2019年3月11日月曜日

乳首から稲妻を放つ男 vs 力道山。

力を手に入れた。乳首から稲妻を放つ力である。無論のこと、望んで手に入れたものではない。不幸せが必然である一方で、幸福は偶然によってもたらされる。同じように無力さというものが必然である一方で、力は偶然によってもたらされるのである。よって、この力は偶然の産物である。当然である。一体誰が、乳首から稲妻を放つ力などという、一見するとくだらない、そして得体の知れない謎の力を、自ら望んで手に入れようか。

乳首から稲妻を放つ力を手に入れた今、僕が思い出すのは力道山である。力道山は空手チョップを繰り返す事で世界中の大男を悉く、意図も容易く薙ぎ倒す力を手に入れながら、寿司を喰らってサイダーを飲む事によって死んだ。それが寿司によるものなのか、サイダーによるものなのかは今も議論の絶えないところであるが、全てを薙ぎ倒す空手チョップという、まるで夢のような唯一にして絶対なる力を手に入れながら、寿司だとか、サイダーだとか、そういうありふれたくだらないものによってその命を絶たれたのである。

ならば、と僕は思う。今の僕ならば力道山にも勝てるのではないか。何しろ、僕は、乳首から稲妻を放つ能力を手に入れたのである。確かに、乳首から放たれる稲妻というものは、全てを薙ぎ倒す空手チョップと比較すれば若干弱い。稲妻は所詮稲妻である。稲妻は雷光だけを網膜に残し、一瞬で消えて失われる。一方で空手チョップを喰らったその痕跡は、向こう二晩は消えぬであろう。空手チョップとは、それほどの威力である。やはり分が悪い。冷静に考えれば、僕は力道山には勝てぬやもしれぬ。

けれどもサイダーはそれを成した。稲妻が一瞬であるのと同じように、サイダーもまた一瞬である。あっというまに気が抜けて、ただの砂糖水へと戻ってしまう。サイダーは自らが、水と砂糖と二酸化炭素へと崩壊しゆくその中で、力道山を殺したのである。サイダーにすら出来たのだから、成して成らぬことはあるまい。咳により胸の骨を折り、息をする度に乳首から自らの脳髄目掛けて痛みという稲妻が放たれる特殊能力を手に入れた俺は、稲妻が生み出す激痛により、力道山とならずとも、きっと誰かを殺せるであろういつの日か。