2005年8月13日土曜日

僕がブログを書き続ける理由



僕は虐める側だった。


随分と酷いことを言ったし、随分と酷いことをした。
酷く傷つけたのだろうとも思うけれど、そんなの知ったこっちゃ無い。
そういうものは、常に虐められる方が絶対的に悪いのだ。僕は何も悪くない。












ゲームすら存在していなかった頃、僕には何もなかった。
朝から晩まで見渡す限りの苦痛が生い茂っており、他に何も見えなかった。


そんな日常の中で、1つの知恵を身に付けた。
虐めだ。




幸いにして、僕のすぐ近くには常に虐められている奴がいた。
そいつはとても醜くて、とても弱かった。もの1つ言えないような小心者で、字も書けないような馬鹿だった。僕はそいつを軽蔑し、見下し、虐め続ける事だけを生き甲斐として人生の若い、とても若い時期をどうにかしてやり過ごした。


そんな特別な事じゃない。
誰だって多かれ少なかれ虐めに荷担した事くらいはあるだろう。




ただ問題は、虐められているのも僕自身だったということだ。
僕は僕を馬鹿にし、僕は僕を笑い、僕は僕に責任をなすりつけることにより自らの存在を正当化させ、生きる糧とした。結果僕はどんどん捻くれ依怙地になり、どんどん卑屈になって閉じ篭もり、あらゆるものから逃げ回るようになった。「いい気味だ」と僕は思った。ざまあみろ。お前のせいで俺はこんなにも惨めな思いをさせられているのだ、と。


虐める側のねじ曲がった論理の正当性だけが誇大化し、僕を責め立てた。
そして僕は逃げ回った。
怯えて震えながら。


それを笑った。
愉快でならなかった。
「卑怯者」「軟弱者」
そうやって、罵り続けた。


僕はとても厳しい人で、何をやっても責められた。
お前が悪いんだ。全部お前のせいだ。全てお前の責任だ。厳しい基準を突き付けられた。卑怯で軟弱な自分が帰ってくる余地の無いようにと、逃げ場を奪われ追いつめられた。

そして僕は逃げ出した。
いなくなったのだ。






それは間違いなく正しいやり方だった。
僕はそうすることで子供時代を堪え忍び、見事にやり過ごす事に成功した。
他に手はなかった。それ自体は今でも正しかったのだと思っている。




問題は、子供から引き篭もりになってしまった事だ。
そこには何もなかった。


責められる事に耐えられず、僕はひたすらゲームをやった。
1日20時間はやった、いや、やり続けた。
そうするしか無かったから。






そしてその何も見えないゲームの日々は突然に終わりを告げた。
お前が殺したのだと言われ、至極もっともその通りだと思った。




一冊のアルバムが机を通じて渡された。
淡い鶯色の分厚い表紙で出来たそのアルバムは撮られた記憶の無い写真で埋め尽くされており、一枚一枚注釈がしてあった。写真の無いページもあった。何が書かれていたかは覚えていないし、たとえ覚えていたとしても「覚えていない」と書くだろう。


僕は数日終始それを読んで過ごした。
やがて目にするのにも疲れ精も根も尽き果て真夜中に部屋を抜け出し使い古された自転車の今にもちぎれそうなカゴにそれを乗せて海の堤防の先に行き、手提げ袋から取り出して袋を下に広げて置いたその上に、青いアルバムをそっと落とした。


夏の終わりの海から温く吹く風は、白波が石つぶてに化けてしまうくらいに強く、瞼を頬を突き刺した。コンクリートの岸壁の地面に広げ置かれたそれを、しばらくの間仁王立ちで見下した。


何も考えられなかったし、何も思わなかった。
既に僕はもういなかった。ずっと昔に逃げ出していたのだ。


そして僕はそれに向かって額を地面に擦り付けた。
嗚咽しようとしたけれど、なにも感じずただ泣いた。




一段落して、いやなにも一段落もしていなかった。
ただそうしているのに飽きたというだけの理由により、僕は頭を上げて立ち上がり、それをもう一度手提げ袋の中へと収め、丸ごと海へ投げ捨てた。遙かに下の海面では木くずが渦を成しており、その渦の中へと「べちゃ」という濁音を残して消えて行った。







