2005年6月30日木曜日

WarCraft3を5度買った話。



実は、という程でもないのだけれど、WarCraft3も5度買った。
DiabloIIも5度買った身分であるからして、そう目新しい話ではない。


ただ、サプライズがあるとすれば、うち3回はDOTA allstarsを辞めてから、今年に入ってからだ、って事くらいのものか。もちろん、というか1ゲームもプレイしていない。もちろん、というかインストールすらしていない。

別にそれを隠してきたとかブログに書かなかったとかじゃなく、気がつかなかった読者の目が節穴なだけ、というのが僕の言い分であり、全部メタファーなんだろ!みたいな非公式見解である。







そっと部屋から抜け出して、机の上に置かれたものを手にしてそそくさ帰り、乱暴に封を開け、CDケースを箱から取り出し、インストールKEYをCDケースから引っ剥がして細かく噛みちぎり、紙切れに丸めて捨てる。ただそれだけの事である。

多分、僕の趣味はそういう事なんだろうと思う。
ゲームとか関係なしに、そういう性癖なのだろう。






例えば、ホームシアターを作っている人間は「映画を見る」という趣味と、「ホームシアターを見る」という2つの趣味を持つらしい。また、魚を釣って魚を食べる人間は、「魚を釣る」「魚を捌く」「魚を食べる」という、それぞれ別個の3つの趣味を持つらしい。

それと同じようなものなのだろう。
つまり、僕の現在の趣味はWarCraft3のCDキーを箱から剥がし、前歯で細かく噛みちぎる、という極めて野性的でスポーティなものなのだ。ケーキは別腹、みたいなもんだ。ばななはおやつ、みたいなもんだ。唯一最後に許された、至福の金の使い方だ。







今現在僕がWarCraft3を買うという行為には、インストールKEYを噛みちぎって快楽を得るという以外の側面もある。それはピラミッドであり、万里の長城であり、戦艦大和だ。一言で言えば公共事業である。つまり、僕がWarCraft3をインターネットで注文し、昼間誰もいない間に部屋を抜け出しテーブルの上に幾らか多めの区切りのいい現金とメモを置いておくと、数日後ろには丁寧にパッケージングされたWarCraft3がそこにはある、という次第だ。

僕の金銭感覚は世間からは少しずれているので、代金引換の宅配便を受け取って5000円という小遣い稼ぎがおいしいものなのか、それとも割に合わないものなのかはよくわからない。よくわからないが、支払うに値すると僕は考えているので、ここ半年で3度も支払っているのである。

今にして思えば、というか思い返すまでもなく、自分は金のかかる子供であった。
医療と教育の両方に、弟と比較すればべらぼうである金額が費やされ、さらにそれ以外にも色々な形で大変な金額が消えていった。もちろん、何の効果も無かったわけで、金も時間も面倒もかけられなかった方がまともな人間になり、金も時間も面倒もかけられた方がブロガーになった。皮肉な物、というか一体どうしてなのだろうかと思ったりもする。その幾らか余分に費やされた金額を合法的に還元する媒体としてWarCraft3を使っている、というわけなんだろう。多分。






よく、制作者が想定した以外の遊び方をされるゲームこそが素晴らしいゲームである、などといった話が成される。包容力があるゲーム、という表現である。ならば僕が行っているWarCraft3の消費方法、インストールKEYを前歯で堅く噛みちぎるというのは、ビルローパーもビッックリの想定外のものであり、WarCraft3がいかに偉大なゲームであるかの証明になる、と、思おう。思おう。WarCraft3は偉大なゲームだ。
確かにこれは、WarCraft3のインストールKEY以外では得られぬ快楽だ。


とにかく、このインストールKEYを噛むという行為は物凄い快楽であり、脳みそが真っ白になる位の快感である。噛む度に、実に素晴らしい趣味を見つけた幸せ者である自分に酔いしれるのであるけれど、一通り噛みちぎり捨て終えた後に訪れるバッドトリップがかなり酷くて、毎度毎度へこむ。「せめてWE.Skyのreplayくらいは見ておくんだった」などと意気消沈、読めもしない単語の連なる説明書を無作為に眺めて時間が過ぎてゆくのを感じていると、さすがに滅入ったりもするのだけれど「快楽には苦痛が付きものだぜ」などといかにもハードコアなゲーマーぶったコメントを残し、退屈ではなく平凡な日常へと再び身を委ねて過ごしている。

などと書くと「それだけの為に」みたいな空気もするけどそうではなくて、箱は触り心地の良い抱き枕として快適に使っているので、コストパフォーマンス的にも非常に良好。



まあ、これが許される内だけは、やりたくなったらまたやるか、といった趣きであり、一日中4k.grubbyの.wmvムービーを見ていたせいもあってか、ここ数日中にまたWarCraft3のインストールKEYを購入するんだろうな、と思っていたりもする。



世界が僕を痛めつけ、WarCraft3のインストールKEYがそれを癒す。
そういう事だ。単調でワンパターン。いつだってそう。
結局の所、僕を救ってくれるのはゲームだけだ。
もう何も信じられなくなった。それさえも。





インストールKEYの剥がれた跡に残った少しの粘着糊を、人差し指と中指でペタペタやっている間だけは、自分がまるでまともな人間であるかのような錯覚に囚われ、心の中が慈愛で満ちる。WarCraft3だから成せる業だ。素晴らしいゲームだ。



とりあえず、おそらく今の具合で行くと、あと数日くらいは動画や画像や文章を見て、指をくわえたりしながらも、手にしているものについて色々考え願いながらも我慢して、やがてどうにもならなくなる。そうなったらば、また買おう。WarCraft3をもういちど。
DiabloIIの5回を超える、6回購入したゲームが芽生えて育ち、生まれつつある。そんなとこ。今はただ、それが来るのを静かに待とう。あと数日は信じてみよう。堪えよう。












願わくばDOTA allstars?
いや、贅沢は言わない。
過ぎたるものは望まない。
分相応に身の丈に、インストールKEYで十分だ。