2018年4月25日水曜日

わたしには夢がある。

夢を叶える為に努力をするのは素晴らしいことだと思い込んで生きてきた。それ故に夢を持たない自分自身を好きになれなかったし、夢のために努力をしない自分が嫌いだった。その困難さや複雑さこそ違えど、誰にでも夢があって、いつか夢が叶えばいいなと願いながら生きている。それが人間なのだろうと思っていた。人っていうのは、そういうものだと。だからこそその範疇に居ない自分自身は、不完全で人に満たない出来損ないの人間なのだろうと思っていた。ふと、自分には壮大な夢があることに気がついた。私には夢がある。そして僕は困ってしまった。果たして僕は夢を叶えるべきか。夢を叶える為に一心不乱の努力をすべきか。それとも、夢を鼻で笑い小馬鹿にし、「そんなものは夢のうちには入らない」などと嘲るべきか。

この世界は否定する言葉で溢れている。誰かが夢を語ればそれを鼻で笑い、そんなものは夢のうちには入らない、それは社会では妄想というんだと叩きつぶされる。誰かが努力を誇ればそんなものは努力のうちには入らない、俺がおまえくらいの歳のころには、と雄弁に語り出す。僕が果たしてするべき事は、それらと同じように自らの夢を鼻で笑い、はなから否定することなのだろうか。それとも、一心不乱に夢の実現の為にあくなき努力を続ける事なのだろうか。

夢を叶えれば世界は変わる。当たり前の事だ。どのような些細で小さな夢も、それが叶えば世界が変わる。何も変わらず全てが永遠に変わらないであって欲しいという夢すらも、もしも叶ったならば世界が変わる。夢なんて叶えなくたって、あなたの世界は変わっていく。そして、夢を叶えれば世界は変わる。多くの場合は、劇的に変わるだろう。少なくとも、夢を叶えないという生き方を選択した場合よりも、遙かに満たされた人生が待っている。

漠然と、夢を追いかけないという生き方に憧れる。夢を追いかけないことで、夢は永遠に夢のままで維持される。わたしには夢があると、永遠に語り続けられる。それだけで満たされるならば、それでいいとおもう。それだけで生きていけるならば、それでいいと思う。世界には、そういう人が大勢居る。夢を追いかけなくても生きていける人達。けれども僕は彼等とは違う。生きていける見込みも無いし、生きていくつもりもない。夢を追いかけないという選択をとる余地はない。わたしには夢がある。必ず叶えてみせる。その為に努力を、一切の言い訳をせぬ、不断の努力を。