翌朝9時に僕は引き篭もりを辞めた。
顔を洗って、シャワーを浴びて、一番よく出来た服を着て、少し遠くの美容院に行った。


店内には今風の男が5~6人おり、髪を切られている間中鏡の向こうでこちらを向いて立っていた。僕は緊張でがくがく震えた。奥歯が鳴るのが聞こえたので慌てて舌を差し入れてマウスピース代わりに強く噛み、口中に広がる血の味を感じて少しだけ落ち着きを取り戻した。

洗髪剤の高そうな蜜柑の匂いの漂う中で頭を洗われている間中、金の心配ばかりをしていた。足りなかったらどうしようとひたすら怯えていた。今思えば杞憂であった。

新しい僕が出来上がるまで、一言も口をきかれなかった。
阿吽の呼吸というのだろうか。それとも、ちょうどあの頃の僕のような明らかになにか間違っている違う客層のあきらかにおかしな客が訪れる事に慣れていて、何も聞かずに切ってくれたのだろうか。ただ、最後に一言だけ「自分で切ったりした?」と訪ねられ、「ハイ」と小さく頷いた。
そりゃあ、引き篭もりだったし、あの頃はまだ手元に鋏があったし。




そしてその日から、面接行脚が始まった。落とされて、落とされて、落とされ続けた。ろくに口も聞けず、まともに文字も書けず、顔色が悪く、挙動不審で、しかも少し視線を浴びせられただけで小刻みに震えていたのだから当然だろう。少しずつ慣れ、少しずつ体を鍛え、少しずつ距離が遠くなり、少しの時間が過ぎてから、ユンケルとゲームだけが折り重なる日々を手に入れて、倒れるまでの間をそうして過ごした。




手にした金で中古の安いゲームを買ってはピストン輸送で海底へと運んだ。
けれども、本当は投げ捨てたくなんてなかった。
無理矢理に、そうさせられたのだ。


少し面白いゲームを手にすると、僕は即座に責められた。
「おまえなんかがこんなゲームをやるんじゃない」と叱られた。
至極もっともその通りだと思い、僕はテトラポッドの上へと登った。
正面から吹き付ける風に向かって黒い円盤を投げた瞬間だけが僕を解放してくれた。
「これでいいんだ」、と。




結局僕は何一つ所持することを許されなかった。
部屋からは物凄い速度であらゆるものが消えていった。

DQ5、筆入れ、玩具、財布、手紙、本、鋏。
引き出しの中も、戸棚の中も空っぽになり、僕は少しだけ満たされた。

少しだけ、一瞬だけ。
すぐに全てが失われた。




何かを手にするその度に「今すぐ手放せ縁を切れ」と迫られて、僕は全てを投げ捨てた。何一つとして所持する事を許されなかった。「これだけは」と抵抗しようとすればするほど絶対に、投げ捨てる事を強いられた。







「何もかも捨てれば楽になる」だとか、
「失って初めて得られるものがある」などというのは全部嘘だ。

捨てる度に僕は捨てられ、失う度に失われた。
何もない。何も残らない。












もう随分と前のこと、僕は僕に見捨てられた。
引き篭もりになるずっと昔に僕は僕に投げ捨てられた。

誰もいなくなり、抜け殻だけが残った。
それは孤独ですらなくて、空っぽの器ですら無く、存在しないものだった。

せめて、1人になりたい。
せめて、孤独になりたい。








ちょうど一年ほど前のこと、一日中war3.exeを立ち上げる生活を続けながら、これから先どうするべきかを考えた。とにかく僕は僕に認めて貰いたくて、何かを所持する事を許して貰いたくて、そして逃げ出していなくなったものを取り戻したくて、何かを始めようと思った。

彼に認めて貰えるような、途方もない作業を行おうと思った。
そして思いついたのがブログを書き続けるということだった。

1000ゲーム、1000投稿、1000エントリー。何をしても3日と続いた事が無い人間がそれをやれば、少しは認めて貰えると考えた。




そんなわけが無いのに。
ブログを書き続けたくらいで認めてもらえるわけがないのに。

消耗して、憔悴して、罵られて終わる。
結果はもう見えている。




けれども僕は、ブログを書き続ける。
「認めて貰えるんじゃないか」って、心のどこかで信じてるから。
「許して貰えるんじゃないか」って、心のどこかで願っているから。