2005年8月11日木曜日

自民党をぶっ壊せなかった小泉純一郎



小泉は負けた。
いや、死んだ。






小泉純一郎は「自民党をぶっ壊す」と公言して憚らなかった。
彼は確かに自民党をぶっ壊せる可能性を有していた政治家であったと思う。

しかしそれは、もう、成らない。
小泉は確かにぶっ壊しを行ったが、ぶっ壊されたのは自民党では無かった。








郵政民営化解散によってぶっ壊されたもの。
それは、亀井静香である。


自民党はぶっ壊されず以前のままで存続し、小泉の明確な政敵が死に至った。これは「自民党をぶっ壊す小泉」の敗北である。






小泉純一郎が真に駆逐するべきであったのは亀井静香などではない。
田中角栄である。


ぶっ壊すべきであったのは、長年にわたり築き上げられた自民党という巨大な利権構造である。自民党最大派閥と戦い、自民党最大派閥を敗走させ、自民党最大派閥をぶっ壊すべきであったのである。郵政民営化解散という禁断の、単純化された解りやすい脳天気なカードを切ってしまった小泉純一郎はもはや永遠に自民党をぶっ壊せない人間となってしまった。


小泉純一郎は田中角栄という自民党に戦わずして敗北し、亀井静香と戦い勝ったのだ。それは即ち「自民党をぶっ壊す小泉」の死を意味するのである。






問題は、小泉純一郎に自民党をぶっ壊す能力が本当にあったのかどうかだ。
自民党をぶっ壊し、民主党をぶっ壊し、その上で政権を取る能力があったのかどうかだ。


僕は小泉純一郎にはその可能性があったと考えている。
そして重ねて言うが、「国民の改革への渇望」というものを亀井静香という政敵の駆逐にしか使えなかった小泉の郵政民営化解散という一手は疑う余地の無い敗着であると捕らえている。小泉は郵政民営化解散によって、政敵を駆逐し国民を揺り動かすことに長けただけの1人の強い政治家に成り下がってしまった。







郵政は始めの一歩であり、全てに通じる初手であると小泉は主張するが、その話にも乗れない。郵政は最もどうでもいい場所の1つであり、郵政民営化自体がもはや公約利権と化している。まったく馬鹿げた争点である。


自民党党首としての小泉純一郎に真の改革が出来ないというのは、道路公団民営化の着地点を見れば明らかだ。彼ら、即ち田中角栄を踏襲している自民党主流派は小泉の改革に対し、トカゲの尻尾切り的な改革に応じる事で重要な利権を守り抜くだろう。また、小泉自身も利権構造の中枢としての自民党の中にいる、利権政治家である。
即ち、改革なるものが達成される日は訪れない。


郵政は確かに巨大利権でありその解体には1つの利権の解体という意味はあるのだけれど、これは「ひとまず切り捨てられた」と捕らえるのが最も正しい見方だろう。郵政民営化は郵政民営化という勝利であるが、改革という勝利を意味するものではない。






小泉純一郎は自民党をぶっ壊すべきであった。
より正確に言うならば、ぶっ壊さねばならなかった。


何故ならば、小泉はもうすぐ死ぬからだ。
小泉の命が永遠のものであったならば、自民党をぶっ壊さなくても10年20年と前進し続ければある程度の所まで行けたであろう。けれども、小泉という不世出の政治家の人生はこの先そう長くはなく、その政治生命はもうすぐ終わる。


小泉が死ぬと小泉改革は終わる。
小泉が死に、自民党が生き残る。
それが何よりの敗北を意味している。






そして「小泉死すとも小泉改革は死さず」を実現する唯一の手段こそが、政界再編に持ち込んで政権を取り、名実共に自民党の利権構図、支配構造にメスを入れぶっ壊すという方法だったのである。





結局、それは成らなかった。
亀井静香がぶっ壊され、田中角栄は壊れなかった。
自民党をぶっ壊す小泉は死に、自民党は生き残った。