2004年12月27日月曜日

ケース、BYE、ケース。



DOTA allstarsをやらずに変愚蛮怒もダウンロードせずにテトリスもピンボールもやらず、ただただ凍えていた。

ただただ凍えていると、人生の最も華やいだ季節の華やいだ時期にただただ凍えているというのは物凄く寂しい事のように思えてきた。実際の所僕は物凄く満足しているし充実しているのだけれど、物凄く寂しい事のように錯覚してしまうという事実が僕を物凄く凍えさせ、体の芯まで冷たくさせた。心の芯まで。

暖めないと。
心も体も温めて、ほぐして、幸せに歩み寄ろう。年末なんだ、祭日なんだ。祭りなんだから楽しいんだ、楽しまないと。楽しまないと。と、そう思った。楽しむんだ、年末を。楽しむんだ、人生を。温まろう。
なんでもよいから温まればいい。
明かりのある方へ行けばいい。

どんな事でもいいから時間を潰せる面白そうな事柄に近づいて、それを読みながら、行き逃げ去るのを待とうとインターネットエクスプローラを立ち上げた。ウェブサーフィンとしゃれ込もうと思ったのだ。

しかしながら、年末年始の華やかさと共に存在する文章を読み渡るというのは、イサキをぶつ切りにして三度噛んで飲み込むのと同じくらい、あるいはそれ以上にチクリチクリとトゲトゲするであろうというのが目に見えており、お気に入りをクリックする事が出来ずに立ち竦む。

立ち竦んでいる間も、MSN.co.jpの華やいだ広告という広告、華やいだ色彩という色彩、HTMLが織り成す左段右段という構成、その他全てのものが一体となって僕を切り刻み、出来損ないのつみれを作ろうとしている。

MSN.co.jpの表示するいくつかの事柄に、完全無欠の無意味な興味を抱いたのだけれど、ここでクリックしては一生の汚点となってしまう、負けだ、負け、不覚は取らぬと踏みとどまり、インターネットエクスプローラを閉じる。その勢いに乗じて、パソコンの電源も落としてしまおうかと思ったのだけれど、パソコンの電源を落としてしまうと誰もいない部屋でたった1人で2004年が死に行くのをただ凝視し続けるしか道は無いという事実に気が狂いそうになり、パソコンの電源はつけたままで、じっと、色々と考えていた。DOTA allstarsのCDキーを丸呑みにした事を少し後悔したりしながら、じっと、色々と考えていた。




話を少し変える。
真性引き篭もりブログを一言で言い表す。

真性引き篭もりブログというものを一言で言うと、からっぽの僕が自分自身の実況中継を行うというものであり、空恐ろしい。


からっぽの僕自身はブログを書きたいと考えている。しかしながら、からっぽの僕自身は読者にからっぽである事を悟られたくは無い。
真性引き篭もりとは凄まじい。凄いと思われたいのである。
真性引き篭もりさんかっこいい。素敵。よろしくやりたい。出来ることならば今すぐにでもよろしくやりたい。逆に言えば一生ついていく。わが師よ。神よ。全知全能なる人よ。くらいの勢いで物凄く凄いと思われたい。
中身のある濃い人間だと思われたい。
千日をかけて語っても語りつくせぬ人間であると思われたい。
物凄く幸せで物凄く稀有で物凄い、物凄く物凄い人物であると思われたい。

ほうみづき、じゃなくてふうせんかじゃなくて、ほおづきでもなくてあれはなんであっただろう。朝顔みたいな奴。いや、朝顔ではないし朝顔とは全然違うのだけれど。
とにかく、朝がくれば、あるいは朝がこなくても種子がぽんぽんと飛び出すような飛び出すべきものがぎっしりとつまったそれはもう物凄い骨密度の人間であると思われたいのである。

お願いだ。
読者諸君。
真性引き篭もりはほうみづきじゃなくてふうせんかじゃなくてほおづきでもなくて朝顔みたいな奴、いや、朝顔ではないし朝顔とは全然違うのだけれど、中身のぎっしりとつまった濃厚で味わい深く奥深く、底の見えない引き出しだらけの人物であり、凄くてさらに物凄いのだと思ってくれたまえ。お願いだ。読者諸君。


ところがである。
真性引き篭もりブログの最大にして唯一ともいっていい読者は真性引き篭もりである僕自身なのであり、その浅さ軽さからっぽさ空白、無知、愚かさ、愚鈍暗愚嘘大げさ紛らわしい小心者小物ゴミ馬鹿阿呆、その他諸々に至る全てまでバレてしまっている。
筒抜けである。

しかしながら僕はブログ上くらいだけは素晴らしい人間でいたいのだ。ぎゅうぎゅうにぎっしりと詰まった誠実で実直で勤勉たる日本人でありたいのだ。

そう。
僕がブログを読み返したときに、この人は浅はかなる無知の極みに位置する真性引き篭もりなどではなく、もっと他の素晴らしいものなんだと騙されてしまうくらいの、事実とは違う素晴らしいばら色の文章を書きたいのだ。



