殺せ、殺せ、死んだブログは皆殺せ。

命の有るブログは面白い。そこでは命が踊っている。喜びが踊る。悲しみが踊る。憤りも踊る。そして何よりも情熱が、生きているブログでは踊っている。生きているブログは面白い。魂なんて言葉を使う柄じゃあないけれど、命の有るブログには魂がある。人々は命をコンテンツとして消費し、ブロガーは命をコンテンツとして提供する。そして命はいつか尽きる。魂も失われる。


僕達は生きている。この世界を生きている。毎日何かを食べて、毎日何かを吐き出す。太古より続く同じ営み。その営みと同じように、人々はブログを書いている。その営みを続ける為に、人々はブログを書いている。ブログを書きたくて、書かざるを得なくて、止め処なく溢れる踊る命をどうしようもなくて、それがブログとして解き放たれる。そんなブログはもう見ない。どこを探しても滅多と見ない。息を吐くようにブログを書いて、稼いだお金で天丼を食べる。インターネットのRSSで、僕等が目にしているのは魂の行列じゃあない。かつては太陽お日様輝く、命が確かに通っていた、木の葉を持った蟻の行列。


誰かを喜ばす為。誰かを馬鹿にする為。誰かを満たす為。そしてなによりも、自分自身の満足の為。そんなくだらない目的の為に、みんなブログを書いている。プリンストン大学のジャックスオルソンによると、人の幸せは人間関係によって左右されるという。ブログを書いて人に褒められる。ブログを書いて誰かに認められる。幸せになる。小さな満足を得る。充足した人生を得る。そんなくだらない目的の為に、みんなブログを書いている。


僕等がインターネットだと思い込んでいるものは、インターネットなんかじゃない。インターネットの死体だ。ブログだと信じているものは、ブログじゃない。ブログの死体だ。腐らず、消えず、蠅も湧かず、土に返ることなく残り続ける死体。そればかりか増える死体、増す死体、死体また死体の死体の山。かき分けてもかき分けても、命の輝きは見つからない。通りを埋め尽くし、階段を埋め尽くし、メトロを埋め尽くし、山も海も埋め尽くす死体。山、山、そのまた山。海の向こうのカルフォルニアも、シンガポールもベトナムも、死体の山で埋め尽くされる。踊る命は見あたらない。


殺すべきだ。死んだブログは殺すべきだ。この世界を醜く覆い、人々の視界を遮るブログ。命の無いブログ。魂の無いブログ。踊らないブログ。みな、殺すべきだ。踊る命によって着手されたブログであっても、滾る魂によって書き始められたブログであっても、途中で死んでしまったならば、そんなブログは殺すべきだ。投稿されるべきではないし、継続されるべきではない。世界を清浄化し、空気を良くし、視界を良くし、踊る命を探す人の手に、踊る命が行き渡る。そんな当たり前の健全さを、僕等は取り戻さなければならない。


殺せ、殺せ、死んだブログは皆殺せ。失敗に終わったブログは皆殺せ。草案が不確かになった時点で、計画が狂った時点で、当初の予定が違った時点で、そんなブログは皆殺せ。責任を持ってきちんと殺せ。 この世界から排除しろ。魂の期待に応えられなくなった時点で、情熱が死んでしまった時点で、心が躍らなくなった時点で、なんの迷いもなく殺せ。殺せ、殺せ、失敗に終わったブログは殺せ。死んだブログは皆殺せ。 死んだ人を殺せ。失敗に終わった人間を殺せ。責任を持ってその手で殺せ。