もう何も考えられない



歩くには地面と足と水と飯が必要なように、考えるにも何かが必要である。空気のように水のように、当然のこととして考えながら生きてきた自分がそれに気がつくには、考えられなくなるのを待つ必要があった。そしてそれに気がついた時にはもう手遅れなのだ。僕はもう何一つ考える事すら出来ない。どんなくだらない事ですら、僕には困難すぎてその糸口にも辿り着けない。

同じように思うにも、感じるにも、働くにも、生きるにも、その成立の為には様々幾多の最低条件が存在しており、たいていの人は皆それらを当たり前のように所持している。失った時にはもう手遅れで、何を失ったのかすらも理解は出来ない。キーボードと、モニタと、初夏のけだるい暑さと。僕にはあと何が残っているんだ。たとえばテレビが無くなって何が困るんだ。たとえばパソコンが無くなって何が困るんだ。考えられなくなって何が困るんだ。ブログを書けなくなって何が困るんだ。何の問題がある。4月が来れば暖かくなり5月が来れば暑くなる。何も変わらないじゃないか。

もう僕は既に一生分考えたし、一生分楽しんだ。一生分のいい思いもしたし一生分の我が儘も言った。一生分はおろか十生分のDOTA allstarsもした。一生分のブログを書いた。一日、一日過ぎる度に昨日までは確かにあったいろんな物がぽつり、ぽつりと失われて行くけれど、もう十分だよと思うばかりで惜しくもなければ焦りもしない。