しかしながら、からっぽであるからして難しい。
からっぽの僕がからっぽでない文章を書くというのは、からっぽのすり鉢とすりこぎを手に持ち、からっぽのすり鉢を膝と膝の間に挟んですりこぎでぐるぐるかき回す事によりとろろを作り出す事よりも難しい。

2時間すり鉢をかき回しました!
何も出来ませんでした!
無理みたいです!
といった報告を行うのがやっとである。



よって、僕はからっぽでない文章を書くのを諦めてからっぽの文章を書こうと思うに至る。

僕は僕を騙したいのだけれど、僕は僕に誠実でありたいのだ。
僕は僕に騙されたいのだけれど、僕は僕に嘘をついてくれないのだ。
うわっは、僕は世界を変えられる、僕は僕すら変えられぬ。
うわっは、うわっは。
うわっは。HAHAHAHA、僕よ。



話を、戻す。

パソコンの電源をつけたまま、考えていた。
僕の事を、あるいは昔の僕の事、そして未来の僕の事。

真性引き篭もりが真性引き篭もりの事を考えるというのは喉から手を突っ込んで十二指腸を取り出し、それでドラム缶に入ったコールタールをかき混ぜてローマまで道を作ろうとするような事であり、あまりにも凄惨で、目も当てられぬ。

しかしながら、僕がやれる事はそれしかないわけであり、じっと考えていた。僕の事、あるいは昔の僕の事、そして未来の僕の事。あと、ブログに書く文章の事。

そうしてひとしきり考え終えた後、コールタールをかき混ぜてコールタールを作り上げたところで、僕はブログを書こうと思った。しかしながら、それらはあまりにも凄惨であり、インターネット上くらいでは爽やかなお兄さん、カッコヒラクケインコスギのようなカッコトジル、を演じたい僕としてはもっと軽い文章を書くべきであるという結論に達し、ウォークラフト3のレビューを書いてブログ更新としようと思うに至り、そうする事にした。

つまり、ここまではいつもより少し、ちょっとだけ長い程度のまくらであり意味などない!ここからが本編であり、ぎっしりと濃縮された骨密度の高いブログ更新である。




僕はウォークラフト3を面白いと思った事は一度もないかもしれない。
しかしながら、ウォークラフト3は物凄く優れたゲームである。

世界的には300万本(?多分。)くらい売れて、1日辺り50万ゲーム近くの対戦が行われ、賞金のかかった試合も世界各地で行われて1万弗プレイヤーも50人くらいは出たようだ。

他のリアルタイムストラテジーゲーム(リアルタイムで兵士を作って戦争をするゲーム)はこのウォークラフト3というかなり昔に発売された1本のゲームにプレイヤーを持っていかれて、まったく盛り上がらなくなったくらいの影響があったらしい。

しかしながら、僕にとってウォークラフト3はまったく駄目だった。


ウォークラフト3では、金で建物を建てて、金で兵士(剣士とかナイトとか銃撃手)とかを作る。

その金を獲得出来るのは、マップ上に6~10箇所くらいある金鉱という場所からのみである。金鉱から採取出来る金は10000程と上限があり、金鉱を掘りつくして金弦が無くなればプレイヤーは負ける。


つまり、勝つ方法は大きく分けて、
「戦争(細かい操作)で勝ってとっとと相手を滅ぼす」
「金鉱の数(経済力で勝って相手が滅びるのを待つ」
の2点となる。


世界トップレベルのプロは、1分間に500回くらいキーボードを叩いて戦争に勝利する。僕は80回くらいなので、戦争力は平凡である。

となると、僕が格上の相手に勝利するには、ゲーム開始と同時に相手よりも多くの金鉱を確保して経済力で勝つしかない。
相手が気がつく前に2つ目の金鉱を確保して、要塞化する。
あとは1つの金鉱の敵に対して2つの金鉱、2倍の収入を持って対峙し、勝利するという寸法である。

これはバクチだ。
相手にバレれば負ける。
バレないようにちょっかいを出したり色々したりという事をするのだけれど、しょせんはバクチであり、ハマれば勝てる。バレれば負ける。


結局、この粋から出られなかったのがウォークラフト3を面白いと思えなかった理由である。戦略とか戦術とかではなくて、クリックの回数とバクチ、というのが僕のウォークラフト3評であった。

弱すぎた、という表現が的確かもしれない。
楽しめるくらいの強さに達していなかったのだ。
波動拳が出せないストリートファイターのようなレベル。

とはいえ、本当につまらなかった。
マジで糞ゲー。ゴミゲー。駄目ソフト。
レッテルを張ってやる。
ウォークラフト3は糞げー。ゴミゲー。駄目ソフト。

「お前が下手だから楽しめないんだろ(笑)」
ああ、そうさ。そうさ。

「勝てないからって糞ゲー扱いかよ(笑)」
ああ、そうさ。そうさ。




楽しめないものは楽しくない。
楽しくないものは楽しめない。
人それぞれの事情である。
「人生をもっと楽しめよ(笑)」
ああ、そうさ。そうさ。