「この投稿を書くまでは」という実体の無い勇気のような勇ましさが僕の中にはずっとあって、その投稿ってのが何を隠そうtf.exeだったわけである。言うならば、井上雄彦にとってのバスケットボールのようなもの。
丁度一月くらい前、あるいは丁度半年くらい前、もしくはそれ以前から勇気に基づく空元気の上でなんとか健全で清潔感溢れる温厚で争いごととかそういうの全然しないような無味無臭な乾燥しきったエントリーを書き続けては表面上の体裁を取り繕ってきたわけだけれど、次第にtf.exeを温存している事に対する恐怖のようなものが芽生えてきた。
もうゲームを最後にやった日がいつだったかも忘れてしまうくらいにゲームとは遠ざかり、一日一日記憶は薄れ、その一方で僕の日常のテンション、即ち実像のテンションよりも随分と陽気で随分と呑気な調子のエントリーだけが積み重なってゆく。
その乖離が恐ろしくなり、慌てて間に合うように、間に合うようにと願いながらtf.exeを書いたのだけれど、間に合ったのかどうかは知らない。知らないけれどとりあえずそれを書いてしまった事により、僕の「tf.exeを書くまでは健全でなくてはならない」という空勇気は失われてしまった。
結局のところ、それによって当ブログのエントリーはやや実像に近づいたわけで、その等身大差こそ誠実さであり、それは幻想の健全さと引き替えに手に入れたものなのだろう。
けれども、なんとかしてもう少し明るいエントリーを書かないと、みたいな健全さへの憧れがあり、その為にゲームという題材を利用しようとしている自分がなにやら憎い。
もう二度とゲームに関わるエントリーは書かない。