋め尽くす。

嬉しかった記憶や楽しかった思い出はどれも、手の施しようのないまでに巨大化してしまった苦しみや痛みから逃げ出し、それに背を向けて見て見ぬふりをして作られた、砂上の幸福感だったのだ。僕の人生を彩ってきた、幸せな思い出の大きさは、逃避元の苦痛の規模に、見事なまでに比例する。

故に、嬉しかった記憶や楽しかった記憶を思い出せば思い出す程に、辿れば辿るほどに、逃げ場のない苦しさや、辛さばかりを、まるで今朝の出来事のようにまざまざと見せつけられてしまう。

記憶の奥底に土を重ねて葬られた、幸福の記憶が何かのミスで思い出されてしまう度に、その床下から湧き出してくる、底なしの生きた苦痛の汚泥が、僕を地中へと引きずり込んで行く。いや、僕を地上へと引き摺り出して行く。逃避し続けてきた現実へと。




幸福を感じたという事実を思い出すことすら、僕にはもはや苦痛でしかない。

当然の報いなのだろう。天罰なのだろう。何の報いかはよくわからないが、何の罰なのかはなんとなくわかる。言葉にまでは出来ないが、なんとなくわかる。それはおそらく、僕が楽しさや、嬉しさ、喜びといった正の感情を、自らの都合の為に悪用した事に対する罰なのだろう。本来、楽しさや、嬉しさ、喜びといった正の感情は、それを心から願い、それを心から求めるものにこそ相応しいものだ。苦しみから逃れたいという利己的な、自分都合の一心で、幸福という正の感情を利用した、僕に対する天罰なのだ。当然の報いなのだ。




僕は楽しさを求めていた。喜びを求めていた。幸福を求めていた。
けれども、それらは、全て嘘だったのだ。大嘘だったのだ。偽りだったのだ。

ただ、苦しみから、痛みから、逃げようとしていただけだったのだ。
楽しさを求めたことも、喜びを求めた事も、実は一度も無かったのだ。

苦痛から逃れたい一心で、偽の感情を、幸福を追求するという偽の感情を自ら捏造していただけだったのだ。幸せになりたいと思った事など、ただの1度もなかったのだ。幸福を願ったことなど、生まれてこのかた無かったのだ。僕はただ、臆病に逃げ出した卑怯者だ。逃げていただけなのだ。

楽しさは楽しさを望む人が、喜びは喜びを求める人が手にするべきだ。幸せは幸せを願う人にこそ相応しい。自らの幸福をただの一度も願ったことの無い人間は幸福に値しない。一生そしりを受けて死ね。おまえにはそれがお似合いだろう。