2005年5月25日水曜日

藤代裕之~裸の駄々っ子(5)






結論をいえば、ブログであれだけおもしろい文章を書く藤代氏を人並みにさせてしまう新聞という名の装置が悪いということになる。
       すちゃらかな日常 松岡美樹






松岡美樹は藤代裕之が毎日新聞に寄稿した文章を「つまらない」と書いた。
同時に、ガ島通信を「面白い」と評した。


いったい、何をつまらないと評し、何を面白いと評したのだろうか。







僕はこの「ガ島通信@藤代氏が毎日新聞に書いた「つまらない原稿」を深読みする 」という投稿は、ガ島通信と藤代裕之について書かれたものではないと考える。


では、何について書かれたものなのか。



それは、松岡美樹自身である。
彼はこのエントリーの半分以上を費やして自分自身の体験談話を書き綴り、同郷と境遇から来る親近感を語っている。


これは、愛であると思う。などと書くと気持ち悪く美しいので弁解しておくと、松岡美樹自身がこれは愛だと書いているのである。







松岡美樹がガ島通信を本当に読み、「面白い」と思っていたのかどうかはかなり疑わしい。松岡美樹は自身の愛を伝えるために、「面白い」「つまらない」という両極に位置する言葉をキャッチアイとして利用しただけの事である。


面白さとつまらなさの具体的な解析は成されておらず、藤代裕之の言論に適合する形で、「悪いのは新聞社だ」「頑張れ」という事だけが書かれている。



「愛だ」と書くと美しく見えるが、「つまらない原稿」や「面白いブログ」に向けて書かれた評論などではなく、藤代裕之を自分自身の姿と重ね合わせた上での自己アピールと馴れ合いでしか無かったのである。




僕も(たぶん)彼も、前の会社が嫌いではない。むしろ精一杯愛して、自分のため以上に、会社のために働いてきた。でも、その経験から「これ以上ここにいても、この会社に必要とされている能力や経験を、僕は身につけられない」と悟ってしまったのだ。だから、会社という殻の外に出て経験を積み、能力を磨くことにしたのだ。


     R30マーケティング社会時評





R30。
彼は人生とは楽しむ為のものだと定義している。
そして、人生を楽しんでいる。
その楽しさの幾らかは、転職によってもたらされたと考えている。


ブログも仕事も同様に楽しむためのものであり、事実楽しんでいる。
転職がなければ、今の楽しさは無かったと認識している。





R30はガ島通信の転職を熱烈に支持した。
しかし、R30の捨職と藤代裕之の捨職は、まったく別のものである。


R30の転職の動機は「人生をより楽しむため」である。
それに対して藤代裕之の転職の動機は「楽しくなかった半生の責任転嫁」である。
楽しさを肯定する為の転職と、つまらなさを否定する為の転職。
逆方向からのアプローチだったのである。




また、R30は前の会社から上方向へこぼれたと言える。
彼が自分自身で語っているように、底なしの異様な活力が前の職場では収まりきらず、それを発散しきれる場所を求めて転職したのである。


それとは逆に、藤代裕之は地方紙から下方向へとこぼれたのである。
「記者としての仕事が十分に出来ない」事から「職場で不良債権化」し、文化部に飛ばされて「本流から外れ」、「職場で孤立し」、孤独を深めて仕事を辞めた。
まったくの無能者であり、落ちこぼれである。




文章も読めず文章も書けず自分自身で思考も出来ない藤代裕之という人間にとって、地方紙の記者という仕事はとてもじゃないが満足にこなせる職ではなく、その責任を求める形で社を攻撃し続け、転職へと辿り着いたのである。


R30と藤代裕之には共通点が存在しない。マスコミ批判という日本国民全てが抱いている認識と、職業を捨てたといった、共通項と呼べぬくらいの些細な一致だけである。



にもかかわらず、松岡美樹がそうしたように、R30もまた、藤代裕之に自分を重ねた。



それはなぜか。
R30は自分の人生を言葉に出来る機会を待望していたのである。


R30は転職という人生の一大決断において大いに悩んだ。
家族を抱え、数年に渡り悩み続けた。辞めるべきか辞めぬべきかと迷い続け、転職先を1年にも渡って探し続けた。そして、その長い葛藤と心労の末に、大いなる楽しさを手に入れたのである。R30は、その幸せの軌跡を語りたかったのである。


