2005年5月1日日曜日

睾丸と肛門の間から



睾丸と肛門の間からポーランド製のflashにでも出てきそうな淡白色の水玉が、プカワン、プカワンの音を伴いゆっくりと立ち登るのをただ呆然と見続けていると「何かおかしい」と思うに至った。


大概の変調には慣れているのだけれど、このようなものは記憶に無い。
これは何であろうかと不安になり、おどおどと悩み続けていると、ゴールデンウィークというものの存在を認識せずに食べ物の確保を行わぬままでゴールデンウィークに突入してしまい、3日近く何も口にしていなかった事を思い出した。
これは、空腹だ。


空腹くらいで!と平気を装ってみたのだけれど、食べれば収まるという解放を知っているだけに我慢がしづらい。おまけに、空腹だ、空腹だ、おなかがすいた、おなかがすいた、と思っていると余計に辛さが増す。さらに、今年のゴールデンウィークというものは非常に長いらしく、何時になれば食べ物を確保しに出られるのかわからない長いトンネル。

まさか、こんなことで、と自分を笑いながらも、何か食べたくて仕方が無い。
あまりに苦しくて、髪の毛を3本ほどまとめて指に巻き付けて引っこ抜き、それを食べる事で気を紛らわしていると、細かくちぎれた髪の毛が喉の奥に刺さって痛い。なんとかして引き抜こうとしてみたものの、指という異物は口腔を見当はずれに右往左往を繰り返すのみで、喉の奥の噛み千切られた頭髪には近づく事すら出来ない。しかも先ほどまでシャワーもしばらく浴びていない春先の頭を触っていた指はかなり汚く、物凄い不快感で吐きそうになるも、吐けるものは何も無い。

喉、奥、刺さる。ひらめく。「ごはんつぶを飲み込めばよい」
ごはんつぶ、ごはんつぶ、と音を立てぬようにとそっと引き出しを開ける間抜けさ。
ご飯が無いからしてごはんつぶは無いし、同様にご飯も無い。その名案は論外だ。


それでも他には何も無いから腹が減って仕方が無い。
「真性引き篭もりでもいっちょ前に腹だけは減るんやね」
と思いっきり憎まれ口を叩かれる。踏んだり蹴ったり。

髪の毛は直毛だから喉に刺さって駄目だったが、ちぢれ毛であれば刺さらぬのではなかろうかと体中のちぢれた毛という毛を抜いて食べてみたけれど腹は全然膨れない。めまい、倒れそうになる、堪える。我慢。ヘソが背骨を貫通して背中から突き出す。プカワン、プカワン。

頭や皮膚や足首や目や節々や心の痛みは平気でやり過ごせるのに、たかが空腹にひれ伏す軟弱さに嫌になり、インターネットリバーシ。ところが、2手ほど打った所で気力が尽きて強制終了。腹が減った。


しかしながら真性引き篭もりであるからして、真夜中に炊飯器を開ける勇気が出ない。これがゴールデンウィークでなければ、丑三つ時から半刻過ぎた頃合に何とかできるかもしれないのだが、どうもゴールデンウィークという文字の重みが恐怖と化ける。

その恐怖と向き合えずに逃げ惑った結果、窓から抜け出してコンビニで食べ物を買ってくるとういう選択肢を真剣に検討し始めるという斜め上。しかしそれも思いとどまる。その理由が資金的余裕の無さであるからしてこれも斜め上。ゴールデンウィークの真夜中のコンビニなんかそれこそ溜まり場と化しているだろう事くらい気がつくべきであった。が、とりあえずコンビニ案を却下したという選択自体は間違ってはいなかったであろうと思う。

途方にくれて検索エンジンで「おなかすいた+無理」とか打ち込んでいる時点で馬鹿。幸せそうなウェブサイトがずらーっと大量に表示されてへこむ。グーグルは駄目だ。やさしさが足りない。それでもなんとか我慢しようと「断食は3日目が一番きつい」といったトリビアをでっちあげてみるものの効果無し。「あと10日我慢すれば別次元のブログが書けるよ」とブロガー的に説得してみるも応じず。空腹が度を越えて体全体がフローティングマイン。


人差し指の付け根やら幼い頃の足の火傷の跡やらをかじってみたのだけれどなんの効果も無く、何の効果が無いとわかってもそれをやめられぬくらいに腹は減ったまま。挙句の果てに器を手に炊飯器へ直行。最初からそうしておけよ。追い詰められねば行動を起こせない仕事の出来ない新社会人を地で行く真性引き篭もり。まるでこれが空腹ではなく五月病であるかのように思える末期症状。

ご飯を多めによそって乾燥ワカメを一つまみ、かつおぶし1パック、お水を汲んでそそくさと逃走。帰宅して直ちに食事。あまりのおいしさに泣きそうになり、まるで自分が人間にでもなったかのような錯覚を起こす。と書くとこれが始めてかのような文章になるが、実はこういう事は以前にも何度かあり、学習能力の欠如が情けない。


空腹が収まって一安心すると同時に、真性引き篭もりというブログタイトルが事実に反するものとなってしまった事に心が痛む。僕の生業を正確に表現するならば、引っ込み思案、とかそれくらいの感じだと思う。いや、ちょっと愉快なゲーム好きとか、夜遊び好きな家事手伝わない、くらいかも。結構普通。


けれどもいくつかの事例からわかるように、世間の認識と僕の認識というものはかけ離れているのだろう。100%伝わると思って選んだ言葉すらまったく伝わっていなかったりするからして、おそらくかなりずれている。埋められぬほどに。埋められぬほどに普通なのに。


お腹がすいていたという充足すら失ってしまった僕が取り得る最も正しく賢い選択枝は、お日様が目覚める前に眠りにつく事くらいか。けれども、それすらもう手遅れだ。