2005年8月14日日曜日

コレジャナイ人間



世の中誰もが理想というものを持っており、「こうなったらいいな」「こんなのが欲しいな」と理想の未来、即ち所謂幸せを夢見てぼんやりと、彷徨い歩いて生きている。


往々にしてその「理想」というものはなんらかの形で手に入る。
理想が現実になる瞬間、即ち念願成就。





ところが、そんなに甘くない。
どいつもこいつも馬鹿ばっか。

人が思い描く理想のディテールは常に正確ではない。
極めていい加減なものであり超適当。

人間の想像力なんてたかがしれている。
現実は常に理想よりも事細か。




即ち、理想と現実がイコールで結ばれる事などありえない。
そこで人は立ち止め思う。
「あれ?」という違和感。
「おや?」という現実。
即ちそこが脳みその限界。
現実は常に理想を裏切る。

正確に言うと逆。
理想の方が問題なのだ。
空飛ぶ雲のティーカップ。




「あれ?」と「おや?」の累積が思考停止の失望を生む。
そして誰もが叫ぶのだ。
「コレジャナイ!」って。

それもう血みどろ即ち修羅場。
たった1つの嘆きの声が事ある全てを破壊する地獄絵巻の阿鼻叫喚。




即ち全てがコレジャナイ。
在り在るものなど在りゃしない。

世の中全てがコレジャナイ。
誰もが不満常不満、失望こそが世の全て。

星より旨い鰤の身も、地球を飛び出す宇宙船も、股下美人なべっぴんさんも、薔薇の羽溢れる陶器の風呂も、光溢れる長い廊下も、2人で登ったあの段坂も、即ち全部、コレジャナイ。




何一つ満たされない。
誰1人満たされない。
失意と無念の生き怨霊。

唯一それらが癒えるのは、コレジャナイって叫ぶとき。
憎しみ、怒り、血と涙。
乱暴猛々叫ぶとき。

即ちみんなでコレジャナイ。




理想になれない現実の、血と肉通ずる僕たちに、出来る自衛はあまりない。
あるとすれば、「コレジャナイ」と叫びながら歩くことくらいのもの。
そうすれば誰だって、「コレジャナイな」とわかるわけ。
誰かが失望する前に、先手を打ってコレジャナイ。

全部微塵だ北極大陸の切れ端。
思い出の断片。




さあ、皆さん、ご一緒に。「コレジャナイ!」「コレジャナイ!」「コレジャナイ!」「コレジャナイ!」「コレジャナイ!」「コレジャナイ!」「コレジャナイ!」「コレジャナイ!」「コレジャナイ!」「コレジャナイ!」「コレジャナイ!」「コレジャナイ!」「コレジャナイ!」「コレジャナイ!」「コレジャナイ!」「コレジャナイ!」「コレジャナイ!」「コレジャナイ!」


声を合わせて「コレジャナイ!」
通ずる心、「コレジャナイ!」
一心同体「コレジャナイ!」













コレジャナイブロガーの、コレジャナイエントリー。