人生とは、楽しむためのものであると考えているR30は、転職の果てには楽しさがあるというメッセージを世間へと伝えたかったのである。




しかし、彼が常日頃の言論の元としているデータ、情報というものはガ島通信と転職を語るにおいて一切用いられず、「悩む→転職→楽しい」という経験のみを根拠として行われた。


転職の果てに今の楽しさがある、という結果からの逆引きでしかなかったのである。





R30のガ島通信に対する行動は「楽しいコミニケーション」と「楽しむ為の転職」というR30の世界観の内側で行われた事でしかなかった。藤代裕之という外側のケースについての考察や分析が行われる事はなく、無責任に己の「楽しさ」を語り演じただけであった。リカルドロペスがすれ違う人に言う「プロボクサーになれ」という言葉程度の重さである。







結局のところ、R30によるR30の為の転職のススメでしか無かったのである。




しかし高田さんの言い分は、極端に言えば「出している和菓子には問題があるけど、私たちは懸命にやっているし、努力している。ただ、組織はそう変わらない。それぐらい分かってるでしょ?」ということです。


私が最も問題だと思うのは「読者に申し訳がない」という文字が一言もないことです。高田さんの文章には残念ながらメディア側の論理しか見えません。






高田昌幸とガ島通信の関係。
それは絶望にも近いすれ違いである。


高田昌幸は記者として働く事を良しとしている。
その立場から、ガ島通信に長いエントリーを投げかけた。滑稽である。
彼はガ島通信に目を通していただけであり、読んでまではいなかったのである。


藤代裕之の始まりは、「記者として働きたくない」である。正確に言うと、その能力が無いという事なのだけれど一応は「働きたくない」という意志である。


彼が地方紙を捨てなかったのは、自身で述べているように金のためである。
給料が欲しかったので、飛ばされ孤立しながらもしがみついていたのである。
ブログを始めた時点ではもう既に、働くつもりなど全くなかったのだ。




それ以外においても高田昌幸と藤代裕之は対極の存在である。


現場で働くことをよしとする高田と、
自分の人生を狂わせた現場を否定する藤代。


機能させる為に変化させようとしている高田と、
自己正当化の為に殺そうとする藤代。


職と人生が共に成立している高田と、
職によって人生を狂わされたと認識している藤代。





それに対して「働こう」と暖かく書かれた高田昌幸の文章は、全てが悲しい。
その文章に対して「極端に言えば和菓子・・・和菓子?和菓子?


もはや、言葉もない。








どちらが、というわけではないが、哀れである。




ブログの沈黙の読者を信頼すること…
ってエールですね⇒ガ島通信:へなちょこメディア周辺者宣言
というわけで、これまで私はガ島さんには沈黙してたけど、ちょっこし、こっそり。
    finalventの日記






fenalventは沈黙していた。
何故か。


finalventはエールを送った。
何故か。


これにはそれぞれ、理由があると思う。







ガ島通信とは、藤代裕之のエゴイズムである。
己の思い描く世界像を追い求め続けたブログである。


では、極東ブログとは何なのだろう。
僕は、己の思い描く世界像を追い求め続けるブログであると捉えている。





finalventはいくらかしくじった果てに老い、自分自身の最後の1コマをブログというインターネットの道具に委ね、希望を託した。藤代裕之が「ブログは既存のメディアを」とブログを妄信したのと同じくらいにfinalventはブログを心のどこかで信じているのだと思う。


しかし、finalventはハッカーである。その点で、藤代裕之とはインターネット感が決定的に違う。ブログは所詮道具でしか無い事を知っているし、インターネットに出会った人間がインターネットを過信する危険性というものも知っている。ガ島通信が「はしゃぎすぎているブログ」である事をしっかりと認識していたが故に距離を置いていたのだろう。
また、finalventは他の人間よりもウェブ上の文章を読むというスキルレベルが高く、ガ島通信の一辺倒の論調に潜む思考の浅さというものを完全に見切っていたのかもしれない。


