昨日から頑張るとか、今日から頑張るとか、明日から頑張る、といった事をたびたび思い立つ。それらは一度として、成し遂げられるでもなく、挫折するでもなく、全て有耶無耶に消え去って行く。自分にとって頑張るという事がどういう事なのか、そして頑張りそこねるという事がどういう事なのかも理解出来ないままで、適当に薄れて行く。あるいは先延ばしされていく。
今の僕にとって頑張るとは何か。
それは別に「今の僕」に限った事ではなく、DOTA allstarsを止めねばならぬとブログを書き始めたその日から変わっていない。僕にとって頑張るとは止める事なのだ。たとえば、一昨日思った「明日から頑張る」そして昨日思った「今日から頑張る」という事は、具合が悪くなってもそれをブログに書かない、というだけの決意だったように思える。そんなくだらない決心に、「頑張る」などという大それた言葉を使う自分に情けなさを覚える。ブログは健全で健康的であるべきだと、心のどこかで信じ続けており、そこから乖離する自らのブログに我慢がならなかったのだろう。そして頑張ろうと思ったのだろう。
そして頑張ろうと決めたその日に体調を崩す我が身に辟易する。
それ自体は気節の変わり目の冷え込みから来るただの風邪だから、「お大事に」とすら思わない位に無関心なのだけれど、首から上も首から下も痛くなってしんどくなって、寝たり座ったりしてただただ時間を無駄に過していると、頭の左側で右側で、細胞やら感情やら心やらあるいは文章といった多種多様なものがプチプチと音を立ててはじけ飛んでいくのが聞こえる。痛みや苦しみに耐えかねて、毎秒毎秒はじけ飛び、死んでいくのが聞こえる。はじめは左胸で鳴っていた心臓の音が、右の痛みと左の痛みに共鳴して、一拍で3度聞こえるようになる。血も、涙も、骨も、肉も、3倍の速度で死んでいく。心が死ぬ。夢が死ぬ。目標が死ぬ。未来が死ぬ。大好きな人も死んでしまう。なのに僕だけは生きており、頑張ろう頑張ろうと健気に思う。頑張らねば、頑張らねば