2005年5月24日火曜日

大統領への切符



小倉秀夫の後釜に座った男のぬっぺりとした顔写真を訳もなく眺めていると、僕に向かって「大統領になれ」と無責任に言い放った教師がいた事を思い出した。






気持ちの悪い顔をしていた。
と書くとその男が気持ちの悪い顔をしていたかのように聞こえてしまうが、そうではなくて、今思えば気持ちの悪い顔をしていたような気がするというだけの話である。
正直なところ、どのような顔であったかまでは覚えていない。
眼鏡をかけていたような気もするし、かけていなかったような気もする。
尖った顎をしていたような気もするし、まあるい顔だったような気もする。
なにぶん、昔の事である。


のべつまくなしにくだらない話をしていた。
くだらないというのは内容が無い話という意味ではない。本人は面白いと思っているものの誰一人として笑わせられないような少し長めのジョークを無節操に喋り続けていたのである。彼は4つか5つしかないレパートリーの中から最も気に入っていたであろう話を何度も何度も繰り返した。学童の失笑を誘うに丁度良い、レベルの低い小話だった。


ある時、突然廊下で僕に細長い小さな紙切れをよこした。
「切符だ」と言った。
と書くとその男が「切符だ」と言ったかのように聞こえてしまうがそうではなくて、今思えば「切符だ」と言っていたような気がするというだけの話である。
それは、確かに切符であった。細長いビニールのような光沢に包まれた堅い紙には茶色い帯があり、外国語で何かが書かれていた。「どうだ、外国はいいだろ」といったような事を言っていたような気がする。定かではない。


その男は僕の担任では無かったので、何かがあった、という訳では無かった。けれども今にして思えば何かがあったような気もするし、何もなかったような気もする。


成り行きは忘れたが、僕はその教師と教室で2人きりになった。
「大統領になれ」と唐突に言った。
それ以外にもしばらく何かを喋り続けていたような気がするが、覚えていない。覚えているのは「大統領になれ」という言葉と、しばらくの長きに渡って大統領になろうと思っていたという上擦った記憶の感覚だけである。






ふと我に返り、その教師の名前を検索エンジンで叩くと、amazonで100万位ほどにしか売れていない微妙な値段の冴えない本がhitした。こんなもの、誰も買わないだろう。

見てはいけないものを見てしまった気がして、僕の人生に係わった他の教師の名前を思い出そうとしたけれど、1人として名字すら思い出せずにGoogleの前で立ちすくんだ。
一体僕は学校へと何をしに通っていたのだろう。
何を学んで何を得て、何を失ったのだろう。
いくらかの動揺を抱えながら「まさか、あれが恩師か?」といった事を考えていると余計に動揺してしまい、うまい具合に朝が来た。随分と早い訪れだ。気の利く奴だ。






冴えない男、冴えない話、幾らか昔の風の冷たい強い夜更けに一人で僕は、テトラポットの脇へと登り、一緒にしまってあった親から貰ったチョコレートと共に外国の方へとそれを投げ捨てた。

大統領には、ならない。