故に沈黙していた。
それは同時に、故にエールを送ったとも言える。


finalventは藤代裕之よりも遙かに優秀であると自分自身を評価しているであろう。にもかかわらず、finalventにはもう力は残っておらず、対する藤代裕之は500枚もの名刺を集めた末にブログをパワーへと変え、向こう見ずに退職をした。


そのfinalventが入手不可能な恐れのなさと若さというものへの憧れが、「エール」に込められていたのだと思う。finalventもまた、藤代裕之に自分自身の人生を重ねたのである。そのエールを送り重ねた藤代裕之が中身の無い文章をウェブに上げ続ける事で、"ブログ"というものへの世間の視線を完全に殺し、色物であると浸透させてしまったというのはなんとも皮肉である。







「ブログの沈黙の読者を信頼すること…」
finalventからfinalvent宛にこっそりと送られたエールであった。




将来に不安をおぼえなかったわけでもなかった。ただ報道と言う仕事が好きで、好きで仕方がなかっただけだった。


               ネットは新聞を殺すのかblog 湯川鶴章





言うまでもない。
ガ島通信は湯川鶴章の劣化コピーである。


藤代裕之は湯川鶴章に自分を重ねた。
湯川鶴章は藤代裕之に自分を重ねた。
しかし、である。
両者は異質であった。





湯川鶴章は仕事を愛していた。
藤代裕之は仕事を憎んでいた。


湯川鶴章は「藤代裕之が地方紙を辞めたのは愛が裏切られたからだ」と解釈した。
違うのだ。
藤代裕之には最初から愛など無かったのである。
就職可能な会社を選ぶ中で消去法で辿り着いた地方紙で、使えない駄目記者の烙印を押され、職場で孤立し、「ネットは新聞を殺すのか」を独自解釈して新聞と新聞記者を見下し罵倒をし続けた。湯川鶴章の文章は読まれないままで利用されたのである。





しかしながら、湯川鶴章はそれを「若さの勢いである」と読み、ガ島通信がメディアを攻撃するに至った経緯とその動機を読み取る事は無かった。


ただ、自分自身の報道への愛を藤代裕之の捨職という行為に重ね、
「ガ島さん、そして業界を去られた多くの若い記者諸君、本当に申し訳ありません。 」と詫びたのである。







踏みにじられたのは湯川鶴章の純粋な気持ちであり、
踏みにじったのは藤代裕之の自己正当化と責任転嫁である。


僕はそれを許すことが、激しく覚える。




こうした純粋で、若い希望を、何が、だれが、踏みにじっているのだろうか。わたしは、こうした若者の気持ちを踏みにじる者を許せない。許すことができない。
      湯川鶴章






誰一人としてガ島通信を読んでいなかった。
それは真実であると思う。




彼を取り巻いた人は適当にガ島通信を消費し、通り過ぎていった。
そこで行われたのは藤代裕之との僅かな共通項から紐解かれた自分語りの文章の提供であり、記者による記者叩きブログを中心とした特殊なコミニティ内での馴れ合いであった。



当たり前の話であるが、ブログは膨大である。
本人が見ている世界を他人が把握するのは不可能に近い。
エントリーは気にとめられず読み流され、面白そうなネタが書ける場合にのみそれは適度に読まれ、反応される。








誰一人として読んでいなかった。
その中心にいるのは藤代裕之である。
彼が自分の文章を読んでいなかったように、彼の取り巻きや支持者達も藤代裕之の文章を読んでいなかったのである。


ブログを真面目に読む人間などいない。
インターネットは膨大で、全てが流れる特殊な世界である。




確かに、私自身も多くの読者や取材先を傷つけ、会社の方針にさからえず、マスコミ内にはびこるステレオタイプのレッテルはりに加担してきました。






これ程までに品行方正を欠いた人間は見た事がない。
それが藤代裕之のウェブ上での行動を追って感じた率直な感想である。


彼は言葉の限りに罵り、議論をする能力どころか、人の話を聞く事すら出来ぬ人間であるのに「議論がしたい」と繰り返し続けた。当初から寄せられた批判に対してはレッテルを貼って処理し、幾人かのブロガーへメールとトラックバックを送り続ける事により彼らを取り込み、お墨付きを得て、防壁として利用した。


ライブドアを英雄として扱いフジテレビを薄汚いマスゴミであると罵ってしばらくして"湯川さん"をミーハーに追い掛けてライブドアを英雄視するのを辞め、数日後にはライブドアは腐っていると言い始めた。


