2019年2月19日火曜日

糞リプが横行するインターネットに言論の自由はありません。

喉を凄まじい勢いで、飛び出していく空気の音が、コホコホと乾いた音をたてるその響きに、自らの年齢が石川啄木を通り過ぎたことを知りますが、咳をしても一人と詠んだのは石川啄木ではありませんし、その句を詠んだ人物が、幾つで死んだのかも知りません。今ではgoogleの門を叩けば知れぬことなどないのですが、僕には知るつもりがありません。インターネットで物事を一つ調べて知る度に、かなしみが一つまた増えるのです。

喜びに満ち溢れた人生を生きている人物にとっての人生がそうであるように、何かに満ち溢れた日常を生きている人にとってのインターネットは福音なのでしょう。けれども僕には違います。そもそも、とわたしはその憤りをインターネットにぶつけたくなります。そもそも、わたしが風邪をひき、あまりに咳き込みすぎたが故に胸まで痛くなったのは、インターネットのせいなのです。インターネットを少し除けば、走れば頭が良くなるだとか、今日も走って気持ちよかっただとか、そういったでたらめな話が転がっているせいで、自分も走ってみようかなどと、寒空吹きすさぶ中を、無理して走ってしまったが為、わたしは風邪を引いたのです。

それとて、はじめはよいことでした。何故ならば、誰一人として知る者の存在しない人生において、咳をするのは楽しいものです。咳をしたいなと思い、喉に不思議な違和感を感じ、それがやがては止め戸をやぶり、勢いよくコホウ、コホウと放たれるのは、まるで斬新な体感型のビデオゲームのようなものであり、僕もはじめはその快楽に、一人酔いしれていたのです。それがコホウを通り過ぎ、ゲホウという音に変わっても、たいした違いはありません。わたしが咳き込むその音を、耳にする人はおらぬのです。

人は、誰かの咳の音を、不愉快に思うように出来ています。誰かが咳き込む音を聞き、「ああ、これは愉快だな、もっと聞いてみたいな」と思うような人々は、遠い昔に死に絶えたのです。人類の歴史は疫病の歴史。ありとあらゆるウイルスが、人を咳き込ませ殺してきました。その事実を思い起こせば、僕が咳き込む快楽に、酔いしれるのは自然なことです。わたしは今も懸命に、誰かを殺そうとしているのです。一人でも多くの人に向け、死ね、死ね、と懸命に、一人でも多くの人間を、殺す為懸命に生きているのです。それはたとえばShroudが、カナダのどこかの僻地から、世界中の人々に向け、7ミリ弾をばらまいて、一人でも多くの人を殺そうと、しているのと同じ動作なのです。ちょうど偶然目に付いた、見知らぬ人を片っ端から殺していくという快楽に、僕等は取り憑かれているのです。

果たして、ウイルスというものは、本当にそのようなことをするのでしょうか。咳というものは、ウイルス自身が自らを、空気感染させるべく、人を操り手玉にとって、ゲホウ、ゲホウと凄まじい、勢いと共に同胞を、空気中へと飛び出させているのでしょうか。僕は知りません。けれどもウイルスの世界にも、わたくしたちの毎日と同じような淘汰というものが存在するならば、人を咳き込ませるウイルスは、咳き込ませぬウイルスよりも、きっと優秀なものであり、それ故に今日も空気の中を、飛び交い続けているのでしょう。

だとすれば、全ては空虚なものです。死ね、死ね、と懸命に、胸を痛めて咳き込んで、ウイルスを世界中へとばらまいても、それは僕の心ではなく、ウイルスの心に過ぎぬのです。この快楽は嘘だったのです。ゲホウ、ゲホウと咳き込む度に、何か少しの充足感を、手にした僕は嘘だったのです。気がつけば頭が重くなり、咳だけでは済まなくなってきました。ぼんやりと頭が重くなり、痛みとだるさがわき上がり、果ては気分も落ち込みます。もう快楽はありません。咳き込む度に少しばかりのクッキーが焼けるような充足感を、伴った快楽はありません。ただ苦しいだけです。咳き込みすぎて胸も痛みます。

その苦しさにわたくしは、思わず「頭が痛い」とtwitterに書き込んでしまいました。決して弱音を吐かない前向きな人生を送ってきた私が、自らの気分とインターネットを、ウイルスごときに乗っ取られ、思わず「頭が痛い」と漏らしたのです。すると、糞リプがつきました。「頭痛薬のお世話になるのです」これです。インターネットという場所は、頭が痛いと言う自由すら、存在しない場所なのです。あの頃の自由なインターネットとは違い、弱音を吐くことすら許されません。もしも弱音を吐いてしまうと、広い世界の見知らぬ誰かが、人畜無害な優しさを、手当たり次第に投げかけてきます。2019年、インターネットは暴力に支配される世界になってしまいました。私達にとって優しさは暴力であり、言論弾圧の道具なのです。やさしさが飛び交うインターネットは僕等にとって呼吸も出来ぬ場所であり、息を詰まらせた僕達は、インターネットの外側に向け、ゲホウ、ゲホウと咳き込むのです。咳を為るリアルはあるけれど、弱音を吐く場所はありません。やさしさが横行するインターネットに言論の自由はありません。