2005年6月9日木曜日

はてなブックマークが共有しているもの



はてなだ。


















ソーシャルブックマークサービスが本来共有するであろうものと、今現在のSBSが共有しているものは違う。何故ならば、SBSという道具自体が共有されていないからである。


つまり現時点のソーシャルブックマークサービスは全然ソーシャルではない。ローカルであり、マイナーであり、アンダーグラウンドだ。SBSを使っているのは一般人ではない。



では、誰がSBSを使っているのかという事になる。
それはもう答えは明確である。

はてなブックマークで言うと、使っているのははてな市民だ。いや、それすら正確ではない。はてな市民などではなく、ハテナーユーゲントだ。100万はてなユーザーの中でも最もはてなと統合性の取れる一握りの人間がはてなブックマークを構成しているのである。


構造としては至って単純だ。
はてなリーダーがはてな市民を作りだし、その中から選ばれしもの達が共有知、共有情報を作り出し、はてなリーダーの再生産を行う。現状のはてなブックマークにおいて知と称されるものは「はてな知」であり、情報と称されるものの正体は「はてな情報」である。


それらブックマークされた「はてな知」は、はてなブックマーカ-にとっては常に相性が良い。何故ならば、現時点でのはてなブックマークユーザーは全員が全員、近藤淳也によって作り出されたはてなの擬人化した姿、言うならばはてなの忍法影分身だからだ。


彼らは象徴としてのはてなを共有し、意識し、はてながウイと言えばヤーと言う。
今更言うまでも無く、はてなブックマークとは、ソーシャルのブックマークではない。
はてなのブックマークである。そのハテナーユーゲント100%のVOTEによって作り出される共有情報は、彼ら自身がはてな化する為に不可欠な、はてなによるはてなの為のはてなのブックマークであり、はてな市民をはてな市民へと再教育する為の情報である。


はてなブックマークがはてなブックマーカーに提供しているものは「はてなブックマークを使えば君も貴方もはてなになれる」という幻想であり、はてなブックマークでは無い。
はてなブックマークとは夢を売る道具なのだ。


はてなという思想、即ち抽象化された量産型というナノマシンの手動ブックマークこそがはてなブックマークであり、はてなブックマーカーとは細切れに細かく切り分けられた近藤淳也そのものなのである。夢、それは即ち、ちょいと小粋な逃げ場のある嘘だ。










対して、真に共有されたソーシャルブックマークが共有するものは時代だ。


人と情報、情報と人によって浮き出るものはくだらない。
大衆は常に場当たり的に情報を求め、その欲求の流れが時代を作り出す。
時代の中心にあるのは、くだらない知と、くだらない情報だ。
くだらない流行、即ち時代というものである。
真に共有されたソーシャルブックマークにおけるブックマーカーとは、細切れに細かく切り分けられた時代そのもの、つまりは時代そのものなのである。しかし、時代そのものがくだらないわけではない。共有していた人々にとって、それぞれそれの重みを成す。

Googleに「ウーゴヴィアナ」と打ち込んでEnterキーを叩くと、ウーゴヴィアナが上から下まで無機質に並んで出てくるのと同じように、真に共有化されたソーシャルブックマークでは「時代」というキーワードでEnterされたURLがジャンル分けされ並べ出る。無機質に。上から下まで。



もしもはてなブックマークがソーシャルなソーシャルブックマークと化したならば、オレンジレンジや大塚愛の新曲情報やレジスタンス的にUPされた歌詞などが瞬時にして数百万のブックマークを稼ぎ出すその横で、近藤淳也が2時間掛けて書き上げた渾身の投稿が「ブックマーク・・・たったの1851・・・プッ、ゴミめ・・・」と余丁町散人的世界観の元での農民として扱われる事になる。

ここで言うオレンジレンジや大塚愛とはオレンジレンジや大塚愛ではなく、敦煌だとかエリマキトカゲ、太陽の季節やら踊るポンポコリン、クレイジーゴナクレイジー、といったそれそのものを指している。



仮にそのような日が訪れたならば、はてな知やはてな情報の恩恵を最大限に被っていたはてな的な人達は時代の波に押し流されて失望し、「SBSの終焉」だとかほっぽり出して逃げ出して、特殊化したよりクローズドなソーシャルへと逃げ込みよろしくやがて消え去り、みっともないズボンをダボダボのサスペンダーで繋ぎ止めて学長選挙に落選するような末路を辿るだろう。


手元のシンクタンクから頂いた先日の資料のデータによると、はてなブックマークのユーザー数は9月には180万人を突破し、来年の4月には1700万人に達するであろう見込みが確実視されている事実だ。つまり来年の4月には肥大化したはてなブックマークははてなリーダーの手に負えなくなり、はてなブックマークとしての致死に至り死に、細かく巨大化した近藤淳也も死ぬ。それを持ってソーシャルブックマークサービスはソーシャルブックマークサービスとなり、ソーシャルではないソーシャルという1つの時代は終焉し、作り上げられた近藤淳也というはてなはそれぞれの心の中へと帰って行き、「そんな時代もあったね」と語られる日々の中でjin115ややねうらおといったような人々の脇に添えられてしまう時代が訪れる事が確実視されている事実だ。















そういう時代だ。