「行政の出すデータを信用せず疑え!」
と主張しながら、彼はデータを一度も出さずに全てが経験、いや、経験であるかどうかも疑わしい体験談で「全国紙の記者ほど馬鹿だ」と断定的に罵った。


意にそぐわないコメントを「建設的ではない」「無駄なコメント」であると笑い飛ばし、「過去のエントリーも読んでください」と不勉強さと呼ぶに値しない不勉強さを責めた。





自身のコンプレックスと人生の浪費をマスコミへと責任転嫁してマスゴミと罵り、日本中の記者を「問題意識」という絶対にして唯一の基準の下で見下し続け、罵倒した。
挫折も不勉強も文章力の無さまでも、「染みついたマスコミ体質のせい」であるとした。


その罵倒の末に日経BPにゴミ文章を量産し続け、高田昌幸の最も優しさのある助言を意味不明な言論で「メディアに毒されている」「あなたはもう駄目」と斬って捨てた。




自分自身の文章の質が低いのはマスゴミのせい。
コメントへの対応が下手なのもマスゴミのせい。
頭が固くて考えが回らないのもマスゴミのせい。
働きたくないと公言する社内ニートが真面目に働く人間を社畜だと罵れるその世界観にはまったく理解が出来ない。ついて行けない。まったくもって電波である。





>それから私は
>「評論家はお断り。文句言うなら対案を出してください」と言うことにしました。
いったい、いつ対案を出したのだ。
いや、文句には対案が必要だが罵倒には必要ないのか。なら、いいか。







レッテル張り、無視、罵倒、逃亡。
藤代裕之という人間に対しては、口にするのも憚られる言葉しか浮かんで来ない。




きちんと議論できず、打たれ弱い、批判されれば皮肉を吐き捨てて逃亡。そして騒動は自分の責任ではなく、あくまでマナーのなっていないネチズンが悪いという「総括」(苦)






「勇気がないんです」
藤代裕之はブログを立ち上げてすぐにそう言った。


ガ島通信は成功したのだ。
勇気を得ることに。


自分を肯定してくれる人間のみを選択して馴れ合い、
自分に都合のいい文章をインターネットで探し続けた。


藤代裕之は正義。
藤代裕之は絶対。
藤代の唯一の汚点はマスゴミに努めているという事だけ。



その唯一の汚点を拭い去る勇気を彼は得たのだ。
ブログによって。
ガ島通信によって。




「お前は何も出来てないのに、偉そうに言うな」というムードはメディア関係者が予想する以上に蔓延しているのです。ただ、まだメディアは力を持っていますので、取材先などではっきりと伝えられることはないでしょうが、ネット界は違うのです。既存メディアのパワーはそれほど「実感」を伴わない。だから、言いたいことが言える。もちろん、煽りやおふざけコメントもあるでしょうが、新聞関係者が「2ちゃんでしょ?無責任に煽ってんだよ」と冷笑しているほど、乖離してはいないと私は考えています。






藤代裕之の未来は明るい。
僕はそう断言する。


何しろ、日経BPというそれなりの雑誌があのような文章を平気で掲載する時代である。馬鹿であれば馬鹿であるほど、単調であれば単調である程使う側としては都合がよい。大谷昭宏、森昭雄、デーブ大久保。ブログというものを踏み台にして、レッテルを貼り中身のない罵倒を繰り返し禄を食む人々の末席へと滑り込んだのだ。




ブログブームが生んだ最初で最後の巨大な燃えない粗大ゴミ。
それがガ島通信と藤代裕之である。




私も「うまく」やって甘い残り汁を吸い尽くしたいと思っていますが、新聞業界の甘汁は残量が非常に少なそうです…。






ガ島通信/藤代裕之
fromガ島通信 メディア崩壊の現場を歩く/日経BP


ネットは新聞を殺すのかblog/湯川鶴章
週間!木村剛/木村剛
札幌から ニュースの現場で考えること/高田昌幸
マーケティング社会時評/R30
あざらしサラダ/あざらしサラダ
すちゃらかな日常/松岡美樹
極東ブログ/finalvent




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  ハダカの王様は、自分がハダカであることを知らない…。






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