失敗に終わった一昨日から

"おとつい"と読んでもらいたい「一昨日」を"いっさくじつ"と読まれてはしまわぬかと心配になる。歩くという字をも書き間違えてしまう、まるで筆盲の人間がIMEに振り回されて心か細さを募らせるのはなんとも滑稽である。それよりもさらに滑稽な、失敗に終わった一昨日を振り返りたい。

一昨日に僕が志したのは、1日インターネットをせずに居ようという事と、それにより生まれた時間を利用して積み重なった幾つかの事を片付けてしまおうというこという事であり、今更言うまでもなく双方共に失敗に終わった。起きて、PCの電源を入れずに座って、床に降りて、もう一度横になった。

「片付けてしまえること」など何一つ存在せず、「片付けようのないこと」だけがこの身の上に積み重なっていた。机の上を少し片付けようとか、隙を見て掃除機をかけようかなどと思いはした。思う所までは行ったものの、その類の「片付ける」と事前に考えていた「片付ける」との間には決して埋められない溝があり、そのあまりの差に僕の気高い一昨日は醜くしぼんで萎えてしまった。

そうして訪れた何時にも増して失意の濃い日はやり場の無さと動揺だけを我が身に残し、眠ろうにも眠れず、起きようにも起きれぬ長い長い延長された一日の末にやっと無理矢理眠ったはよいが即頭痛。頭が痛いで一日が過ぎ、頭痛が去った後のちょっとしたほんの小さな全能感だけが残った。つまり、何も残らなかった。

反省すべき点は有る。過ちも認識している。どうすべきだったかもわかっている。けれどもそれらは全て一昨日よりも前に起こった出来事であり、一昨日とそれに続く丸一日の失敗は、一昨日をもってして尚、上を向いて歩こうとしたわたくしの、健気というにはあまりにも愚かな心に対する報いである。